■2002年11月のある金曜日
滑らかな泡が身体を覆っていく。ポンプ容器から手のひらに取る時にはもう泡立っているボディーシャンプーはフローラル。その香りがふたり分には十分すぎるバスルームに充満していく。辺り一面を覆い尽くす湯気。視界はボーっと霞んで壁のタイルも見えない。
「は〜い、駄目だよ、猫背になったら良く洗えないだろ? せっかくのサービスなんだし、隅の隅まで綺麗にしてやるからさ」
後ろから声がする。身体をぴったりとくっつけるように後ろから抱きかかえられて、もう立っているのがやっと。日和の手は壁際の手すりをぎゅっと握りしめていた。
「やあっ…、もうっ…いいからっ…。やめてっ…!」
思わず身体をよじる。ボディースポンジとかタオルとかブラシとか色々用意されているのに、そう言うモノには目もくれず、彼は自分の手のひらだけを動かして白い裸体にシャボンの泡を塗りたくっていく。ただ触れられても十分刺激的な場所はいつもと違う感覚に、不思議なこそばゆさを覚えていた。
両方のふくらみを後ろから持ち上げるように揉まれ、頂をつまみ上げられる。何度も何度も飽きることなく滑らかに繰り返される行為に、身体が徐々に熱くなり反応していくのが分かる。
「やめない〜、せっかく一緒にお風呂はいれたのに、どうしてもうおしまいなの? いいだろ、こんな機会、滅多にないんだからさっ」
びくっと身体がしなる。後ろにいる男に身体の全てを預ける姿勢になって、ふたりの身体の距離がますます密着していく。雄王の舌が後ろからうなじを舐める。ゆっくりと味わうように這い回るそれが新しい刺激を運んでくる。身体の色々な部分が小さな爆発を起こしていくみたいだ。片方の手が胸を離れて徐々に下に降りていく。
「あっ…やっ…、やんっ…! ち、ちょっとぉっ…!」
おなかの上を丸く丸く撫でながら、徐々に下に降りていく。茂みに泡を立て、太股に塗りたくる。股の内側からするりするりと徐々に身体の中央に指先が這いあがって…。
「どう? 気持ちいい…? どれくらい感じちゃった?」
支えをなくしたら、今にも崩れ落ちそうな身体を嬉しそうに抱きかかえて、雄王がわざと卑猥な言葉を囁く。耳元を舐めるように濡れた声が籠もり、くすくすと笑い声が耳たぶをかすめる。「官能」という中年男性の喜びそうな世界が、自分に展開されているなんて。もう、信じられない。
「ちょっとっ…! 雄王っ…!!」
ずるっ、と割れ目を滑る指。どう見ても外的要因がもたらしたのではない雫を丹念に絡め取る。
「ここも綺麗にする? だよな、夜は長いんだし、もう十分に楽しまないとな〜…」
そう言って、泡を塗りたくろうとする。鋭い痛みが秘部に走って、日和は身体をくの字に折った。
「ひゃっ…、ああん、駄目っ…! そこはそんな風に洗っちゃっ…!!」
快感にむせいでいるのではない、今度だけは本当に足をぴっちり閉じて、それを阻止していた。
「何でだよ〜、いいじゃんか…」
雄王はなおも強引にこじ開けようとする。その押し問答のせいで、意図しないのに刺激されてしまった部分が熱くなっていく。
「あっ、あのねえっ…!!」
日和は振り返ると、にやけた男の顔にマジで睨み付けた。
「女性器はとてもデリケートに出来てるのっ! 男と違って中に入るように出来てるんだから、雑菌を防ぐために殺菌作用があるのよっ! 石鹸なんて使ったらその為の細菌が死んじゃうのっ! それが元でばい菌が入って化膿したり、カビが出たりすることだってあるんだからっ…そしたら、あんたにだってうつるわよっ…!」
わずかに残った理性で必死で訴える。本で得た知識だったが、一度かかってしまうとしつこいらしい。カンジタとか言うカビ、特におりものの量が多くなる妊婦が掛かりやすいのだという。
「へえ…、そうなんだぁ…」
こう言う時、しつこく食い下がったりはせずに、すんなりと話を聞くのがこの男の数少ない長所だと思う。こくこくと真顔で頷いてから、それじゃあ、とシャワーに手を伸ばす。コックをひねってお湯を出すと、それを日和のその部分に念入りに当てた。
「やっ…、あんっ、ちょっとっ…、いやっ…うっ…」
強めの水流に絶えず刺激され、また正常な感覚が遠のいていく。ぞくぞくっと何かが背筋を流れた時、ようやくシャワーが止んだ。
「じゃあ、泡はやめて…こうしますか。ふふ…すごく熱いぜ、いつもより感じちゃってるな〜」
片手は胸のふくらみを大きく撫でながら、もう片方で泉の中を突き立てていく。こう言う時だけ器用に動く指は結構長くてしなやかだ。もうとっくに知っている日和の一番弱い部分を何度も何度も刺激する。指を突き立てながらもちゃんと別の場所を刺激する。このマメさを日常生活に使った方がいいといつも思う。
「やっ、やっ…! あんっ…、ああっ…! ああんっ…っ!」
不自然な姿勢で身体がふわふわと宙を舞っている気がする。手を伸ばしても壁のタイルには届かず、唯一の支えを求めようとすれば、どうしても後ろに倒れ込むしかない。
…嵐の中の柳の枝のよう…。クラクラと目眩を覚えながら、それでも酔いしれている自分が口惜しかった。
◆◆◆
「ねえっ! ソフトクリームが食べたいっ!!」
ほんの数時間前のこと。日和はふたりが暮らす、と言うか彼女が転がり込んだ雄王のアパートのリビングで、そう叫んだ。
「…ひょえ?」
