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… 「片側の未来」番外☆菜花編その2 …
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 なだらかな坂道を少し上ると、緑色の芝生が見えてくる。枯れにくい常緑の品種を苦労して求めて育てた、パパの努力のたまものだ。それが日差しに照らされて白っぽく見える。降り注ぐ蝉時雨。

「あっつ〜い…」
 思わずラベンダー色のベストの裾をぱたぱたしてしまう。もうすっかりと真夏なのに、ウチの学校の制服はワイシャツとスカートと、それからベスト。前ボタンの奴なんだけど、外していると生徒指導の先生が目を三角にして怒るんだ。べつにいいじゃんと思うけど。
 でも、スカートの裾とベストの裾に付いたスミレ色のテープの飾りも、微妙なカッティングもものすごく可愛い。中学高校と一貫教育の私立だけど、制服が着たいから選んだって子も多いんだ。

 春菜ちゃんちは向こうの住宅地だから、坂の下で別れる。あたしはベージュとブラウンのまだら模様の煉瓦の道をぽんぽんと弾みながら駆け上がった。白いフェンスで囲われたその敷地内は夏色の鮮やかな花々で溢れていた。そして、入り口の小さな扉の脇にある立て看板。

『Apricot Green』…あれ、Closedの札が掛かってるわ、どうしたんだろう。パパのボルボ、ちゃんとガレージに入ってるのに。腕時計は午後3時を回ったところ、お日様もまだまだ高くて…とても店じまいをするような時間じゃない。あたしは首を傾げながら、木戸を押して敷地の中に入っていった。

 

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 パパが「脱サラ」をしたのは5年前のこと。ウチは一戸建てで、両隣にお家が建っていたんだけど、田辺のおばちゃんのお家じゃない方の裏のおばあちゃんの家が取り壊しになることになったんだ。築50年くらいになって老朽化してて、そこのおばあちゃんも息子さん夫婦と同居することになったから。
 大通りから入った細道に面した場所で、日当たりも最高。おばあちゃんが丹誠込めて育てたたくさんのお花が咲き乱れていた。

「ここを管理することは出来ないのだけど。お庭を壊してしまうのも…忍びなくて…」
 土地の所有はそのまま続けるというおばあちゃんは悲しそうに言った。誰かに貸すにも、上にアパートなりなんなり建てなくちゃならない。公園にして公共の場所に出来れば一番いいけど、それでは維持費が逆にかかってしまう。

 そんなとき、助け船を出したのがパパだった。

「それなら、私がお借りしましょう…」

 あたしたちはもちろん、ママも佐野のおじいちゃんたちももうびっくり。一体何が起こったのか分からなくてパニックしてしまった。そしたら、パパは涼しい顔でこう言ったのだ。

「自由が丘にあるみたいな、雑貨屋さんをやりたいんだ。喫茶室を傍らに作ってね、ハーブティーや果物のケーキなんかをお出しして。手作りジャムやポプリなんかも売って…」

 そ、そんなの夢見る中学生だって言わないぞ。お店の経営なんて、素人が一から始めるのはすごく大変だと思う。やっぱり、安定したサラリーマンがいい。パパは職場でだって、有能な営業マンで通っているんだし…え、リストラ? まさかねえ…。

「あはは、そんなはずもないだろう…」
 まだ幼稚園児だった弟の樹(いつき)を膝に乗せて、軽く笑い声を上げたパパはこれは前々から考えていたことなんだよ、と言った。

 本社勤務を辞めて、横浜の営業所の所長になったパパ。それも全ては愛するママのため、一戸建てのお家をプレゼントしたためだった。さすがのパパも都内にお庭付きのお家を買うことは出来なくて、だいぶ南下した。本社まで遠くなったので、本社までは通えなくなっちゃったのだ。
 でもでも、今年になって。会社はパパに「役員」になって本社に戻ってくるようにと言った。なんなら、都心に単身用のマンションを借り上げてもいい、単身赴任しなさいって言われたんだって。

 パパは悩んだ。30も半ばになって、再就職も難しい。家のローンは前に住んでたマンションの売却金もあったので払い終えたところだったけど、これからあたしたち3人の子供の教育費がかかる。そんな悩みを打ち明けたところ、とある取引先の人が、お店のオーナーを探していると知ったのだ。

