TopNovelおとめ☆扉>ポチとお嬢様・6




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「おっ、お嬢さん……っっ!?」

 実のところ。

 その瞬間まで、僕は何の警戒心も持っていなかった。僕のご主人様であるお嬢さんが頑張ったご褒美をくれるというのだ。そう言うときは「犬」として尻尾を振って呼びかけに応じるべきだろう。

 

 でも、……だからといっていきなりコレはないだろう。

 

「あ、あのっ!? そのっ、……ちょっと待ってください……!!」

 いやあ、心の準備も何もあったもんじゃなかったから、とにかく情けないくらいにうろたえてしまった。

 だって、躊躇いもなく僕にしがみついてくるお嬢さんがとてつもなく生っぽい。いや、生々しい。正確に言えば、……その。何にも身につけていないスッポンポン。確かに風呂上がりであることは部屋を入った時点で確認していたけど、あのときに「服っぽく」見えていたものは……実は今そこに転がっているバスタオルだったりするのか?

 どうしたんですか、お嬢さん。僕が慣れないことをしたからって、いきなりぶっ飛ばないでください。

「……ポチ?」

 僕は、もしかして「試されている」……?? 素直な家来の振りをして実は下心ミエミエの嫌な奴だったりするんじゃないだろうなと、過酷な試験を受けているのだろうか。いや、でも何のために? そりゃ、今後ともこの店で働けるかどうかって見極めなのかっ……!?

 お嬢さんの声は甘くかすれていて、それに導かれるように長いこと忘れていた僕の中の本能がムキムキと立ち上がってきそうになる。いや、何を考えているんだ、自分。駄目だ、駄目だぞ。相手は僕などが手出しをして良い御方ではない。いくらもうひとりの僕が突っ走りそうになっても、断じて阻止しなければ……!

「その、……あの、だからっ……!」

 ああ、お願いです。お願いですから、元通りに身体をはがしてください。そんなにぴったりと張り付かれていては、シャツ越しにでもお嬢さんの柔らかさや温かさが隠しようもなく伝わってしまいます。困るんです、こんなの。本当のところ、喜んで「いただきます」してしまいたいけど、そうもいかないからどうしようもないんです。

 もう泣きたかった。男として、こんな情けないシチュエーションがあるだろうか。

 そりゃ、お嬢さんは僕などにはもったいないほどの素晴らしい方だ。正直なところ、こんな風にくっつかれるのは嬉しい。今までだって自分では意識しない振りをしていただけで、お慕いする気持ちの中に確かによこしまな想いも宿っていた。親父さんが留守でふたりきりになったときなんて、ちょっとムラムラしたりもしたし。

 

 ……でも、やっぱり。やっぱり、そういうのは違うと思うんです。

 

「やだなあ、何してるの。我慢することなんてないんだよ? その歳になりゃ、やり方くらい分かってるんだろ?」

 うろたえる僕にお構いなしに、お嬢さんはさらに身体をすりつけてくる。そのふわふわと滑らかなこと、小柄な割りには胸がありそうだなとかひそかにチェックしてたけど、やっぱりそうだったかと身をもって実感してしまう。

「そそそっ、……そのっ!? だだだ、だからっ……っ!」

 どうにかして振り解こうと試みるのに、お嬢さんときたらこんな時だけ馬鹿力でびくともしない。その上、身体をねじって避けようとすれば、さらにタコの吸盤みたいに隙間なくくっついてくるんだ。

 そして。

「あれーっ? ポチ、大丈夫っ!?」

 視界がぐるっと回って、今度は僕の上でお嬢さんの声がする。柱に思い切り後頭部を打ち付けた後、僕は畳の上に仰向けにひっくり返っていた。その姿は、まるで技を決められてグロッキーしてしまったプロレスラーの如く。

「は……はい……っ!?」

 ズキズキ頭のまま、どうにか目を開ける。しかし、その瞬間に視界に飛び込んできたのは、ぽよんぽよんに揺れるお嬢さんの……何も隠していないふたつのふくらみ。何しろ、僕の身体をまたいでいる格好になってるから、その……女性上位の、とてつもなく危ない体勢にしか見えない。

「もう……困るなあ。そんな風にしてると、こっちから襲っちゃうよ? いいの、もしかしてそう言うのが好きだったりする……?」

 うわーっ、駄目ですっ! お願いですから、止めてください……!!!

