生命の星・地球博物館訪問記――触る立場から

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目次
はじめに
私の観察記録
触覚を中心とした観察のための工夫
「生命の星・地球博物館訪問」の感想 (東京芸術大学美術学部先端芸術表現科 牛島大悟)
追記――江戸東京博物館等

■はじめに
 昨年末の12月25、26日の2日間娘と東京方面に遊びに行ってきました。急に思い立ち、行き先としてあらかじめ決めていたのは小田原市にある神奈川県立生命の星・地球博物館だけで、あとはその場で適当に娘とどこに行こうかと相談しながらの、気楽な旅でした。
 生命の星・地球博物館は開館当時からユニバーサルな博物館としてよく知られており、また個人的にも地球やその歴史にはとても関心があるので、ぜひ1度は行ってみたいと思っていました。今回は25日の午後1時過ぎから2時間半くらいの短時間の見学で、全体からすればほんの一部の展示を見たにすぎませんが、展示物の多さとその質の良さに圧倒されながら、十分に楽しむことができました。
 以下、私の触覚を中心とした観察記録、ならびに見えない人たちがより良く観察できるための工夫・提案のようなものをいくつか書いてみます。また、館内で待ち合わせいっしょに見て回った東京芸術大学の牛島さんから感想のメールもいただきましたので、これも転載します。私とは異なった立場からの意見も知ることができます。

 なお、生命の星・地球博物館以外の行き先で、とくに私が触って興味のあった所については、最後の「追記」でごく簡単に記るすことにします。

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■私の観察記録
 生命の星・地球博物館は大きく4つくらいの部門に分かれているようですが、私はその中の地球の部門を中心に見ました。博物館のボランティアのTさんがいっしょに付いてくれて説明してくれました。全部の展示を見、その説明を聞くというのではなく、時間も限られまた見過ぎると疲れて忘れたり印象が薄くなったりするので、隕石や岩石を中心に私が選んで見ました。以下印象に残ったものを記します。(2、3の不明な点について、大阪に帰ってから同館の学芸員平田大二さんに電話で丁寧に説明していただきました。以下の記述は、Tさんの説明を基本にしつつ、平田さんの説明も加味して書きました。ありがとうございました。)

●隕石
 まずはじめに、とても大きな鉄隕石を触りました。1911年にオーストラリアで発見された「マンドラビラ隕石」という鉄隕石で、重さは2.5tもあるとのことです。オクトヘドライトという種類で、ニッケルの含有量が多く、鉄8割、ニッケル2割の割合だそうです。長さは2m近くもあるでしょうか、表面はぼこぼこあちこちに穴が空いていてなにかガスでも抜けて急に固まったようにも思いましたが、その成因にはいろいろな考えがあるようではっきりしていないとのことでした。表面はごつごつしてはいましたが意外と滑らかで、それは多くの人たちが触ったため手の脂が付いてそうなっているとのことです。大きな穴の中や隕石の下側・裏側を触ってみると、そこはがさがさした乾いたような触感でした。こちらのほうが、元の感じに近いのでしょう。
 そのほかにも触れる隕石はありましたが、多くは鉄隕石で、私が一度触ってみたいと思っていた石鉄隕石は展示はされていましたが触ることはできませんでした。ほかにも、マーチソン隕石とかアエンデ隕石とかこれまでに聞いたことのある隕石も展示されていたようですが、これにも触ることはできませんでした。

●シャッターコーン
 「シャッターコーン」(shatter cone)という言葉を初めて聞き、もちろん初めて触ってみました。シャッターコーンは、隕石がぶつかった衝撃でできる、中心部から放射状に条線の刻まれた衝撃の痕だそうです。実際に触ってみると、3、4mm幅の平行な筋模様が明瞭に観察できました(衝撃の中心部から遠くなると、条線はほぼ平行になるとのことでした)。シャッターコーンの展示もいくつかあったのですが、その中でもっとも印象に残ったのは、たぶん横幅が50cmくらいはある岩の板なのですが、その左側から右側へと移るにしたがって条線の向きが次第に変わっていくものでした。左側では筋はほぼ垂直に走っているのに、右側に移るにしたがって次第にその角度が右側に傾き、最後はほぼ水平になっていました。衝撃が伝わって行く間に向きが変わったようですが、私はその理由をよく理解することはできませんでした。