「それに、家にいれば…ずっと千夏の側にいられるだろう…?」
 そんな風ににっこりと笑ったから、またママが真っ赤になっちゃった。多分、からかっている訳じゃなくて、本気なんだろうけど…パパってすごく変。あたしが中学校3年生になったというのに、まだお口のちゅーをしてるんだよ、お玄関で。お店はすぐそこなのに、「いってきます」と「ただいま」のご挨拶は外せないんだって。
 年頃の娘がいるんだから、気を遣ってくれたっていいのにね。その辺のデリカシーが足りないの、嫌なパパ。 

 

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「ただいま〜」
 お店の前を通って、家の方に回る。お店は10坪ほどのちょっと縦長の建物だ。ベージュの外壁に濃いめのグリーンの窓枠。屋根もグリーン。壁は所々に煉瓦が埋め込んであって、なんだか昔のヨーロッパの片田舎のお家みたい。パパって、時々すごくファンタジーなのよね。

「お帰りっ! 菜花(なか)っ…」
 お玄関のドアを開けると。ばたばたばた。奥の方から、ものすごいスリッパの音がした。パパがネクタイを締めながら、走ってきたのだ。珍しい、お出かけの格好だ。お店のお仕事の時はもっとカジュアルな格好だもん。このごろではPTAのときとかよね? でも…今日はそんな予定があったっけ。

 あら、素敵。こんな風に息せき切ってお出迎えなんて。どうしたんだろう、お誕生日でもないのに。あたしが靴も脱がずにきょとんとしてると、パパはすっと右手を出した。

「ほら、渡しなさい」

「へ…?」

 あたしはパパが差し出した手を呆然と見つめていた。…いきなり何を言い出すんだ?

「カバン、こっちによこしなさい」
 そう言うと、パパはあたしの抱えていた学校指定の学生カバンを掴んだ。

「えええっ!? やだあ〜、そんなの駄目に決まってるでしょうっ!」

 娘の荷物を覗くなんて、そんなの父親失格じゃないのっ! 大好きなパパだけど、許せないわ。

「あ、お姉〜、お帰りィ〜」
 あたしとパパが玄関先で押し問答をしてると、もうひとり奥から出てきた。妹の梨花(りか)だ、小学校の6年生。木綿のハーフパンツとタンクトップ。手に参考書とノート。ああ、塾の時間だ。

「ああ、…ねえ、梨花っ! どうしちゃったのよっ…パパは」

 あたしがカバンを必死でキープしながら叫ぶと、梨花は涼しそうな目元でこちらをちらっと見た。するりと髪の毛が流れる。あたしはぽよぽよの癖毛で色も茶色っぽい髪なのに、梨花はさらさらの黒髪だ。それを無造作に垂らしている。身長も同じくらいになってきて、どちらがお姉さんか分からないと言われる。

「あ、それ…」
 ぽつんと呟きながら、あたしたちの脇を通り抜ける。靴箱からスニーカーを出して足を突っ込みながら、振り返った。

「何かさ、知らないんだけど。素直に従った方がいいよ? 私も樹もランドセル点検やられたよ? ついでにママはハンドバッグの中を見られてた」

 あんまりにもあっけなくそう告げられて、驚く。なんなの? ランドセルの中を点検するの? 一体どうしたんだよ、パパ。

「ええ〜、そんなのずるいっ! 人の持ち物を点検するなら、自分も公表しなさいよ〜。本当に、パパって変よっ!」

「なっ…!?」
 あたしが強引にパパのガードを破ってリビングの方に行こうとすると、慌てたパパの足音がぴったりと付いてきた。

「お、親に反抗するなんてっ! 菜花、それは不良の始まりだぞ…! 許さないっ! パパはオープンな家庭が好きなんだ。隠し立てなんて、断固として許さないぞっ!!」

「ママ〜…」
 そう長くはない廊下を背後霊を従えて歩いて、へとへとになってリビングに辿り着くと。ママが困った顔で笑っていた。弟の樹はTVの前でゲームしてる。この前買って貰ったロールプレイングゲームだ。もうっ、ママもママだ、どうしてパパに言われるままにバッグの中を見せちゃうの!?

「ごめんね〜、菜花ちゃん。どうもパパ、お昼ご飯の時に、みのもんたの電話人生相談を見ていたらしくて…突然、思いついたみたいなのっ…」

 ――は、はあっ!?