 思い切りかたちのいい生乳(ナマチチ)。先端なんて、もうびんびんに立ってる。ど、どうしちゃったんですかっ!? 本当によしましょうよ、お嬢さん。僕は、……こういうのは違うと思います。お嬢さんは僕の命の恩人で、とても大切な方。だから、こういう風にしちゃ駄目なんです。でもっ、でも。こんな風になってしまったら、どうやって自分の気持ちを抑えたら良いのでしょう???

「もう……ポチったら。そんな風に照れちゃって、可愛いんだから」

 刹那。お嬢さんの小さな手のひらが、僕の頬をしっとりと包んだ。真っ暗な部屋の中、月明かりに浮かび上がったその微笑みは、そのまんま女神様のように見えた。垂らしたままの髪もふわふわ、ひどく大人びてる。はたちを越えたかそこらのお嬢さんは、僕よりは十歳近く年下のはずだ。どっちかというと、ついこの前に僕を裏切った女子高生との方に年齢が近い。

「他にもっと値の張ったものでも上げられればいいんだけどね、そんなに急に用意できないし思いつかないし。安物過ぎて申し訳ないけど、どうせならお互いに気持ちよくなった方がいいと思うよ。とりあえず、あたしの誕生日なんだしさ」

 微かな動きにも連動して揺れるふくらみ。女の裸なんて見慣れているはずの僕なのに、そのたびにぞぞぞっと全身に鳥肌が立つくらい反応してしまう。もちろん、気持ちよい方の意味で。

「でっ、でもっ! いけません、お嬢さんのような方が僕となんて……」

 そりゃ、嬉しいですけど。正直、襲いかかりたい気持ち満々ですけど。

 でも、大丈夫です。このくらいの挑発には負けませんから……! まだラーメン一杯満足に作れない僕が、お嬢さんとこんなことしては駄目です。もっともっと修行を積んで、いつかお嬢さんに相応しい料理人になれたら……そうしたらって気持ちはあります。だけどそれまでは、どうか雲の上の存在でいていただきたいんです……!

「なあに言ってんだろうね、この子は。あたしがいいって言ってるのに、何でそんなにごねるんだか。やっぱり趣味じゃないかい? もっと色っぽい方が好みなのかね」

 僕の頬を弄んでいた指先がゆっくりと止まる。慌てて首を横に振って直前の言葉を否定しようと思ったが、身体が金縛りに遭ったように動かなくなっていた。

「あのさ、ポチがウチの店に来てから短い間に色々あったよ。父ちゃんもいつの間にかあんなにまともになっちまったし、連日店は大繁盛だ。こんなの、あんたが来るまでは想像も出来なかったことだよ。だから、感謝してるんだ。もうあのまんま店が潰れたって構わないと思ってたのに、今じゃその日が来るのが悲しくて仕方ないよ。これって、全部ポチのお陰だろ? だったら、……いいじゃないか」

 そこまで言うと、お嬢さんは僕の身体の上に自分の身体をぴったりと寄り添ってきた。しっとりしたひとり分の重み。でも胸が詰まりそうになる理由はそれ以外の場所にあった。

「地元の人たちはみんな知ってる、あたしがどんなに馬鹿な女かってこと。とうちゃんがあんな風になったって、少しも変じゃない。それだけのことをしちまったんだからな」

 するり、とぬくもりが逃れる。あまり体重を掛けすぎるのもどうかと思ったのだろうか、お嬢さんは僕の上を下りて、すぐ脇にその身体を移した。

「兄ちゃんの事故の後、もうあたしたちはどうしようもないくらいに荒れてね。父ちゃんは相変わらずだし、家に帰るのも嫌になってしまったんだ。そんなとき、あたしに惚れたって男が現れて、もう夢中になった。ろくに仕事もしないとんでもない奴だったのに、当時のあたしにはそれが分からなかったんだね。結局ぼろぼろになるまで金も身体も吸い尽くされて捨てられて、……ま、今となっては笑い話だね」