●38億年前以上の石たち
 カナダやグリーンランドで発見された、地球の地殻ができて間もないころの片麻岩がいろいろ展示されていて、触ることもできました。でも、硬そうなことは分かりますが、触覚ではなにか特徴的なことは識別できませんでした。そんななかにあって、38億年前の礫岩はとても印象的でした。2cmくらいから数mmくらいのいろいろな大きさの石やそれよりも小さな砂粒のような物までが、まるで糊のようなもので無理矢理にくっつけられたように固まっていました。これはほんとうに堆積作用を実感させてくれる標本でした。

●トラバーチン
 「トラバーチン」(travertine)という言葉も初めて聞きました。一般には湧泉・温泉などでの石灰質の沈殿物を言うようですが、ここに展示されていたのは、アフリカ大地溝帯上にあるジブチ共和国(エリトリア・エチオピア・ソマリアに囲まれてアデン湾に面した小国。中央部は海面下の低地になっているようです)のものでした。全体としてはいろいろに大きく起伏した形なのですが、小さなつぶつぶのようなものが多数密集していて、硬い所も多かったですが、所々はかなり軟らかくて今にもとれそうなつぶつぶもありました。出来立てほやほやといった感じがしました。

●波の化石
 ヒマラヤ山中(ネパールのガンダキ地方)の「リップルマーク」(ripple mark: 漣痕)は、その名の通り、砂の上に残されたさざ波の凹凸の痕がそのまま固まったような標本で、とても素晴しいものでした。さざ波痕の凹部に左手の各指を当ててみるとぴったりと嵌まり込み、その指を凹部に沿って動かすと緩やかな曲線を描き、心地よいものでした。25、26億年前の物だといいますから、少なくともその当時はこれはごく浅い海底にあったはずです。

●縞状鉄鉱層
 縞状鉄鉱層については、これまでいろいろな本の中で何度も出会ってきました。その成因についても、地球の歴史の中で遊離酸素の増加と関連させる考えのほかいろいろあるようで、とても興味をもっていました。今回初めて触ることができて、大阪からわざわざ出てきて本当によかったと思いました。標本は小さな物から大きな物までたくさんありましたが、その中には数mmから2、3cmくらいの平行な縞模様をはっきり指で確認できる物もありました。さらに、磁石で確かめてみると、くっつく部分とくっつかない部分があって、たぶんそれは鉄の多い黒っぽい部分と石英などの多い茶褐色の部分に対応しているのだと思います。縞状鉄鉱層を私なりに実感できました。

●ストロマトライト
 これも地球の歴史に関する本ではしょっちゅう出てくるのですが、触ったのは今回が初めてでした。多くは数mm幅の平行な筋模様になっていましたが、数mm幅の同心円状の筋模様を確認できる物もかなりありました。その中には、中心部がゆるやかに盛り上がり、その周りが同心円状の模様になっている物もあり、ストロマトライトの成長の痕を伺い知ることができました。

●柱状節理
 この言葉も何度も聞いたことはありましたが、触ったのは初めてでした。オーストラリアのとても大きな、1辺が50、60cm以上もあるような柱状節理が多数展示されていました。ほぼ垂直に立っている広い節理面はごく緩やかな凹凸はあるものの、なで心地の好いものでした。「柱状」という言葉から私は何となく4角形を想像していたのですが、角はだいたい90度以上はあり、6角形の一部のようになっていました。これは驚きでした。

●アンモナイト
 垂直な壁一面にアンモナイトなどの化石が多数くっついていました。アンモナイトも大きいのから小さいものまで、その他にも、まるで団子のような形をした貝のようなものとか、以前触ったことのある矢石のように細長い円錐形をしたものとか、いろいろありました。ただ、アンモナイトについては、私はこれまでに展示会等で車のタイヤほどもあるようなものとか、巻いていないで棒状に伸びたものとかを触ったことがあるので、もうすこしいろいろな種類のものがあればとも思いました。

●巨晶花崗岩(ペグマタイト)
 鉱物の所では、実際に触ることのできるものはほとんどありませんでした。でも、大きなペグマタイトに触ることができたのはとても大きな収穫でした。ペグマタイトも鉱物の本ではしょっちゅう出てくるのですが、これまで、ほんの小さな物は別として、触ったことはありませんでした。私が触って初めに気がついたのは、とてもすべすべした面、それも紙のように剥がれかかっているようにさえ感じる面があちこちにあったことです。それは雲母でした。また、数cmの長さの縦に垂直な平滑な面もかなりあって、それは長石の劈開面だということでした(角閃石の劈開面も確認できました)。目では10数cmもあるような石英や長石の結晶を確認できますが、それは触ってはよくは分かりませんでした。ペグマタイトは鉱物の宝庫なのだなあと納得できました。