もう11月、晩秋になると言うのに、今日も汗だくでどろどろで戻ってきた雄王は、そのままバスルームに直行。シャワーを浴びて、これから一杯…と500の缶ビールを出して…今まさにプルトップに指をかけたところだった。タオルを掛けただけの上半身から、ふわふわと湯気が上がっている。
「私、今、すごくソフトクリームが食べたくなったのっ! ねえ、これからどっか食べにいこ?」
「は…?」
何故いきなりそんなことを…と、合点がいかないらしい。取りあえず、ビールを脇に置いて、雄王は後ろから日和の座っているソファーの背もたれに寄りかかった。
人間にはいくつかの生理的欲求があると言うが、その中でも不可解にして奥が深いのが食欲じゃないだろうか? 性欲だってそうだと言われるかも知れないが、あんなのは理由がどうであれ、結果としてやることは同じだ。多少のかたちに違いはあれど、結局のところ、突っ込むところに突っ込んでお互いが気持ちよくなればいい。
しかし、食欲は…そんな簡単なモノじゃない。少なくとも日和は家政系、更に言うなら食物学科を出ていることから言っても、「食べる」ことに関しては人一倍関心が強い。何もインテリぶったグルメと言うわけではないが、背後にいる「人の3倍食えばオッケー」と言うようなお気楽男とはちょっと違うのだ。
ソフトクリーム、と言っても、色々ある。彼女が好きなのはあるコンビニの商品だ。お店の入り口にちゃんとソフトクリームの張りぼてが置いてあるあそこ。雄王などはどれでも同じだと言うが、アパートの隣にあるコンビニのでは駄目なのだ。
食べ物の好みというのは難しい。どんなに好きで一時食べまくっても、それが過ぎると嫌いになったりする。だから、不変的に好きなモノは少ない。ちなみに「ニューヨークチーズケーキ」と「天然酵母コッペのメイプル&マーガリン」などは今は見たくもない感じだ。夢中になっていた頃は、夜中でもコンビニに買いに走ったのが嘘のようだ。
「ああんっ…、食べたいなあ〜〜〜!」
TVでは、「北の大地特集」をしている。日和と同世代の若いタレントがふたりで、旬の味覚を満喫している。もちろん、シーフードもいい。でも日和の目を釘付けにしたのは、牧場で彼女たちが口にした特製のソフトクリームだった。一日限定30個・売り切れごめん、そう言う稀少価値がそそられる。そう言えば、もう長いことソフトクリームを食べてない。そう思ったら、無性に欲しくなった。
「日和っちゃん…?」
さすがのお子様性格な雄王も、少し呆れ顔になる。二日間、連チャンで飲み会だった。だから、夜のお楽しみの方もご無沙汰だ。今日は心ゆくまで楽しもうと勢い込んで帰ってきた。なのに、日和と来たら、簡単な夕ご飯の支度をして、TVにしがみついてる。暮らしはじめて3ヶ月、お互いのことは少し分かってきたつもりだが、日和のこの突発的な行動には慣れてない。
そんな彼の戸惑いがとても分かりやすい空気になって感じられる。でも…ちょっと口に出してしまったら、ますます食べたくなった。あのコンビニが車で1時間や2時間掛かるところにしかなくても(最近、近場のが一軒潰れてしまったのだ。とても哀しい事件だった)、一応車がある、シーズンオフの夜の道は大して混んでないどころか、すかすかで車のライトも見えない。
「う〜〜〜〜っ!」
まあ、こんな場合。雄王が「おっしゃ、行ってやる」と言うことは少ない。この「ソフトクリームが食べたい」を3回分くらい溜めると、ボーナスチケットのように連れて行ってくれるのだ。日和はペーパーだから、運転なんて出来ないし。
今日のはほんの「貯金」のつもり、明日は土曜日だけど朝から部活だし…と思って立ち上がった。鍋を温めようとキッチンに向かいかけたら、背中から声が飛んだ。
「わ〜った、10分待って。支度するから」
…へ? びっくりして振り向いた時、もう彼は着替えるために隣りの部屋に消えていた。
◆◆◆
あのときに、気付くべきだったのかも知れない。
「二日もひとりにしたから、日和っちゃんも可哀想だし…」
な〜んて言いながら車のキーを取り出してきた男に、こんな下心があったとは…気付かなかったのが迂闊だった。ソフトクリームが食べられる嬉しさでその辺の思考回路が全て吹っ飛んでいたのか。
車で1時間、少し飛ばしてコンビニに着いて。そこでワッフルコーンのジャンボサイズのを注文してくれた。普通のコーンよりワッフルのカリカリが好きだ。でも、あれはおなかの空いている時でないと食べられない。途中でふくれて一杯になってしまうのだ。今夜は夕食がまだだったので良かった。
雄王がなにやらごそごそと食料を買い込んで、その上リポビタンDとかリゲインとか買い込んでいたけど「ああ、お疲れなのね…」とか優しいことを考えていたのだ。そうだ、どう考えても変だったのに。ああ、馬鹿馬鹿馬鹿。
程よくおなかも満たされて、優しく流れるカーステのポップスを聴きながら、戻りはちょっとうとうとした。
「日和ちゃん、ご到着〜〜〜っ!」
と言われて、…え? と目を開けた。そして、目の前にそびえ立っていた、妙に明るいお城の様な建物。車から降りた日和は、もう何が何だか…という感じ。言葉をなくして立ちつくした。
「ふふ〜ん、前払いだもん、今更、引き返せないからね〜」
慌てて振り向くと、敷地の入り口に丁度パーキングの券売所みたいな建物がある。そこで部屋を取ってお金を払い、部屋の前の駐車スペースに泊めるかたちになっている。受付とか通らなくて直接部屋に上がれるのだ。こう言うところはあまり人と顔を合わせたくないし…。…ちょっと待て!?
