資料 サイエンスZERO: シリーズ 五感の迷宮X 触覚 進化が磨いた高感度センサー

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 9月25日、NHK教育テレビのサイエンスZEROで、「シリーズ 五感の迷宮X」として「触覚 進化が磨いた高感度センサー」が放送されました(番組の紹介は、http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp319.html)。
 この「五感の迷宮」というシリーズは、4月から始まり、これまでに、視覚、聴覚、嗅覚、味覚について放送され、今回は触覚でした(たぶんこれでこのシリーズは完結ということでしょう)。以下は、放送内容をできるだけ忠実に記録したものです。適宜小見出しを付け、また一部[ ]内で補足説明した所があります。
 今回は、専門家ゲストに静岡理工科大学 宮岡徹教授、コメンテーターに工業デザイナーの柴田文江さんを迎えての放送でした。
 
●美しい物には触ってしまう
 柴田:美しい物、興味のある物を見ると、どうしても私たちはそれを手に取ってみたくなる。いいデザインの物は触られてしまう(それは、いいデザインの証である)。それによってどういったことを感じたり、どういったことを自分の中に取り入れているのかなといったことを考えながら、デザインしている。
 柴田さんのデザインした体温計:病気の時はどうしても気持ちがしずんだりするが、握ったとき、握りごこちと手に当たった感触で、少しほっこりした、ゆったりした気持ちになってもらえるような、そんなデザインを心がけている。
 
●優れた触覚をもつ職人
 安めぐみさんが、東京都大田区の金属加工会社の職人・小宮秀美氏を訪ねる。小宮さんは金型職人。この道40年以上のベテラン職人で、とくに金属の表面を磨く研磨技術では、右に出る者がいないという。今小宮さんが作っているのは、食品用ラップフィルムの製造に使う金型。筒の中を鏡のように磨き上げるため、ダイアモンドの粉が付いた目の細かいペーパーを使う。そして磨き加減を確かめるのは、自分の指。
 小宮さん:指で触ってみて、中に引っかかりがちょっとでもあったらだめ。滑らかにすうっと行くかを指で感じて、完成になる。
 ざらつきがまったくなくなるまで、いっさい妥協はしない。安さんも触ってみる(すごいツルツル)。筒の中を覗いてみると、内側に安さんの瞳が写っている。細い管の中はまるで鏡のように磨かれている。仕上げの精度は1/1000mm[1μm、1ミクロン]以下。
 小宮さんの触覚の真髄を見せてもらうことにする。小宮さんが持ち出してきた1枚の金属板。まず安さんが触ってみると、とてもツルツル、ガラスの表面のように、まるで指が吸い付きそうなくらいツルッツルッ。ところが、その板を小宮さんが触ると、「光の具合ではきれいに磨いたように見えるが、実際にはまだざらつきが少しある、まだまだざらつきがある」という。
 本当にざらつきなどがあるか、板の表面をレーザー顕微鏡で計測してもらう。すると、0.5μmほどの凹凸があった。小宮さんはこんなに細かい凹凸を指先で感知できるのだ。
 