●動物の剥製など
 鳥や哺乳類などの剥製については、同館で待ち合わせの約束をしていた東京芸術大学の先端芸術表現科の学生の牛島さんに駆け足で案内してもらいました。クイナ、ヤマドリ、シギ、カラス、カモ、ヒクイドリ、クスクス、サイ、ヒグマなどに触りました。ヒクイドリの大きさに感心し、またサイは頭の部分だけでしたが、大きさだけでなく各部分の形や配置のおかしさにびっくりしました。ふつう剥製は破損しやすく、少ない経験ですがこれまでに見た剥製の中にも傷んでいる物がありましたが、ここの物はとても保存状態が良いことに感心しました。
 また牛島さんとは、熱帯雨林にある全体が把握できないほど大きく広がった板根や、直径1mくらいはある大きな珪化木も見ました。これらはそれ自体一種の現代芸術の作品のようにも思えるほどでした。

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■触覚を中心とした観察のための工夫

 生命の星・地球博物館は、まず何と言っても、質・量ともに展示物が充実していて、地球に関心のある人ならだれでも、それぞれの関心に応じて楽しむことができそうです。そしてかなりの展示物が、ケースの中にあるのではなく、直接触れる状態になっていて、見えない人も説明してくれる人さえいればけっこう楽しめるでしょう。それでも、触ってもっと分かりやすくし楽しめるようにするために、次のような点について考えていただきたいと思いました。

●読みやすい点字
 多くの展示物には、点字でも題と簡単な解説が書かれていました。でも残念ながら、その点字は一部の点が崩れていたり薄くなっていたりして、かなり読みにくいものでした。おそらく点字の表示を取り付けてから何年も経っていて、その間に多くの人が触るなどして、こうなったのではないでしょうか。1、2年に1回は点字表示を取り替えたほうがいいように思います。また、ケースに入っているなどして触われない展示物には点字の表示はされていなかったようですが、これらにも点字を付けたほうがいいと思います。というのは、今回私に説明してくれたTさんは高齢で視力も弱いらしく、解説文を読むのにかなり苦労しておられる様子で、とくに片仮名の部分はたどたどしく間違えたりもしていました。これは極端な場合かもしれませんが、正確な情報を得るにはやはり点字(あるいは、何度も自由に聞き直すことのできる音声)も必要です。
 各階の全体の様子を示したと思われる触地図もありましたが、これは、点字の部分ばかりでなく、線や面もとても不鮮明で、ほとんど読み取れませんでした。一般的に言って、触地図だけでは館内を自由に一人で歩けるということにはならず、全体の大ざっぱな配置状況を知ることができるくらいですが、せっかく設置するのであれば、より鮮明でできれば立体的に示してほしいと思いました。

●断面の見せ方
 岩石などでは、断面は触覚でもいろいろな事が分かる所です。色の違いや模様など、その特徴を目で見てより分かりやすくするためだと思いますが、しばしば断面がきれいに磨かれていました。磨かれていては、触って分かる情報は極めて少なくなります。割ったままの状態だと、指先や爪を使うことで、層や模様の様子、テクスチャの違い、粒の大きさの違い、ときには小さな結晶なども見つけることができます。磨かれた断面とともに、触って分かりやすい断面も展示してほしいものです。

●高い所、遠い所にある物の観察
 触覚ではもちろん手の届く範囲の物しか知ることはできません。ヒグマやサイなどは大きくて、通路からはほんの一部を触ることができただけでした。全体を触るには(普段は無理でしょうが)中に入って見るしかありません。またアンモナイトの垂直の壁などは、手の届く高さまでしか触われず、脚立のようなものがあればとも思いました。

●全体像の理解
 私は今回、時間がないこともあって、あえて恐竜の化石や模型は見ませんでした。恐竜の足の化石はこれまで幾度か触ったことがあることと、全体が大き過ぎてほんの一部を触っただけではとても全体を想像できないと思ったからです。このような場合には、まず10分の1とか20分の1のミニチュアを用意し、それとしっかり関連させながら、実際に触ることのできる大きな部分―しかし全体からすればごく小さな部分―を触り、時間をかけて理解するしかありません。板根についても、このようなミニチュアが必要だと思いました。

