神戸市立博物館―銅鐸の絵画に触れる―

上に戻る


 
 1月5日に神戸市立博物館に行きました。阪急三ノ宮駅から、何度か周りの人たちに道を訊いたり案内してもらったりしながら、10分余で着くことができました。やはり都会は回りに人が多いので、ほとんど初めての道でもなんとかなるものです。
 昨年末に松山市考古館に行ったのですが、それが今回の神戸市立博物館訪問のきっかけになりました。松山市考古館で運よく絵の描かれている銅鐸に触れることができたのですが(詳しくは「松山訪問記」に書きました)、そこで触った銅鐸は、神戸市桜ヶ丘出土の14口のうちの一つで、それらの銅鐸は神戸市立博物館が所蔵していることが分かりました。それで、できれば別の絵画銅鐸にも触れてみたいと思って、前日に神戸市立博物館に電話してみたのです。そうすると、触れることができるのは6号銅鐸の複製品だけで、絵の描かれている4号や5号銅鐸には触れることはできないということです。ただし、それらの銅鐸の絵を拓本に採ることができるようにしており、その拓本の原板には触れても良いということでした。
 神戸市立博物館の受付でその旨話すと、しばらくして教育普及担当の方が来られました。その方の案内で、早速、1階の学習室にある「触れて学ぶコーナー」に行きました。
 
 「触れて学ぶコーナー」では、まず土器類に触りました。いずれも複製品ですが、縄文土器が5点、弥生土器が1点、須恵器が2点ありました。
 縄文土器は、表面の文様が多彩でした。直径30cm近く、高さも30〜40cmもある大き目のものが多かったです。縁の外側の4箇所の突起部からそれぞれ紐が垂れ下がっているようなものや、表面に細かく縄目のような模様が全面にわたって掘り込まれているもの、小さな豆粒のような突起が多数並べられているもの、上縁の5箇所が、正5角形の頂点をなすように、すうっと上に張り出しているものなど、いろいろでした。
 弥生土器は、表面は全体につるうっとした感じで模様はほとんどないようです。高さ20cmくらい、直径10cmくらいの細長い円筒形に近い形で、厚さは縄文土器よりも薄いようで、内側や底には指で丁寧に形を整えたような痕が多数認められます。
 須恵器は、触った感じがとても硬く感じて、縄文土器や弥生土器とはあきらかに違うことが分かります。また、きれいな円形で、轆轤を使ったことが想像されます。一つは取手付き高坏で、直径10cm余、高さ6、7cmで、両側に取手が付いています。もう一つは高坏型器台で、高さ20cmくらいの円錐台の上に大きな鉢形の器が載った形です。
 
 埴輪が3点ありました。水鳥の形の埴輪は、首の背面の下の所に、紐でちょうちょ結びしたようなのが浮出していました。人物型の埴輪は、髪を頭上でまとめ、耳の上に髪飾り、その下に耳飾りがあり、両肘を横に突き出し、手のひらを広げて胸に当てています。そして、左肩と左腰に何かの道具のようなのを付けているようです。動物型の埴輪もあって、これは猪だとのことでした。円筒形の空洞になった鼻の部分が長く前に突き出していて、耳は小さく、足は長かったです。
 次に、竪穴式住居の精巧なミニチュアに触りました。縦横60〜70cmくらい、高さ50〜60cmくらいだったでしょうか。屋根の形は、大きな四角錐の上にさらに切妻の屋根を重ねたような風で、とても立派です。私がこれまでイメージしていた竪穴式住居とは違って、なにか神社のような印象を持ちました。弥生時代の竪穴式住居だということです。一つの隅が切り取られていて、中の様子も探って分かるようになっています。囲炉裏や敷物、器類、薪、周囲の支柱など、とても丁寧に再現されていました。
 