●触覚の仕組み
 この金属板を柴田さんが触ってみると、「完璧にツルツル」。何故職人さんはこんなに細かい凹凸を感じることができるのか、触覚について専門家の話を詳しく聞く。長年触覚の研究をしている、静岡理工科大学教授の宮岡徹さん。
 宮岡:普通の人と比べて職人さんの中にはすごい触覚を持った人がいる。触覚の理論的限界は0.1μmだが、その付近まで情報を利用できる職人さんがおられる。
 柴田:私たちデザイナーも、かならず自分で作った物のフォルムも手で触って確認する。そうすると、美しい曲面などはすぐに分かる。ちょっと面がよれていたりすると、小宮さんほどではないかもしれないが、手がそういうことを感じられるということを、私も実感として思っている。
 宮岡:その秘密は、皮膚の下に触覚の受容器があって、それがその役割を果しているから。
 宮岡:人間の皮膚には毛のある部分と毛のない部分があり、触覚受容器はその両者で少し違っている。絵で示しているのは、毛のない部分の触覚受容器。触覚受容器は真皮と皮下組織にかけてある。真皮が表皮側にふくらんだ所にマイスナー小体がある。マイスナー小体は、ツルツルとかザラザラとか、そういった感覚をキャッチするレセプター。真皮がへこんだ部分にあるのがメルケル触盤。メルケル触盤は、点字のような少し粗い凸凹をキャッチするためのシステム。真皮の中ほどにルフィニ終末がある。ルフィニ終末は、手を横方向に引っ張った時に応答するという特性を持っている。真皮の一番下部から皮下組織にかけて、パチニ小体がある。パチニ小体は、非常に敏感な受容器で、例えば皮膚の表面に蚊が止まったりする時に応答できるという特性を持っている。一番奥にあるが、一番敏感だ。[パチニ小体は、特に振動に対して敏感で、1cm離れた刺激でさえ感じることができるという。]4種類それぞれがいろいろな役目を持っていて、それが複合して触覚のあらゆる情報をキャッチし、脳に伝え、我々は認識しているということになる。そして手の触覚は、脳の中では非常に広い面積を占めている。
 
●ペンフィールドのホムンクルス
 宮岡:触覚情報は、大脳の体性感覚野に伝えられる。体性感覚野では、手・口・足などの情報は全部決まった場所に行く。ペンフィールドのホムンクルス[ラテン語で「小さな人」の意味]は、大脳の体性感覚野において身体各部からの情報がどれくらいの面積で処理されているかを表している図。手や口からの情報は非常に広い面積で処理され、胴体などは非常に少ない面積で処理されていることになる。
 柴田:人にとって手は非常に重要で大事な感覚なのだなと思う。私たちはスケッチをする時によく手で考えると言う。それは、手を使って物を描いていると、いろんなことがひらめいたりするから。今の話を聞いて、手を刺激して手を動かすことで、脳を何かが活性化してアイディアが生まれるのかな、と思った。
 宮岡:人間がサルから進化してきた時に、まず二本足で立つようになって手を自由に使えるようになった。そしてその手を一生懸命使ってだんだん器用になるにつれて、脳もどんどん大きくなってきた。というわけで、手と脳の進化の間には非常に深い関係がある。(だから、ホムンクルスで手の部分があんなに大きいのだ。)
 柴田:それにしても、人がみんな手の感覚が発達しているとしたら、職人の小宮さんみたいに特別に触覚が発達している人と私たち普通の人とは何が違うのだろう。
 
