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… 「片側の未来」番外☆菜花編その2 …
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 あのとき。

 岩男くんはポケットの中の携帯を操作して、交番に連絡したのだ。そんなことを咄嗟の判断でしてしまう。岩男くんの冷静さには舌を巻くばかりだった。


「どうしたの? ひとりで夜道を歩いたら危ないでしょう? 水馬さんは…いつも一緒に帰っていたんじゃない?」
 あたしの傘は、お兄さんと一緒に投げられて骨が折れちゃったので、岩男くんの傘にふたりで入った。少し歩いて、あたしの涙が止まった頃に。岩男くんが話を切り出した。とっても怒った声だった。

「う…だってぇ…」
 やっぱり突き放したみたいな声だったので、悲しくてまた泣けてくる。

「春菜ちゃんはピアノのレッスンがあるから、塾の時間を変えたの。だから…このところはずっとひとりで帰ってきてたんだ。こっちに戻る人、いないもん」
 通勤時間帯は結構人通りがあるんだけど、それ以外は閑散としている道。怖くないと言ったら嘘になる。

「じゃあ…透さんや千夏さんにお迎えに来て貰えば良かったのに。駄目だよ、女の子がこんな暗い道をひとりで歩いちゃ」

 その声に、あたしは顔を上げて岩男くんを見た。前を向いてるから顎の辺りしか見えない。岩男くんは気が付いたらどんどん背が伸びて、あたしの届かない人になっていた。

「心配を…かけたくないんだもん…」

 あたしを「西の杜」に入れるために、パパとママは少し大変になっている。入学金や学費だけでも公立の何倍も掛かるのに、その上、塾の費用もある。パパは脱サラしたばかりで、まあお店は順調だったけどそれでも今大金が出るのは苦しいらしい。その上、長女のあたしが私立に行けば、妹の梨花や弟の樹もそうなる可能性がある。その分の貯蓄も必要なのだ。
 ママが春菜ちゃんちに行って、アレンジフラワーの勉強をしていること、パパが副業のようにモデルや雑誌のお仕事をしていることも知っていた。それで時間のやりくりも大変になっている。今日は樹のサッカー教室の日で、今パパはお迎えに行ってるはずだ。

「そんなこと言ったって、何かあってからじゃ遅いでしょう? 菜花ちゃんは女の子なんだからね」
 岩男くんはさらにきつい声でそう言うと、あたしの方を見下ろした。そして、急に黙り込む。

 …だって。急にそんな話を思い出させるんだもん。怖くなっちゃったじゃない。あの道をこれからどうやって歩けばいいの? 今日は岩男くんが助けてくれたけど、次は上手くは行かないかも知れない。そしたら…車に連れ込まれたりしちゃうの? もしかして、すごく嫌なこととかされちゃったりするの?

 そう思ったら、また涙が溢れてきた。身体の震えも止まらなくなって、コートの襟をぎゅっと押さえた。


「…菜花ちゃん…」
 しばらく、沈黙が続いて。それから岩男くんが、何かを決めたように言った。

「じゃあ、オレが一緒に帰ってあげる。授業が終わったら、塾を出たところの電信柱のところで待ってるから、…ね?」


 受験までの2ヶ月くらいの間だったと思う。でも、週に3回の塾の帰り、10分しかない時間だったけど岩男くんと並んで歩くことが出来た。もう、嬉しくて嬉しくて。岩男くんが昔みたいに、ちゃんとあたしの側にいてくれて。今までの悲しい日々が嘘みたいだった。

「西の杜」に入れば、こうやってまた一緒にいられるんだ。岩男くんは成績もいいからきっと受かるだろう、だからあたしが一生懸命勉強すればいいんだ。そう思ったら勇気が湧いてきて、ますます勉強に熱が入った。

 …なのに。

 受験が終わって、合格発表があって。塾がおしまいになったら、岩男くんはまた元に戻ってしまった。同じ学校に入学したのに、同じ小学校からの仲間なんて、ちょっとしかいないのに。それでも、あたしが声を掛けると変な顔をする。側に行こうとするだけで、嫌そうにする。あの、優しかった岩男くんはどこにいっちゃったんだろう? 幻だったのだろうか?

