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サイト開設5周年記念企画
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17.In my diary


 フェンス越しにはためく、白い布。

 大通りを渡り終えてすぐに目に付いた「それ」。まるで大海原をゆったりと進んでいく帆船を思わせるようにたっぷりと風を受けている。

 

 ―― あれは、もしや。

 

 次の瞬間には、すでに全速力で走り出していた。

 遙か向こうに見えるその地点までの距離は、ざっと見積もって数百メートル。真夏の炎天下で周囲にはそれを遮るものがひとつもない悲惨な状態であっても、己の足を止めるわけにはいかなかった。

 今すぐにでも大声で叫びたい衝動に駆られるが、それは自分の中にある大人の理性を最大限集結させてどうにか留める。昼下がりの住宅街、すだれやよしずで日よけをした部屋でくつろぐ住民たちはみんな心地よいうたた寝に興じているはずだ。

 あああっ、もうっ! 何なんだよ、このぐにゃぐにゃ走りにくい細道は……! これじゃあ、まるで自動車教習所のようじゃないか。誰が考えたのか知らないが、こんなにギザギザの区画で本当に買い手は見つかるのだろうか。そんなことを何もオレが心配する筋合いもないのだが、ここの分譲地は半分以上空き地で残っているのが現状だから気になって仕方ない。

 

 そして。

 ようやくもう少しで目的地にたどり着くというそのとき。ばたばたと音を立てて翻る白布―― それはやはり我が家のベッドに毎日敷かれているクマ柄のシーツに他ならなかったのだが―― を飛び越えて、黄色いボールが路上まで転がってきた。

「……?」

 拾い上げるまでもなく、これも我が家の持ち物だと言うことは明らか。最初に部屋に転がっているのを目撃したときから、何とも謎に包まれた物体であった。多分、これも「ボール」と呼ばれる子供の遊び道具だと思われる。柔らかくて、手に馴染みやすくて、どの家のおもちゃ箱にもひとつと言わずふたつもみっつも入っていそうなカラー・ボール。
  だが、違うのだ。オレンジがかった黄色のこれには、何故か耳がふたつくっついている。いわゆるクマの耳、半円型のちょこんと可愛い奴だ。他にもウサギ耳や猫耳もあったと言っていたが、これを買い求めた人間はそれらには何の興味も関心も示していなかったと思う。

 

 そう、……この世でオレが知る限り他の誰よりも、クマという響きに敏感な人間……。

 

「あ〜、お帰りっ! どうしたの保くんっ、今日はすごい早いお帰りだねーっ!」

 シーツの端がぺろんとまくれ上がって、そこから顔を出した彼女。くりくりの瞳に相変わらずのポニーテール。Tシャツに膝上スパッツという軽装だ。

 

 ……いや、それは別にいいんだが。それだけなら、まだいいんだが。

 

「あの、……なずな? 何をしているのかな、君たちは……」

 クマボールを変形するくらい握りしめて、オレは大声で叫びたい気持ちを再び抑え込んだ。ああ、何て大人な姿だろう。この頃ではようやく外回り用のスーツ姿も様になってきたと周囲から言われるが、やはり内面からにじみ出るものがあるのではないかと思われる。

「えーっ、そりゃ決まってるでしょ? 見て分からない、水遊びーっ! だって、もう部屋にいても汗だらだら。いくら、シー坊がお散歩行きたいって言ったって無理でしょ? もう、これっきゃないかなーって……」

「……」

「保くんが、水着着ちゃ駄目って言ったから、私は服のままだしーっ。それに、今度はちゃんと目隠しもしたしーっ……」

「……」

 大きく息を吸って、それから吐いて。何度も何度もそれを繰り返してるオレの姿を見て、彼女も少しは空気を読んだんだろう。身長差から見上げる瞳はこちらを探る気持ちを露わにしていて、でもだからといって「可愛い」と言えない光景だ。

「―― 撤収」

 それだけ呟いて、オレは妻子を残して一足先に部屋に戻った。

 

 どこまでも忍耐強いなあと、我ながら呆れるほどである。いくらアパートの大家さんのご厚意で、表の庭にビニールプールを置かせて貰えるとは言っても、これはやりすぎ。少しは自分の年齢と立場を考えて欲しい。

 確かに去年の夏、ビニールプールではしゃいでいた妻の姿を見たときは面食らった。

 そりゃ、「子供と一緒に」という大義名分はある。だが、どうしてクマ柄のビキニを着ているんだ、ビキニを……! アパートの表庭は通りから丸見え。丁度オレが通りかかったから良かったようなものの、そのまま放置していたら大変なことになっていたと思う。

 そして、今回。悲劇は再び繰り返される。

 夏の終わりに3歳になる我が家の長男・標(しるべ)がまき散らした水しぶきを頭からかぶったのであろう、妻のTシャツの前面は見事にスケスケ。まさかと思ったが、やはりノーブラだ。本当に何を考えているのやら。

「えー、だって。言われた通りに目隠しもしたし。だいたい、見られたって減るものでもないじゃない。濡らされると乾くの時間掛かるしー、このサイズのブラって枚数持ってないんだもの。夕方のお買い物の時は付けてた方がいいかと思ってーっ……」

 とりあえず、反省はしているらしい。外回りの合間に家に立ち寄った夫に、彼女は神妙な面持ちで麦茶を入れてくれる。いや、ただ冷蔵庫から作り置きのポットを取り出してコップに注いだだけではあるが。