●触り方の秘密
 金属板を触ったとき、なぜ小宮さんだけが凹凸を感じることができたのか、その秘密をさぐるために慶應義塾大学へ。
 慶応義塾大学システムデザイン工学科の桂誠一郎さんは、人間の触覚をデジタルデータとして再現する研究を行っている。桂氏が開発した装置:黒い箱にはコイルが、棒の部分には磁石が入っていて、装置にかかる力を電気信号に変える仕組みになっている。装置の上に板を置いてなでると、指が表面の凹凸を感じた時の板の微妙な動きを測ることができる。板の表面を指でなでると、その凹凸にぶつかって板が振動する。この時、私たちは指で凹凸を感じる。装置ではこの振動を計測している。
 小宮さんが磨いた金属板を装置に取り付けて、まず安さんが表面を指でなでる。指が吸い付くほどツルツルで、凹凸はまったく感じられない。解析するとグラフが出てくる。横軸が時間、縦軸は板の振動。あまり板は振動していない。
 次に、小宮さんが板をなでる。「まだ引っかかっる。ツルツルじゃない気がする。」解析したグラフを見ると、板がずっと振動していることが分かる。安さんと小宮さんのグラフを比較すると一目瞭然、
 安さんの場合は、小宮さんと違い、板がほとんど振動していない。つまり、板をうまく振るわせることができないため、凹凸が感じられないのだ。小宮さんの場合は、ゆっくりした振動から速い振動まで、様々な振動がグラフに表われている。つまり、板を上手に振るわせてごくわずかな凹凸を感じていることが分かる。
 この違いの原因は、二人の触り方にあると桂さんは言う:小宮さんの場合だと、押し付ける力となぞりの速度、その二つをうまくキメ細やかに変えながら、表面の粗さが感じられるような触り方をしているのではないか、ということができる。
 宮岡:触覚の場合は、指を動かすと振動が起こる。この振動が重要。触覚には四種の受容器があるが、それらはそれぞれキャッチする振動の周波数が違う。マイスナー小体とメルケル触盤は、比較的低い周波数、だいたい100ヘルツくらいまでの振動をキャッチする。これにたいしてパチニ小体は、50ヘルツから500ヘルツくらいまでの、非常に高い周波数の振動までキャッチし、そして非常に敏感だ。先ほどの小宮さんの結果を見ると、縦方向の線がいっぱい出ていて、いろんな周波数の振動をキャッチしているということになる。小宮さんはいろんな情報を触覚受容器にキャッチすることができて、それであんなに敏感な応答ができたのだと思う。小宮さんは、学習によって、どうやって指を動かしたら一番情報が入るかということをマスターしたのだと思う。
 
●指紋が触覚の感度を高める
 指先の指紋は、チンパンジーや人間など、手先を器用に使う動物だけが持っている。指紋はこれまで木の上で生活するための滑り止めとして発達してきたものだと言われてきた。本当にそれだけの役割だけなのか疑問を持ったのが慶應義塾大学システムデザインマネジメント研究科の前野隆司さん。
 前野さんが疑問を持つきっかけとなったのは、指紋の凹凸と触覚受容器の位置関係。指先の断面を見ると、指紋の凹凸の山の部分の下には 2つ(2列)マイスナー小体がある。また、谷の部分の下にはかならずメルケル触盤がある。この配置には意味があると考えた前野さんは、物を触ったとき指のどこに力が集まるか、コンピュータでシミュレーションした。指紋の凹凸の上に板状の物を乗せたと想定する。色の変化を見ることで、どこに力が集中しているかが分かる仕組みになっている。板を横にずらすと、色が赤くなる部分がある。指紋の凸凹によって増幅された力が集中している部分。指紋によって触覚受容器にうまく力が伝わっていることを、前野さんは発見した。
 前野:指紋の出っ張り画あるおかげで、力がちょうどマイスナー小体の所、メルケル触盤の所に伝わっている。指紋はもともとわ滑り止めだと思われていた。だが、滑り止めだけではなくて、触覚の感度を高めているということが分かる。これがどういうことかというと、私たちがツルツルとかザラザラを感じる時、あるいは物を持って操作する時、そういう時に高度な取り扱いができるようになったということだ。つまり、指紋があることによって、私たちは高度な動作、あるいは知能と関連するような高度な動作をすることができるようになったということ。
 宮岡:指紋というのは、パターンは重要でない。あることが重要なのだ。さらに実は、マイスナー小体とメルケル触盤だけでなく、もっと深い所にあるパチニ小体にも力が集中するということが分かっている。むかしはパチニ小体は奥にあるから圧力のセンサーだと思われていた。ところがちゃんと解析してみると、そこに力が集中して、非常に敏感な加速度のセンサーだということが分かってきた。
 