 それからはまた、悲しくて辛い毎日が始まった。諦めちゃえばいいって何度も思ったのに、それが出来ないくらい、あたしは岩男くんが好きだった。どうしようもないくらい夢中になっていた。


 あたしが本当に困った時にだけ、岩男くんは側に来てくれる。スーパーマンみたいだ。どこからともなくやってきて、当たり前みたいに助けてくれる。最初の時だって、そうだった。

 …ねえ、岩男くん。

 あたし、今、すごく困っていることがあるの。それを話したら、助けてくれるのかなあ…それとも、もう自分には関係ないことだって、突っぱねられちゃうのかな? だって…だって。岩男くんにしか出来ないことなんだよ、岩男くんにしか…頼めないことなんだよ? それでも、駄目かな…。

 あたしを包んでくれている岩男くんの匂いが、だんだん身体に移ってくる気がする。このまま、あたしも岩男くんの匂いになっちゃえばいいのに。大好きなのに、誰よりも何よりも大好きなのに。パパやママよりも、ずっと好き、岩男くんが大好き。だから、ずっと頑張ってきたの。…それなのに…。

 …ね、岩男くん…お願いっ…。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐***‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 急に目の前が明るくなった気がする。そろそろと、瞼を開けた。するとちいさなふたつの瞳が呆れた色をしてこっちを見ていた。

「…え…?」
 自分の今の状況を上手く把握出来ない。悲しい夢から覚めた浮遊感だけが、けだるく身体を覆っていた。

「菜花ちゃん…ちょっと、やめてよ。どうして、布団に潜ってるんだ…」

「あ…、ええとっ…あのっ!」

 慌ててがばっと起きあがろうとした。でも、次の瞬間…。

「きっ、…きゃあっ!!」

 ずるっと。あたしを支えていた空間ごと崩れる。視界が流れる…何が何だか分からないうちに身体が下に落っこちていった。

「うわっ…!! 菜花ちゃんっ!!」

 がばっ! 周りの空気が大きな風になって。気が付いたら、あたしは畳の上に落ちる寸前に、岩男くんに抱き留められていた。

「あ、…ごめん…」

 いわゆるお姫様抱っこの状態だ。背中と膝の裏に岩男くんの腕がある。さすがの岩男くんも膝を付いていたけど、やわらかい受け止められ方だったのであたしの方はショックもなかった。目をぱちぱちさせて岩男くんを見ると、むっとした口元が面倒くさそうに開いた。

「ほら…大汗かいてるじゃないか? こんな暑苦しい部屋で、布団なんかにくるまって。我慢大会じゃないんだから、いい加減にしてよ…それに、怪我でもしたらどうするんだ。打ち所が悪かったら、骨を折るよ?」

「あ…」

 また、怒る。どうしてなの? あたしはただ、岩男くんに包まれてみたかっただけだよ? 岩男くんの匂いであたしをいっぱいにして、幸せな気分になりたかっただけじゃない。岩男くんはあたしがくっついたら怒ったじゃないの、だから何にも言わないお布団にしたのに。どうして駄目なの? そんなのというのっ…。

「もうっ…! すぐ泣くんだからっ…」
 岩男くんは吐き捨てるみたいに言うと、あたしを畳の上に下ろした。そのまま離れようとする。

 やだ、今離れたら…もうずっと岩男くんはあたしの側にいてくれなくなる。次からはお玄関で追い返されるかも知れない。そんなのは嫌、岩男くんに嫌われるのは嫌…っ! でもって、嫌われるあたしも嫌い。大嫌いっ!!