「ねえっ!! こんなお金どっから出てきたのよっ! 飲み会でスッカラカンじゃなかったのっ!?」
そうだ、そうだったわっ!! 信じられない、まさかあんなに駄目だと言ったのに、キャッシングに手を出したんじゃないでしょうねっ! このえろ男だったら、それくらいはやりそうだ。
「ちっがいま〜すっ! 夏休みの日額特殊勤務手当が出たんで〜す。さんまんえんで〜す」
…そうか、それがあったか。部活などで休日に出勤すると、特別手当が付く。まあ、全部の出勤日に付けているとクレームが来るらしく、特別の練習試合で遠征した時とか、そう言う時に申告するみたい。さすがに夏休みは色々と出歩いたから、その分多かったのか。そこまでチェックしてなかったが、しっかりポケットマネーにしていたらしい…。
雄王は勢いよくドアを閉めてロックした。それからこちらを振り向いて、にやりと不敵に微笑んだ。
◆◆◆
別にラブホが珍しかったわけではない。でも、都会のそう言う場所はもっとこぢんまりしていて、内装もシックだった。よく、彼氏と旅行に行った友達が地方はすごいと言っていたけど…これか。山の中腹、何もないような場所に忽然と現れるお城。本当にお城。とんがり屋根はピンク色、ついでに壁は白。それをよせばいいのに夜間照明がこうこうと照らし上げてる。
中に入って、また驚いた。内壁が全面鏡張り。天井にまで鏡張り。何が何だか、ものすごい悪趣味だ。なのに少女趣味な白い桟の格子窓。ピンクのカーテンはフリル付き。もちろん、重ねられたレースのカーテンもドレープがきいていて怖いくらいだ。
どどんと部屋の中央を陣取るベッドは今時円形で回転式。ひ〜〜〜〜、こんなのもう伝説じゃなかったのっ!? もちろんカバーはピンク。フリル付き。ここまで来ると、赤くなるどころか青ざめてしまった。でもそんな日和には全然構わず、雄王は嬉しそうに部屋中を散策する。もう、えっちチャンネル全開のプラズマTVとか、怪しげなグッズのカタログとか、うきうきと眺めて。
そんな恋人(…だよなあ、やっぱ)の姿をしら〜っと眺めて、そのまま、鏡の天井に目をやると、何か見慣れないモノが見える。何だ、あのフックは。あそこから何をつり下げるというのだ…何を…。
…おいおい、まさかもう鬼畜に走るのかっ!? そんな3ヶ月目の恋人にそれはないだろう。あんた、そんなにあっちの趣味があったのっ! だったら、降りるぞ〜〜〜〜〜…!! そう思ってじろっと睨み付けたら、雄王はにこにこ笑いながら言った。
「何、期待してんの? いや〜思いがけない臨時収入でさ、まだもうちょっと残ってるんだけど。ご希望があったら、注文するよ?」
「ちょっ…!!!」
いい加減にしなさいよっ!! と叫んでやるつもりだった。でも振り上げた腕を難なく掴まれる。
「ここさ、風呂が健康ランド並みにすごいんだって。それがうたい文句なんだから、まずはゆっくり疲れを取ろうぜ? だって、日和ちゃん、家だと絶対一緒に入ってくれないし〜」
よくよく聞けば、明日は監督先生の都合で部活が休みになったと言うじゃないか。実は全て仕組まれていたのかっ!? ワガママを聞いてくれる優しい男だと思ったのに…のに…。
バスルームに連行される頃にはもう情けないやら哀しいやらで、日和は頭のネジがもう3つくらい抜けていた。
◆◆◆