 何なんだ、このおじさん。もう、会社を辞めたら、エネルギーの弾ける場所がなくなって、有り余ってるんだから。PTAとか、自治会とか、そう言うのに積極的に出るようになったのはまだいい。パパはもともと器用だし、山岳部だったから、運動会やバザーのテント張りもお手のものだ。

 でもそれでもまだ、余っているらしくて、みのもんたに夢中になってしまった。ブロッコリーや枝豆、トマト、鰯の丸干し…とにかくその日に話題になったものをごそっと買い込んでくる。酢大豆を一日10粒と言われた時は泣きたくなった。もちろん、カスピ海ヨーグルトも育てている。
 休日は磯釣りに出かけて、釣った魚でひものを作っているし。お刺身だってさくっとおろす。10年目を迎えた家庭菜園はもう職人の域に入っている。このごろでは出張指導も始めたみたい。

 パパはママの視線に気付いたらしく、ささっと姿勢を改める。だから〜、妻にかしこまってどうするのよ〜、本当に変なんだから。

「あのな、菜花…」
 パパはコホンと咳払いをした。

「人間が脱落していくその一歩は、まず日常の生活の乱れからだ。今日の電話の人の家では、高校生の娘のカバンから、コンドームと替えの下着が出てきたって言ってたぞっ!!」

「え…?」

 あたしは、青ざめて弟の背中を見てしまった。まあ、4年生で性教育も受けたのだから、コンドームくらいで動じる彼ではない。でも、オープンな家庭とは言っても…ちょっとデリカシーがないんじゃないかしら? 多感な年頃の娘に避妊具の話なんてしないでよっ…!

「この前、遊びに来たお友達が言っていただろう? 菜花の靴箱を開けると、漫画みたいにざざざっとラブレターが落ちてくるって。同級生どころか先輩や後輩にも呼び出されては告白されてるって、聞いたぞっ!! …もっと、自分を大切にしなさいっ、何かあってからじゃ遅いんだからなっ…!」

「あの〜…」
 あまりにも馬鹿馬鹿しかったけど、一応口を挟む。でもパパの勢いは止まらないのだ。

「今日だって、午前中で授業が終わったというのにどこに行っていたんだっ! パパは心配していたんだからな…」

 うっさいなあ、もう。それくらいが何だって言うのよっ! 春菜ちゃんと水着を見に行っていただけじゃないの。一応受験生だけどさ、きちんと成績を取っていれば高等部にはすんなり入れる。だから、その辺の受験生とは違うんだ。その分、小学校の時にいっぱい勉強したんだから。

 あたしはぷうっと頬を膨らませると、カバンをパパに乱暴に投げつけた。

「ラブレターなら、全部学校のゴミ箱に捨てて来ちゃった。だから見せられないけど? 何なら、明日からは家に持ってくる? パパがそのあと処分してくれるなら、別にいいよ」

「菜花…」
 結局、カバンを開けることなく呆然としてるパパ。私は、ばすっとソファーに倒れ込んだ。

 ああん、そんなに悲しそうな顔をしないでよ。パパの方が悪いのに許してしまいそうになる。地域の役をたくさん引き受けたパパだから、あれやこれやと飲み会などのつき合いが多い。そう言うところで話題になるのはどうしても子育てのことがメインになる。共通の話題なんだから仕方ない。年頃の娘(あたしのことよ)を持つパパは、いろんな話を聞いていてだんだん不安になってきたみたい。

 分かるんだけどさ、でもさ。ちょっと、放っておいて欲しいの。ぎゃんぎゃんいわれると、逆に非行に走りたくなるわ。微妙な乙女心なんだから、分かって欲しいわ。

「――あ、透? 時間でしょう、お迎えが来るわよ?」

 ママが時計を見ながらそう言ったので、その場は一応お開きになった。

 

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「菜花ちゃん、ご機嫌を直してね。パパだって、心配なのよ…菜花ちゃん可愛いし、もしもって考えちゃうんだと思うわ。ほらほら、パパの試作品のハーブケーキですって…」

 お紅茶と一緒に差し出されたのは、紅茶のケーキみたいな不思議な色のパウンドだった。お店にくっついているティールームではアフタヌーンティーと簡単な軽食が楽しめるようになっている。フレッシュハーブを使ったサンドイッチや手作りジャムのトーストは人気の品だ。

「今日はパパ、お店を閉めてどこに行ったの?」
 …あ、ざらめのお砂糖がおいしいかも。パパ、専門学校に通ったりして、ますますお料理の腕を上げた。今にTVチャンピオンから出演依頼が来るかも知れないと、密かに期待していたり。

「ええと、会社のお仕事よ。外回りの新人さんの付き添い指導ですって…」

「ああ…」
 そうか、綺麗なスーツだったもんなあ。それなら納得出来る。

 パパは商社を辞める時、顧問として残って欲しいと頼まれたそうだ。普通はあまり仕事がないのだけど、たまに新人営業マンの指導に当たっている。若い頃、パパはやり手の社員で、たくさんの契約を取ってくるので有名だったんだって。あたしはよく知らないけど、時々、バーベキューとかをする時に前の会社の人たちが来て、そう言う話になる。
 きっとママのことも押しの一手でモノにしたんだろうな…そんな気がする。ママは今も美人だけど、最初はパパと同じ会社の受付にいたそうで、とっても綺麗だったんだって。