「岩男くんっ…」
 必死に腕を伸ばして、広い胸にしがみついた。もうトレーナーを脱いでる、暑いんだから当たり前だ。Tシャツ一枚を通して伝わってくる心臓の音と体温、そして匂い。

「…菜花ちゃんっ…!!」
 いい加減にしろよ、って言いたいみたいだった。それくらい、迷惑そうな声。あたしの肩に手を置いて、引きはがそうとする、すごい力。でも、今度はそう簡単には離れないんだから。あたしは背中に回した腕で、ぎゅっと岩男くんを抱きしめた。

「…岩男…くんっ…! あのね…」
 ああ、声がかすれる。苦しいよぉ…胸がはち切れそうだ。自分でも分からない、どうしてこんなに嫌われるのか。どうしてこんなに嫌われるのに、すがりついてしまうのか。

「あたし…岩男くんに、お願いがあるの。岩男くんにしか、出来ないことなの…っ!」

「…え?」
 せっぱ詰まったあたしの声に気付いたのだろう、岩男くんの声色が変わる。あたしを気遣ってくれる、あの声だ。

「お願い…岩男くんっ…」

 あたしは岩男くんの胸からそっと離れて、腕の力は緩めないままで顔を上げた。岩男くんが何とも言えない顔でこちらを見ている。その瞳があたしの視線の先にあった。

「あたしに、キスして」

 


「え…っ? …えっ、ええっ…!?」

 今度こそ、あたしはすごい力で振り払われていた、後ろにあったお布団の雪崩の中に倒れ込む。岩男くんはそんなあたしに構うこともせずに、ずるずると後ずさりした。

「な、何言い出すんだよっ!! 菜花ちゃんは、おかしいぞっ、絶対に変だよっ、どうしちゃったんだよっ!!」
 大きな体の岩男くんが、下がれるだけ下がって、机の椅子に背中をぶつけて。そして、叫んだ。

「…おかしくなんかない。お願いしてるだけ、でしょ…?」
 あたしは、腕を付いて体を起こして。そして、すがるような目で岩男くんを見つめた。自分じゃ分からないけど、これだけ追いつめられて緊迫してるんだから、そうだと思う。

「一度きりでいいの、二度と頼まない。これを最後のお願いにしてもいい…だから。岩男くんと、キスしたい…お願いっ…ねえ」

 目の前が霞む。涙がまたぼろぼろと溢れてきた。こんなに嫌がられて、払いのけられて、なんだと思っているだろう。岩男くんにとっては、とても迷惑な話だと思う。嫌いな相手にこんな風に言い寄られて。その気持ちは分かる。あたしだって、そうだった。好きでもない男の子に付き合ってくれと言われても、手紙を貰っても、全然そんな気持ちにはなれなかった。

「菜花ちゃん、…ちょっと、落ち着いてよっ! 急に何を言い出すんだよっ…もしかして、まだ寝ぼけてるの?」
 岩男くんは何度も深呼吸して、心を落ち着けている様だった。見るからに動揺してるけど、そこは武道の達人、精神が鍛えられている。

「あのね、そういうのは、お願いしてどうにかして貰うことじゃないだろ? だいたいね、女の子がこんな風にキスしてなんて…。菜花ちゃん、キスはね、心から好き合った人たちが気持ちが高まって、どうしようもなくなってすることで、こんな風に無理にお願いするモノじゃないんだよ? …分かるね…?」

 一生懸命、説得してくれようとする名門「西の杜学園」の中等部生徒会副会長。流れるような言葉運び、頭が良くないと出来ないことだ。状況判断も的確で、岩男くんの采配に間違いはない。…分かってる、でも。

「そ、そんなこと、分かってる。分かってるっ…でも、これだけはお願いしたいのっ! 今お願いしないと、もう駄目になっちゃうっ…だって、あたしの初めては岩男くんだって決めてたんだもん。ずっと、ずっと…ちっちゃいことから、そうだって決めてたんだもんっ…」