●重さや音の利用
 見えない人の観察では、重さの違いや音の違いも大きな手がかりになります。鉄隕石など、これはとても重いだろうなと思う物も、固定されていて持ち上げたりすることはできませんでした。実際に持ってみることができれば、例えば琥珀の軽さや錫石や方鉛鉱の重さにびっくりするはずです。また、棒で軽くたたいたりできれば、粗密や空洞の有無など、中の様子が少しですが分かることもあります。私は、水入り瑪瑙を耳元で振って、中の水の音を確かめたことがあります。

●見えない人のための特別の体験会
 博物館の基本的な姿勢として、一般の人たちだけでなく障害者もともに見ることができるように、設備を整え、展示方法を工夫し、人員を配置することは、とても大切です。しかし、それだけでは私は不十分だと思います。例えば目が見えない場合、展示物が固定されていれば重さを確かめられませんし、通路と展示品との間に仕切りがあれば、少し大きい物は、触ってその全体を確かめることもできません。見えない人が視覚以外の感覚をフルに使って観察するには、そのための特別なプログラムが必要です。年に1度か2度でも、このような企画があればと思います。その際、当事者である見えない人もその企画のスタッフに入ることができれば、なお良いものになると思います。

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◆「生命の星・地球博物館訪問」の感想 (東京芸術大学美術学部先端芸術表現科 牛島大悟)

 以前から、このホームページを見ていた私は、小原さんにぜひ直接お会いしてみたいと思っていました。「生命の星・地球博物館」の館内で待ち合わせをして、小原さんと一緒にボランティアの方の説明を聞きながら鑑賞することが出来ました。
 はじめに隕石や岩石のフロアを鑑賞です。小原さんの鑑賞の仕方は、まさしく「さわりまくる」でした。小さな石から大きな石まで、細かい動作ですみずみまで触られていました。私も小原さんに倣い手で触れながら鑑賞しましたが、目で見ているだけとは違った発見をする事が出来ました。
 何よりも石を触ったときのひんやりとした感触が新鮮でした。館内は暖房が効いていて暖かかったのですが、それぞれの石の歴史が冷たい感触から伝わってくるようでした。
 また、目では一瞥するだけのような石も、小原さんのように細かい起伏まで楽しみますと違った価値観が次々に生まれてきます。小原さんの石に対する豊富な知識に感嘆しながらも、ゆっくりと楽しく鑑賞することが出来ました。

 すっかり時間が経過してしまい、残りの時間で動物の剥製のフロアを小原さんと二人で鑑賞しました。
 ここは面白いくらいの数の剥製が所狭しと陳列されたフロアでした。しかし残念なことに、一段あがった段上にに陳列されており、触ることが出来るのが手前に並んだ動物の体の一部分だけでした。私の知識不足もあり残りの動物に関してはカタカナで表記された名前を読み上げることしか出来ませんでした。

 この博物館は、異例とも言えるほど自由に触れられることが出来るユニバーサルな博物館だと思います。だからこそ、もっと自由にという気持ちがつのります。石の断面の見せ方や設置の場所、固定のされ方には満足しきれない部分がありました。しかし、破損からの管理などを考えますと博物館側としても致し方ないところがあるのでしょう。
 小原さんが述べられているようにイベントや特別なプログラムとして、年に数回でも自由に触れられる企画が開催されればと私も思います。館内の照明を暗くして、各自ライトを持ちながら触れて鑑賞するといった企画でも、誰もが楽しめるのではないのでしょうか。難しい問題だとは思いますが、対策に期待したいです。

 私は東京芸術大学で触覚を使ったアート作品を研究しています。
 小原さんのホームページからも、直接お話することからも、とても教わることが多いです。小原さんは、大きな木を触って鑑賞しながら「現代芸術の作品よりも面白いよね。」とおっしゃられていました。私も、もっともだなと思いました。それだけ、芸術の分野において触覚で感じるということにまだまだ未発達な部分があるのでしょう。
 ゆっくりと問題を解消しながら、触覚によるさまざまなコミュニケーションの世界を広げていくことが出来たらと思っています。

(牛島さんへのメールは、im14199@fa.geidai.ac.jpまで)