 一体どんな顔をして話しているのだろう、声のする方向が怖くて向けない。僕はやはりとても弱虫だ。

「あのときのことをずっと引きずってた。だからもう二度と男なんてゴメンだし、どんな奴が現れても信じてやるもんかと思ってたよ。なのに、……ポチがやって来て。最初は確かに全然使えない奴だと思ったけど、お前はとにかく頑張るからね。今時、天然記念物モノにすごいと思ったよ。だからつい……こんな出来心を起こしちまったんだろうねえ。すまなかったよ」

 ようやく目に映ったのは、細い肩先だった。普段の逞しいゴムまりのような姿からは想像付かないような頼りない輪郭。この人は、確かに僕にはもったいない素晴らしい方だ。でも……もしも、少しでもお役に立てるなら。いや、僕自身がお嬢さんを欲しくて欲しくて仕方ない気持ちと、ほんのちょっとでもお嬢さんの希望が重なり合うことがあるのなら。

 いや、それもまた違う。

 僕は……お嬢さんを、誰よりも幸せにして差し上げたい。お嬢さんの喜ぶ顔がもっと見たい。だから、もう過去の自分は今度こそ全部捨ててやる。これからはこの町でお嬢さんの「ポチ」として生きていくんだ。最愛の人にしてくださいとは口が裂けても言えない、今まで通り飼い犬のポジションで構わない。

 

 だから……お嬢さん。僕は、あなたに選ばれたと思ってもいいのですね?

 

「……ポチ?」

 ゆっくりと身を起こして、傍らの人を引き寄せる。僕を見つめるどんぐりみたいな瞳が、信じられないよって色をしていた。

「お嬢さん、……僕は、僕は……っ!」

 この瞬間、本当に何もなくなりました。これからはあなたのためだけに生きていきます。大好きです、心からお慕いしています。だから、……だから。お願いです、応えてください。

 愛おしくてたまらない気持ち、全身から一気に噴き出してくる。何だろう、身体の震えが止まらない。初めてのときだって、今よりはきっと落ち着いていたと思う。

「あ、……ポチっ!」

 まず触れたかった、柔らかな頂。想像以上に柔らかくて、それなのにしっかり弾力がある。ふわふわのマシュマロみたいに触れば触るほどやみつきになりそうな手触りだ。もう、気持ちよすぎる。頭が変になりそうだ。

 僕のいきなりの豹変に、お嬢さんはかなり戸惑っているみたいだった。そりゃそうだ、可愛い可愛い飼い犬がいきなり襲いかかってるんだから。だけど、もう止められない。僕のこの想いを、お嬢さんに全てお伝えしたいんだ。

「な、何っ……。ちょっと待って……!」

 ううん、待たない。すべすべしていて、張りがあって。体中の隅々までたまらなく素敵だ。最初に「ご褒美」って言ったのはお嬢さんだ、だから遠慮なくいただく。甘酸っぱくて、やみつきになる美味しさ。一度味わったら、忘れられなくなりそうだ。

「お嬢さんっ、……お嬢さん……っっ!」

 勢いよく走り出してから気付く。ああ、僕はこの人がこんなにも欲しくて欲しくてたまらなかったんだということを。ただ側にいて勇気づけてくれるだけで優しい言葉を掛けてもらえるだけで、最初は十分かと思っていた。嬉しそうに微笑んでくれたり、僕の成功を一緒になって喜んでくれたり、もうそれだけで天にも昇る幸せだと思った。

 だけど、悲しいかな。僕はやはり「男」の部分を捨て切れていなかったようだ。いや、心が純粋になればなるほど、もっと強く欲求が育まれていた。それを見て見ぬふりをしてやり過ごそうとしてたのか。もしかして、その不埒な想いまでがすでにお嬢さんには透けて見えていたのかも知れない。