●スキンシップの秘密
 進化とともに発達した触覚、親子や仲間同士のスキンシップにも使われている。スキンシップの秘密を探るため、触覚が心に与える影響を研究している桜美林大学の山口創さんを訪ねる。
 山口さんがベルベット素材の道具を用意し、それでアナウンサーの山田さんの頬を3通りの速さでなでてみる。なでる速度で感じ方が大きく変わる。1番目は1秒間に50cm、2番目は1秒間に5cm、3番目は1秒間に0.5cm。2番目、1秒間に5cmの速さが、一番気持ちいい。
 山口:有毛部の皮膚にあるC繊維が、1秒間に5cm程度動かした時に一番興奮して、その触覚の刺激を脳に運びやすい、それが快感を生み出すらしい、ということらしい。
 宮岡:通常の触覚情報はAβ繊維という太い繊維を通って直ちに脳に伝えられ、触覚がうまれる。いっぽう、C繊維は細い繊維で、ゆっくり情報を脳に伝える。そしてその行き先は体性感覚野ではなく、感情に関係ある、つまり快・不快とかの感情に関係ある部分に行く。そこで触ると心地よいというような感情が生まれることになる。
 どうして、感情の部分に情報が行くのだろうか?
 宮岡:触覚はとくに哺乳類にとっては重要な感覚で、そういう感情を持つことで哺乳類では社会生活が営まれるようになっている。スキンシップは社会生活で非常に重要なわけで、そこでC繊維が役割を演じることになった。
 
●認知症の診断に触覚を利用
 人間が進化する過程では、手を器用に使い、脳が発達してきたと考えられている。その脳と手の触覚の関係から、認知症の診断に触覚を利用しようという研究が行われている。
 岡山大学工学部。生体計測工学が専門の呉景龍さんは、触覚と脳の関係を調べている。触覚を使って物の形を認識するとき、人の脳のどの部分がはたらくのかをMRIで調べた。
 そのMRIの結果:触覚の情報が最初に届く体性感覚野で触ったという感覚が生じる。この当たり[体性感覚の連合野(5、7野)と頭頂連合野(39、40野)]は、空間の情報を判別する領域で、触った物の大きさや形などを認識する。そして、前頭葉の部分、短期記憶や判断をつかさどる領域で、触っている物の大きさや形・質感などを一時的に記憶する。触覚は、脳の様々な部分を総合的に使って感じる感覚だ。
  さらに呉さんは、物の形を記憶したり判断したりする時にはたらく機能が認知症になると低下する機能と共通していることに気が付いた。認知症になると、朝御飯を食べたことを忘れてしまうなど、短期記憶に障害が出る。また、家を出たら戻れなくなる、つまり空間情報を記憶する能力も低下する。そこで呉さんは、触覚の機能を調べることで認知症の早期発見ができるのではないかと考え、実験を行った。
 表面に「くの字形」の凹凸のある2枚のプレートを用意する。一方は84度、他方は110度。まず最初のプレートが動いて行き、それから3秒後に次のプレートが動いて行くようになっている。指を置いて、どちらの「くの字」の角度が大きいかを答えてもらう。
 健康な人、軽度認知障害患者、アルツハイマー型認知症患者の三つのグループで実験を行った。(平均年齢は71歳。)正解率は、健康な人 82%、軽度認知障害患者 78%、アルツハイマー型認知症患者は 68%。この結果から、呉さんは、触覚の機能を調べることが認知産を早期に発見するための有効な方法になると考えている。
 呉:我々のしている角度弁別は、[患者の生活環境や医師の主観といった]個人的な事に依存しない客観的な方法であり、またただ角度の大きさの違いを判断するだけなので患者は緊張せずプレッシャーもあまり感じることはない。我々の研究成果の力点は、そういう点にある。
 宮岡:前頭葉は、記憶とか判断とか運動とか、そういうものと深い関係を持っている。それから、脳の他の分野とも非常に深い関係を持っている。しかも前頭葉は、人間で一番発達している部分であり、また一番早く老化しやすい部分でもある。だから、触覚で認知症を調べるというのは、理にかなっていると思う。
 
●宮岡さんの今後の研究
 宮岡:私は今触覚の錯覚、錯触を研究しようと思っている。視覚の錯覚、錯視はよく知られており、またたくさんある。それと同じように、実は錯触もたくさんある。錯触の研究を進めて、そして脳の機能をそこから解明しようと計画している。
 
(2010年10月10日)