 その後、お目当ての銅鐸です。桜ヶ丘銅鐸群は、神戸市立博物館の主要な展示品になっているようです。まず、その解説文を引用します。
 
神戸市灘区桜ヶ丘町出土
 昭和39年(1964)12月10日、六甲山南斜面の標高約240m付近の、尾根の東斜面で発見された。
 14個の銅鐸のうち1〜3号銅鐸は流水文(りゅうすいもん)銅鐸で、1号銅鐸は身の中央よりやや上に影絵風の絵画文で飾った横帯があり、2号銅鐸は身の中央にシカの列を線描で鋳出している。
 4〜14号銅鐸は袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸で、4〜5号銅鐸は身の両面の4区内にいずれも線描の絵が鋳出されている。6号銅鐸が最も大きく、高さ64.2cm、最小は14号銅鐸で21.4cm。
(引用終わり)
 
 松山市考古館で私が触ったのは、神岡5号銅鐸を参考にしてつくったものだとのことでしたが、神岡銅鐸は一般には桜ヶ丘銅鐸と呼ばれているものです。この銅鐸群が見つかった六甲山ろくの尾根付近は、神岡(かみか)という小字名で呼ばれていた所だったため、神岡銅鐸と呼ぶこともあるということです。
 桜ヶ丘銅鐸群は、国宝ですし、もちろん実物には触れることはできません。しかし、この銅鐸群で最大の6号銅鐸が、鳴らす銅鐸として復元されていて、それにまず触ってみました。銅鐸の内側の面には、舌が当たって出来たと思われる傷のようなのがあって、実際に鳴らしていただろうということです。で、その複製の銅鐸を鳴らしてみた時の音ですが、松山市考古館で鳴らした5号銅鐸では「カン、カン」という感じだったのにたいし、こちらのほうは、ちょっと音が低めになって「ガン、ガン」といった感じでした。全体に形が大きく、銅鐸の身の厚さも厚いからでしょう。
 本体(鐸身の部分)は高さ50cmくらい、その上に10cm余の鈕があります。直径も30cm以上はあり、松山市考古館で触った5号銅鐸よりはかなり大きいです。銅鐸の厚さも、5号銅鐸では2、3mmほどでしたが、6号銅鐸では5mm近くもあるようです(この厚さは、実物そのままの厚さなのか、複製品を作る時の技術的な問題のために原物よりも厚くなっているのか、それは分かりません)。
 六区袈裟襷文であることがすぐ分かります。各区には、ほぼ円形の渦巻き文様がそれぞれ4個ずつあります。また、裾野部分と鰭の部分には、三角形の紋様が並んでいました。A面・B面ともに、上の2つの区の所にはまるで破れたかのように四角形のような穴が空いています。また、表面の所々には、小さなぶつぶつした突起のよなのがあって、とくにB面のほうにはかなりたくさんあります。
 私が一番触れてみたかった絵の描かれた4号銅鐸と5号銅鐸ですが、これらには複製品もなくて触れることはできませんでした。ただし、子供たちが銅鐸の絵の拓本を採ってみるための原型の板に銅鐸表面の絵が浮出しで描かれていて、それに触ることができました。1枚の金属製の板の上部に4号銅鐸のA面とB面、下部に5号銅鐸のA面とB面、計16個の絵が描かれていました。以下に、4号銅鐸と5号銅鐸の絵について書いてみます。
 
4号銅鐸
A面
 左上:上に動物(イノシシだとのこと。口が地面につくほど頭を下に向けている)が3匹並び、その下中央になにかの虫のようなもの(クモだとのこと。足が4本しかないが、クモは相手を攻撃するときは2本の足を合わせて1本のようにしているとか)。
 右上:首が長くクチバシも長い水鳥(サギだとのこと。コウノトリとする説もあり)が魚をくわえており、その下にさらに魚が2匹連ねて描かれている(魚は計3匹)。
 左下:○頭の人物が右手にI字形の道具を持ち、膝を大きく曲げている。
 右下:○頭の人物が左手に弓を持ち、右てを伸ばして鹿(角がない)の頭を押えている。
B面
 左上:中央に大きなトンボ(あまりに直線的で、トンボらしく感じない)。
 右上:左側になにかはっきり分からないもの(カマキリだとのこと)、右上にA面左上にあるのと同じクモ。
 左下:同じ大きさのトカゲらしきもの(イモリだとのこと)が2匹。
 右下:スッポン(背中の模様がとても細かく描かれている)。
 