 そして、あたしの記憶が正しければ。ママは全然年を取っていない気がする。いつまでもふんわりとして可愛い感じで、本当に3人の子供を産んだのかなあと悩んでしまう。娘のあたしが悩むのだから、すごいことだ。
 それはパパも同じことで。もともと若い結婚だったらしいけど、それにしてもねえ。クラスの女子たちがパパのファンクラブを作ったというのには驚いた。週に1回、ティールームに来るのが規則なんだって。まあ、売り上げに貢献してくれるならいいけど。彼女たちは、こんな風に持ち物検査をされてもいいのだろうか?

「樹くんも…ゲームをやめて、頂きましょう?」
 ママがTVに向かう弟に声を掛けた。

「ん〜、もうちょっと…」
 樹は往生際悪く、ピコピコやっている。あ、これ、中ボスじゃないの。何回も戦って全然勝てないってヒステリー起こしていた…。

「あれ? 結構強くなったんじゃない? …どうしたの」
 思わず画面をのぞき込んだ。昨日まではへっぴり腰だった主人公の攻撃がすごく強くなってる。

「あ、これ? …ほらほら〜、今日ね、岩男兄ちゃんが来て、秘密のアイテムを探してくれたんだ。装備させたら一気に強くなったよっ!!」

 ――…へ?

 無邪気な発言に、あたしは固まってしまった。何? …どういうこと?

「岩男くんが、来たの?」

「うん、学校の帰りに会ってね、教えてくれるって。でもその前に宿題もちゃんとやらなくちゃって、それまで教えて貰っちゃった〜へへんっ!」

 そう叫んだ瞬間に、ごごごっと音がして、グロテスクな中ボスが崩れ落ちた。

「やった〜〜〜〜っ!! ひょー、ラッキ〜…!」
 樹はさっさとセーブするとゲームを止めた。そして、くるりと振り返って、おやつを食べ出す。あたしは何と言ったらいいのか分からないまま、口の中がかぱかぱになっていった。

「ちょっとっ! 樹っ、岩男くんはいつまでいたの? あたし、駅から電話したじゃない、その時はまだいたの? どうして帰しちゃったのよ〜!!」

「え〜?」
 樹はあたしの必死の訴えに、面倒くさそうに振り向いた。

「だってさ、岩男兄ちゃんはオレに会いに来たんだよ? 姉ちゃんなんか関係ないじゃないか。だいたい、話したいことがあるなら学校が一緒なんだから、そこで言えばいいじゃん? 今年はクラスも一緒だって、言ってたじゃん」

「ママ〜!?」
 電話に出たのはママだった。駅に着いた時に一応連絡を入れるように言われている。この辺は治安がいい土地だけど、やはり心配なんだって。歩いて10分の距離を長く掛けすぎるとお迎えが来る。

 ママはあたしの言いたいことが分かったのだろう。困ったように微笑んだ。

「あのね、ママも…岩男くんにね、菜花が帰ってくるから待っていてくださいって言ったの。でも…明日から期末テストですからって、帰っちゃったのよ…」

「そ、そんなあ…」

 ひどい、あたしがそろそろ戻ってくるって知っていて、それで帰ったんだ。いつもそうじゃないの、あたしがいない時にしか、家に来ない。

 それどころか。

 この前はまた、パパと樹と3人で釣りに出かけたって言うじゃないの。教えてくれれば絶対に付いていったのに、誰も情報を流してくれなかった。男には男の世界があるってパパは言うけど、何だか仲間はずれにされているみたいで、腹が立つ。

「あはは、姉ちゃん、嫌われてやがんの…」

 あたしが、きっと睨んで見せたので、樹は「こえーっ」と首をすくめた。そして、がががっと残りのおやつをかき込むと、さっと立ち上がって逃げに入る。

「繁くんの家にいってきま〜すっ…」

 手のひらサイズのゲーム機をリュックに突っ込んで、飛ぶように出て行った。さっき、梨花が出かけて、パパが出かけて。そして樹もいなくなって…だから、リビングに残ったのはママとあたしだ。あたしは、すごく悲しくなって、俯いたままお紅茶をすすった。

 ママは何かを考えてるみたいな顔をして、心配そうにこちらを見ていた。


 

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