 膝小僧で、ずずっと前に出る。少し、岩男くんに近づいた。

「このままだと、あたし、他の人にキスされちゃうかも知れないのっ…だから、その前に…ね。あたし、最初のキスは岩男くんとしたい…」

「…菜花…ちゃん…?」
 あたしの滅茶苦茶な言葉の中に、それでも岩男くんは何かを見つけてくれたらしい。言葉が戸惑いの色を消して、何かを探るように変わる。

 それを、頼みに…顔を上げた。これを言えば、承知してくれるだろうか。

「あのねっ…あたし、今日…生徒会長に呼び出されたのっ…あのね、彼にはこの前付き合ってくれって言われて、でもちゃんと断ったんだけどっ…でも、今日は話だけ聞いてくれって…」

 これ以上、話すのは正直怖かった。どこまで信じて貰えるか分からない。でもっ…言わなくちゃ、あたしの気持ちが分かって貰えない。岩男くんがあたしの方をじっと見たまま黙っている。聞いてくれるんだよね? そうだよね? 祈るような気持ちだった。


 生徒会長が指定したのは、あまり人通りのない体育館の裏だった。フェンスとの隙間、大きな建物の影で死角になってる。どうしてそんなところなのかと思ったけど、こっちも交際を断った後ろめたさがあって。話くらいなら聞いてもいいかなと思っていた。それに生徒会長は岩男くんの知り合いだ、あまり邪険にして酷く言われたくない。

 …でも。

 他愛のないことをしばらく話していたら、彼が急にそわそわし始めた。そして、信じられないことを言いだしたのだ。

「ねえ、菜花ちゃんて、ファーストキスもまだなんだって…本当?」

「へ?」
 いきなりのことに面食らった。何を言い出すんだ、あけすけに。

「その顔、本当なんだね。いやあ…今時、そんな子がいるんだねえ…何しろ、このごろは進んでるからね、もうエッチなことしてる子だってクラスに何人もいるだろ? 高校生や大学生と付き合ってる子は当然だよな? それなのにさ…」

 ずいっと、彼はあたしの方に身体をくっつけてきた。もう、びっくりして、必死で後ろに飛び退く。でも、そんな行動はすっかり先読みされていて、あたしは体育館の外壁に背中をくっつけて、生徒会長に頭の両側を腕で挟まれていた。よくよく考えたら、このひとはバスケ部のレギュラーだ、ちゃらちゃらしてるけど瞬発力はあるんだ。

「やっ…何するのっ…!」
 さすがのあたしも、この状況はまずいと判断した。慌てて払いのけようとしたが、何しろちびな私。腕力とかでは男の子に絶対に敵わない。

「いいだろ〜、どうせ誰かにあげちゃうんだからさ。ファーストキス、くれよ。菜花ちゃんのキスなんて、貴重品だし〜オレ、上手だからさ。もしかしたら夢中になっちゃうかもよ? 何だったら、キスだけじゃなくて…その先も…」

「きゃあっ! もうっ! やだっ…やめてよっ…!!」
 腕を滅茶苦茶に振り回して、抵抗したけど、彼はにやにや笑っているだけ。でもって、こともあろうに短めのスカートの裾から手を滑り込ませる。そのまま、太股をすりすりと撫でられて、鳥肌が立った。逃げたいのに、身体はがっちりと押さえ込まれていて。

「抵抗したって、無駄だよ…ここは誰も来ないからねえ…」
 生臭い息を吐きながら、彼があたしの耳元で囁く。

 ああん、もう、絶体絶命ってこのことっ!? どうすりゃいいのよ〜〜〜っ!!