5号銅鐸
A面
 左上:左上にカエル、その右足から続いてヘビ?(うねうねとした線)が描かれている。カエルの下に円が描かれている。ヘビの下には△頭の人物が棒を持って立っている。
 左下:3人の人物(中央に○頭、その両側に△頭)。真中の人物が右手に棒を持っている。中央の男性が、両側の女性を取り成しているようにも見えるそうだが、私にはよく分からない。
 右上:カエル、なにかの虫(資料ではクモ)、カマキリ。
 右下:○頭の人物が、左手に弓を持ち、右手を伸ばして鹿(枝分かれした角がある)の頭を押えている(狩猟の絵)。
B面
 左上:中央に○頭の人物。膝を曲げ、左手にI字形の道具を持つ。人物の右下に魚が3匹描かれている(漁猟を表しているかもしれない)。
 左下:首もくちばしも長い水鳥(資料ではサギ)が魚をくわえている。その右側にカメのような物(資料ではスッポン)が描かれている。
 右上:左側に大きなトンボ、その右下に小さなトンボ、右側にトカゲらしい物(資料ではイモリ)が描かれている。
 右下:中央下に臼、その上に棒のような杵、その両側に△頭の人物が描かれており、 2人の人物は杵に手を当てている(脱穀の様子)。
 
 触った印象としては、シカなどはかなりリアルに形を描いているように思いましたが、トンボやイモリ、人物などは、線や三角形・円を組み合わせた、一種の記号のようにも感じました。それぞれに特別な意味があったことでしょう。上の絵の説明からも分かるように、絵の構成要素は4号・5号に共通のものが多いですが、4号銅鐸のほうが単純で、物語的な内容に乏しいように思いました。5号銅鐸では人物が5人(男1人、女4人)描かれているのに、4号銅鐸では2人(ともに男)しか描かれていません。5号銅鐸のほうが、人々の生活のようなのを感じさせます。
 
 さて、私もこれらの銅鐸の絵の拓本を採ってみることにしました。金属板の上に紙を乗せ、紙が動かないようにきっちり押さえながら、紙の表面からかすかに感じる金属板の浮出しの線に沿って、鉛筆でごしごしと丁寧に擦ってゆきます。そうすると、浮出しの部分が黒く濃く浮かび上がるとともに、金属板の浮出しの線が紙の表面にも次第にはっきりと浮出してきます。細かい所まで正確に、触ってもかなりはっきり分かるようにコピーされます。
 私が拓本を採ってみたのは、4号銅鐸のB面左上(トンボ)と右下(スッポン。これは、背中の模様が細か過ぎて、触ってはよく分からないのですが)、および5号銅鐸のA面右下(男が左手で弓を持ち、右手をシカの頭に伸ばしている)です。こうして拓本を採った2枚の紙を記念として持ち帰ったのですが、数週間経った今でも、この紙にコピーされた浮出しの線は、はっきり触って分かります。
 私が今回行った拓本の方法は、一般に「乾拓」と呼ばれる技法です。拓本の方法としては「湿拓」と言われる技法もあって、私は湿拓の技法を、2010年3月、大阪府立弥生文化博物館で体験しています。(蓮華文の瓦の拓本。瓦の上に画牋紙を乗せ、慎重に水で湿らしながら、瓦の凹凸が紙に立体的に写るくらいまで軽く押えてゆき、その上から綿球で墨を付けてゆきます。詳しくは、「やよいフェスティバルに参加」)湿拓法でも原型の凹凸は紙にコピーはされましたが、全体にふわあっとした感じで、長持ちはしませんでした。今回は、線画のようなものだったかも知れませんが、かなり耐久性のある、触って分かる絵になりました。機会を見つけてまた神戸市立博物館に行き、別の絵の拓本も採ってみたいと思っています。
 
(2012年1月23日)