「あっ、っんああっ、駄目っ! そんなところまでっ、……駄目っ……!」

 全てのふくらみが、全てのくぼみが、僕の愛おしむべき場所。だからひとつの例外もない。一番感じやすい場所をわざと避けて、その周辺を浅く深く刺激し続ける。別にいじめている訳じゃない、もっともっと感じて欲しいから。お嬢さんのかすれる声をたくさん聞きたい、僕のモノが限界を迎えるまで頑張りたい。

「ポチ、……ポチっ! こんなの言ってない、駄目、もうやめて。おかしくなっちゃう、おかしくなっちゃうから……!」

 お嬢さんの腰つきがたまらなくいやらしい。その部分をわざと僕の方に付きだしてきて、だけど肝心なことをどうしても言えずにいる。分かってる、全部分かってる。だけどまだあげない、たくさん我慢した方が良くなることを知ってるから。

「そろそろいいですか、お嬢さん。すごいですよ、何もしてないのにたくさん溢れてきて。こっちに向けてみましょう、月明かりに照らされるとてらてら光って本当に綺麗です……」

 無駄な肉などなく程よく引き締まった太ももをしっかりと抱えて、その部分を大きく開く。お嬢さんは声にならない叫びを上げて、恥ずかしそうに身をよじった。だけど、そんな仕草にもお構いなしに僕は何かを必死で求めているその部分に唇を寄せる。芳醇な香りが漂うその場所は、小刻みに痙攣し続けていた。

「……っ、ひゃああんっ……!」

 細い腰が大きく揺れて、下腹の辺りがびくびく大きく波打っている。恥ずかしそうに必死に逃げようとするのを無理に押さえ付けて、僕は存分にその部分を味わった。舌を使って大きく膨らんだ蕾を探り出し口に含む。先端を痛くないように甘噛みすると、お嬢さんはその瞬間に大きくのけぞった。

 そっと上体を起こして覗き込むと、その目尻からは涙がこぼれている。真っ赤になった顔をどうにか隠そうと身をよじるから、わざと後を追った。どうしよう、とても嬉しい。お嬢さんがこんなに感じてくれるなんて。

「いいですよね? 入れますよ」

 耳元で確認してから、腰を進める。僕の言葉をしっかりと受け止めたことで、お嬢さんはもっともっと感じてしまったみたいだ。その部分は想像以上にきつくて、なかなか僕自身が先に進まない。必死に押し戻そうとうごめくひだが悩ましくまとわりつき、それだけで昇天してしまいそうになる。

「……んっ、んああっー、お嬢さん……!」

 今度は僕の方が助けを乞う番だった。こんなにされちゃ、たまらない。すぐに限界が来てしまう。そりゃ、一度と言わずに何度でも愛し合いたい気持ちは満々だけど、だからといってあんまり早すぎるのは問題だ。ここはどうにか堪えなくては、だけどあまりに気持ちいい。言い古された台詞であるが「こんなの生まれて初めて」という感じか。

 我慢しなければと思えば思うほどに頭の中はぐるぐると回り、次第に現実と幻想の境が曖昧になっていく。どうしよう、このままじゃ。……さすがにまずい。

「ポチ、どうしたの?」

 辛いうめき声を上げて、僕がいきなり動きを止めたからであろう。お嬢さんが心配そうに訊ねてくる。大丈夫ですと答えようとする僕の眉間に脂汗が流れていった。

「そ、その……」

 限界は近いと言うことは、身をもって知っている。だが、……その。さすがにこのままではまずいのではないだろうか。いくら、一生でもお側に置いて欲しいと願っている御方ではあっても、それとこれとでは話が別。

「何だ、そんなの心配しなくていいよ」

 口籠もる僕が言いたいことを分かってくれたのか。お嬢さんは柔らかな胸の中に僕の頭を抱え込む。

「今日は絶対に安全な日だから、気にしないで。それに、……もしものことがあったって、ポチならいいよ。あたし、そう思ってる。だから、最後まで、して」

 ああ、やはりと思う。この人は、やはり僕の大切なお嬢さんだ。何もない裸のままの男を、こうして全て受け止めてくれる。それが分かっているから、この人のためにこの先どんな苦労でもしていきたいと思う。