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■追記――江戸東京博物館等

 翌日の26日は、小田原から東京に行く途中、横浜駅西口近くの相鉄ジョイナスの屋上に設けられた「ジョイナスの森彫刻公園」に立ち寄ってみました。都会の中の人工のオアシス的空間と言えるのかもしれません。20種20万本の樹木が植えられていると書いてありましたが、最近できたばかりのようで、ほとんどがまだ若木で森というほどではありませんでした。彫刻は10点ちかくあるようで、柳原義達の「カラス」や、舟越保武の、名前は忘れましたが、肩から長い布のようなものを斜めにまとった像や、朝倉響子の「ニケ」が好かったです。朝倉響子の作品は初めて触りましたが、まとまりも良く、細やかな表現で、印象に残りました。
 東京では、新橋(この駅近くには、盲導犬とともに歩いている乙女の像がありました)から、ゆりかもめに乗って、お台場方面に行ってみました。大観覧車にでも乗って遊ぼうかと思っていたのですが、2人ともその未来的と言うか、独特の雰囲気に馴染めず、すぐに戻って来て、けっきょく両国(この駅には、がっぷり組み合っている力士の小さな石像がありました)近くの江戸東京博物館に行きました。もうすでに、3時半近くになっていました。
 江戸東京博物館では、まず受付で「見学のしおり」という点字と大活字がいっしょになった冊子をいただきました。入館して最初に感じたのは、どこまで続いているのか分からないほど、会場がとても広そうだなということでした。復元されたむかしながらの日本橋を渡って、まず江戸ゾーンに入りました。大名屋敷を再現したり庶民の生活の様子を描いた屏風などが置いてあるようですが、どれも囲みやケースの中で、触ることのできる物は見当たらないようです。ちょっと困ったなあと思っていたら、英語の話し声がします。側に行って聞いてみると、丁寧に展示の説明をし、また外国人の質問にも答えています。私もいっしょに聴こうとしましたが、でも半分くらいしか分かりません。受付に戻って、日本語で説明してくれる人は居るのか聞いてみると、待機しているボランティアを快く紹介してくれました。英語や日本語のほか、ドイツ語やフランス語などのボランティアもいるとのことでした。ボランティアの時間は4時までだということで、わずか30分ほどでしたが、まるで講談か落語を聞いているような調子で、展示の説明とともに、明暦の振袖火事など、当時の江戸の話題をいろいろ話してくれます。気がついてみると、私の後ろには2、3組の人たちが付いて来ていて、いっしょに話を聞いています。
 あわただしく江戸ゾーンを案内していただいた後、最後に「触われる物がありますよ」ということで、鹿鳴館、歌舞伎座、凌雲閣(浅草の名所だった12階建ての建物。関東大震災で倒壊)の模型を紹介してもらいました。どれも精巧な造りで、とくに鹿鳴館は均衡が取れた形で好かったです。ただ、内部の様子が分からなかったのが残念でした。歌舞伎座の舞台や客席の配置とか、鹿鳴館のホールはどんな様子だったのだろうかとか、そういうことが少しでも分かるように、例えば屋根を取り外せるとか、各階ごとに分けられるようにして、内部も触われるようにすれば、なお良いです。
 東京ゾーンのほうは、娘といっしょに、関東大震災や空襲などについての展示を見ました。その中に、東京の地質模型のようなものがありましたが、十分手が届かず、ごく一部しか触われなくて、とても残念でした。
 江戸東京博物館には、あらかじめ何の準備も連絡もしないで行ったのですが、その割にはけっこう楽しむことができました。小金井のほうには、伝統的な建築物35棟を移築・復元した分館があり、一部は建物の内部にも入ることができるとのことです。そちらにもぜひ一度行ってみたいものです。

 最後に、エピソードをひとつ。大阪に帰って来てから、娘が家内に私のことについて「無料なのに、見える人たちよりたくさん、十分に見ているじゃないか」と言っていたそうです。もちろんお金を払って入館しても実際に何も見ることができないのではどうしようもありませんが、今回訪れた博物館のようにある程度障害のある人たちにも配慮している場合には、少なくとも半額くらいは支払ったほうが、私としては気が楽です。大切なことは、いろいろな障害のある人たちがその人たちなりに楽しめるよう、人員や設備を整え、展示の仕方をくふうすることです。そのためなら、小額でも費用を負担するのは当然のことですし、またそうしたほうが博物館側にいろいろと注文もつけやすいというものです。

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(2003年1月25日、2003年2月16日改訂)