「また、そうやって言い訳する。あのな、なずなは見られてもいいかもしれないけど、間違えて見てしまった方は気の毒だよ。何が悲しくて、妊婦のセミヌードなんて見たいかな? だいたいな、力仕事はやめろって言ってるだろ。こっちだって今はかき入れ時で忙しいんだから、なるべく予定日まで腹の中にいれといてくれって言ったはずだよ?」

 なるべく感情は抑えたつもりであるが、あの姿を目の当たりにしたときは顔から火が吹き出るかと思った。何というか……白地のシャツだと、……そのっ。その部分の形だけじゃなくて色とかもはっきりくっきりだったりするんだが。本人、普段はどっちかというと貧乳で悩んでいるくらいだから、気にしてないんだろうな。今は第二子を妊娠中だから人並みになってると言うことをすっかり忘れている。

「またーっ、そうやって威張るーっ!」

 思わぬ時間に父親が戻ってきたので大はしゃぎだった息子は、それまでの水遊びの疲れもあってかあっという間に昼寝に入ってしまった。8月生まれだから、三年保育で入園させるとしてもまだ半年以上。誰に似たんだか豆鉄砲のような弾け方のチビ怪獣と四六時中一緒にいる妻の苦労も分からないではない。

 だが、セミヌードはやめろ、あれは犯罪だ。こんなことしてると、今にマジで警察が来るぞ。

「だいたいさ、私の計画ではすでに『くまちゃん二号』は産まれてて、今頃あたしは実家でのんびりと静養中だったはずなのよ? シー坊はお母さんに任せてさ。それなのにさ、保くんが二度も三度も打ち損じするからー。何ヶ月もかかっているうちに、またも真夏越えの出産になっちゃったじゃない。家族も増えるから経済しなくちゃって、頑張ってクーラーも使わないようにしてるのにーっ……」

 彼女の方も負けじとばかり応戦に出る。

 だが、何だそれは。そりゃ、言ってることは正しいが、そこまで突っ込まれてもどうにもならない。子供なんて天からの授かりもの、計画通りに全てが運ぶわけはないだろう。だいたい「今夜がバッチ・グー」と自分で言っておきながら、一度ならず二度までも寝オチしたのはそっちの方だろうが。一日ずらして当てろと言われても困るぞ。

 

 まあ行き当たりばったりも、予想外の成り行きもありがち。そう言うものに振り回されたからこそ今のふたりでいるって感じかな。……いや、そろそろ4人家族になるんだけど。本当にここまで来ると、オレもすごいなあと自分で感心したりする。

 なずなと知り合って、それからずっと。ケンカしたり仲直りしたり、何となく気まずくなったり修復したり、そういうことを繰り返してる。だけど、いつもオレの一番側には彼女がいて、彼女の一番側にはオレがいて。物理的にだけじゃなくて精神的にも一番身近な存在だと思ってる。こうやって、これからもずっと一緒にいるんだろうな。それが何よりだな、とか。

 近頃では、息子の好みで選んだロボットとかのおもちゃも増えてきて、この部屋も100%なずな色じゃなくなってきた。未練がましく紙製のクマ耳がセロテープで付いていたりするが、そんなものは目ざとく見つけた息子によってあっという間にばりばりとはがされる。また、秋からはさらに状況が変化していくんだろうな。

 

「はいはいはい、……もう分かったから。この話はお終いっ!」

 少し緩めてあったネクタイを、もう一度きっちり締め直す。

 あまりゆっくりしてるのも良くないからな、早いところ店に戻らなくては。この頃では新人研修とかも任される身の上になったんだから、こっちも暇じゃないんだ。ノルマも増えたし、後輩の失敗まで肩代わりしなくてはならなかったりするし。頑張ってるんだからな、これでも。

「えーっ、もう帰るの?」

 こっちが話を切り上げようとしてるのに、今度はすり寄ってくるんだから。スイカのおなかがつっかえて、いつもながら妙な感じだ。

「せっかくさ、久しぶりにふたりっきりなんだもの。もうちょっと、側にいてよ。……駄目?」

「―― 駄目」

 軽く突き放したら、今にも泣き出しそうな顔になる。だけどそろそろタイムリミット、やっぱ家が心配でつい立ち寄ってしまったけど、こういうのってずるずるしそうで良くないな。メールくらいにしておけば良かったかなと少し後悔する。

「……じゃ、本当に行くから」

 鼻先に軽くキスしたら、そこじゃ嫌だよって唇を尖らせる。まったくいくつなんだよと言いたくなるけど、やっぱり可愛くて仕方ない。

 

 何気ないやりとりを重ねて、それでもその中に大切なお互いがあること。

「家族」だけど「恋人」で、「恋人」だけど「家族」で。ひとつの言葉だけではくくれない関係が、どこまでも続いていく。

 

「出来るだけ早く帰るから。……それまではちゃんと『お母さん』してるんだよ?」

 息が続く限りの長いキスのあとそう言ったら。彼女は一瞬だけムッと顔をしかめてから、今日の夏空みたいににっこりと笑った。

おしまい♪ (060725)

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お題提供◇hana様
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「2003☆おひさまかるた」で連作小話をした「くまちゃんが好きっ!」のファミリーです。
あれから3年、着実に?時を重ねてこうなりました。なずな、また臨月のようです(苦笑)。

「In my diary」はSkoop On Somebodyのアルバム『Pianoforte』に収録されている曲のタイトル。
男性視点の優しい語り口の一曲で、何とも照れくさくてあったかい感じでした。
このイメージは誰かなーと思って辿り着いたのが保。
電気屋さんのはっぴも外回り用のスーツもお似合いの彼ですv