「……本当に?」

 瞳と瞳が絡み合った刹那。僕たちはそんな場面になって初めてキスをした。順番が逆すぎて笑えて、それが妙に僕たちらしいなと思う。僕はこの人が好きだ、世界で一番好きだ。

「お嬢さん――」

 

 僕たちは、やがて全部溶け合ってひとつになった。心と身体を全部繋げて、二度と離れない存在になった―― 少なくとも、僕の方はそう思っていた。

 

***


「……ポチ、起きてる?」

 どれくらい時間が過ぎたのだろう。疲れた身体を畳の上に転がしたまま、長い間まどろんでいたらしい。元通りにひんやりと汗のひいた肩をお嬢さんの指先が辿る。くすぐったくて心地よい至福の時だ。夜明けもほど近いのだろう、窓の向こうはもう白み始めている。

「はい」

 下腹の辺りからむずむずと湧き上がってくる嬉しさ。ああ、本当に。本当に大好きなお嬢さんとひとつになれたんだ。そしてこれからもずっと一緒にいられるに違いない。そりゃ、親父さんはすぐには僕たちのことを許してはくれないだろう。でも、頑張るぞ。一人前として認めてもらえるその日まで、僕は決してくじけない。

 

 なのに。永遠の想いを込めて見つめたお嬢さんの顔は、僕とは確かに違う色をしていた。

 

「もういいよ、ポチ。あたしと父ちゃんのことは心配ないから、早く元の場所に戻りな。……あたしたちは、もう十分に良くしてもらったからね。そろそろ終わりにしなくちゃって、分かってたんだ」

 突然の言葉に呆然としているうちに、お嬢さんは僕の腕をするりとすり抜ける。そして、すぐ側にある押し入れを開けて、見覚えのあるクリーニング屋の袋を取り出した。その中に入っていたのは。

「ごめん、ポチがまだ意識のないうちに警察から拾得物として届けられていたんだ。財布とか、金目のものは全てなくなってたけど、後のものは全部ひと揃い。だから、……初めからあたしは知ってたんだ。ポチがあたしたちとは全然違う世界の人間だって。こんな立派なスーツを着て、仕事をしてるようなご身分なんだってことをね。もしかして、……ポチも途中からは色々思い出していたんじゃないのかい?」

 互いに向き合って座る。初めてこの部屋に入った、昨晩と同じように。真っ直ぐに僕を見つめる瞳。なかなか次の言葉が思いつかない。

「でも……もう僕は……」

 あの場所に戻っても、役に立たない人間なんです。もしかしたら待ってくれてる奴もいるかも知れないけど、そんなのほんの一握り。そんな場所には戻りたくない、ずっとここにいたい。

「駄目だよ、ポチ」

 それなのに、お嬢さんはきっぱりと僕を突き放す。どうして、さっきまではあんなに僕たち全てを分かり合っていたはずなのに。

「あたしには分かる、ポチのこと待ってる人がたくさんいるよ。その人たちはあたしや父ちゃんよりももっともっとポチのことを必要としている。だから戻らなくちゃ、父ちゃんにはあたしからちゃんと話しておくから、騒ぎにならないうちに出掛けるんだよ? こっちのことは心配いらない、あたしはポチが元気で頑張ってくれていれば、それだけで嬉しいから」

 スーツにはもちろん僕の名前が刺繍で入っている。お嬢さんはきっとそれを見たのだろう。それなのに、ずっとそのことには一言も触れずにいてくれた。

「帰りなさい、ポチ。そして、本当にやらなくてはならない仕事を最後まできちんとやり遂げるんだよ?」

 気付けば、止まらなくなった涙がクリーニングの袋の上に数え切れないほどこぼれていた。口惜しかった、だけど嬉しかった。たとえようのない気持ちが次から次から溢れてくる。

 

 お嬢さんは最後まで、僕にとても優しかった。

 

つづく♪

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