 その時。彼の胸の携帯がピーピーと音を立てた。

「…んだよぉ、こんな時にっ…」

 一瞬の隙をついて、あたしはその場から逃げ出した。口惜しくて、恐ろしくて。もうどうしたらいいのか分からなくて。ぐちゃぐちゃにその辺を走り回った。涙が止まるまで、校舎の方には帰れなくて。そのあと、ようやく春菜ちゃんをつかまえて、ピアノのレッスンも遅らせて話を聞いて貰っていたのだ。


「…知ってる、呼び出されたのは」
 あたしの話を一通り聞いて、岩男くんは同情してくれると信じてたのに…ものすごく怒った顔をしていた。そして、信じられないことを言ったのだ。

「クラスの連中が話していたの、聞いたから。あいつはきっと何かとんでもないことをたくらんでるって、ふられてそのまま引き下がるような奴じゃないって…」

 そこまで言うと。岩男くんは膝をくっつけてすっと正座した。そして、先生みたいな目であたしを睨む。

「菜花ちゃん? …言ったでしょう? 危ないからって。男はね、優しそうな顔をしていたって、何をするか分からないだろ? 菜花ちゃんみたいな女の子、簡単に好きにされちゃうかも知れないんだよ。そうなった時、後悔したって遅いんだから…もっと、自分のことを大切にして。軽はずみに誰彼となく、くっついて行っちゃ駄目だから――」

「…知ってたの?」
 あたしは、もう信じられなかった。岩男くんは知ってたんだ、それを。なのに…。

「知ってたのに、それなのにっ…助けに来てくれなかったの? 岩男くんは、あたしがどうなっちゃっても良かったのっ!」
 詰め寄って、Tシャツの胸ぐらを両手で掴んだ。

「あたし…助けてって、何度も心の中で叫んだのにっ…! もう駄目だって、思ったけど、きっと、岩男くんなら来てくれると信じてたのにっ…酷いっ…!」

 それくらい、どうでもいいんだね? あたしなんて、もうどうなってもいいんだね!? それなのに、あたしは岩男くんが好きなんだよ。もう、どうにもならないくらい、好きだったのに。あんなに絶望的な場面で、それでも、岩男くんがいいって、最初は絶対岩男くんだって…思っていたのにっ!!

「酷いって…言われたって…なあ…」

 あたしがこんなにガンガン叫んでも、岩男くんは淡々としてる。そうなんだね? …岩男くんにとってあたしはその程度の人間なんだね? …そうなんだねっ…!?

「…ね、キスして。今すぐにっ…」
 あたしは精一杯伸び上がると岩男くんの口元のすぐそこまで顔を寄せた。

「岩男くんは嫌でも、どうでも良くても、もういいっ。ねえ、お願いっ…あたしの初めてなの。岩男くんがいいのっ…もう、これ以上、我が儘言わない。岩男くんのこと、諦めてもいいっ。こんな風にお家に押しかけて困らせたりもしないし、学校でだって話しかけない。でも…いいでしょ? 最初は岩男くんで。あたしの夢だったんだから…」

 岩男くんが、あたしのことを好きだよって言ってくれて。そして、キスしてくれる日を待ってた。そんな日がいつか来るって信じていた。こんなに、こんなに好きなんだもん…いつかきっと、って。

 でもっ、…もう待ってられない。他の誰かに無理矢理に盗られちゃう前に…岩男くんにあげたい。

「お願い…」
 岩男くんの首に腕を回して。そして、静かに目を閉じた。震えるあたしの頬を、涙がつつっと流れる。落ち着こうとしても、体中がガクガクと小刻みに震えた。

「菜花ちゃんっ…」

 岩男くんが振り払うようにそう言っても、あたしはその姿勢のままだった。こんなに側にいられるのはきっとこれで最後だ。だったら、思い切り我が儘言ってもいい気がする。あたしは、岩男くんが好きなんだから。



 どれくらい、時間が経ったんだろう。

 岩男くんがふうっと、小さく息を吐いた。困ったような、呆れたような…どうしたらいいのか分からないような感じで。そして、あたしの頬を両方から大きな手のひらがそっと包み込んだ。

 生あったかい息が唇に掛かって、ぴくっと震える。次の瞬間に、信じられないくらいやわらかくて暖かいものがあたしの唇に吸い付いてきた。


 

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