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36.期間限定


 ぐるぐると天井が回っている。どうにか寝台から身を起こしてみても、荒海を彷徨う小舟に揺られている心地。とにかく激しい頭痛と吐き気。もう一度横になろうと思ったが、その姿勢が一番楽かどうかも自分自身では判断が付かなかった。

 ―― 完璧な二日酔い。

 そんなことは改めて考えるまでもない。安酒が身体に悪いというのは本当だったのか、何しろここまでの深酒は生まれて初めてのことである。何事も経験とは言われるが、こんな経験は出来れば一生したくなかった。

「お客様ですー! ご主人様、お客様がお待ちですーっ!」

 と。

 天井近くから聞こえてくる、何ともお気楽な声。以前からけたたましい音量だとは思っていたが、今日はさらに耐え難い。後頭部をハンマーで思い切り殴られている心地がする。

 ああ、しまった。そう言えば、昨夜は扉に就寝前の呪文を掛けるのを忘れていた気がする。こっちは久々のオフ、しっかりと身体を休めたい。特に人に会うのはごめんだ、誰かと話をするのも煩わしくて仕方ない。

「お客様ですー! ご主人様、お客様ですよーっ!」

 全く、安物の扉はこれだか困る。所持金で購入できるのがそれしかなかったのだから仕方がないが、こっちの都合も考えずにまくし立てられてはかなわない。その上、奴は大サービスとばかりに呼び鈴まで勝手に鳴らし出した。これでは頭蓋骨にヒビが入ってしまう、これ以上の我慢は出来ない。

「分かった、……すぐに出るから静かにしてくれ」

 あまり性能の良くない扉ではあるが、とりあえずこちらの意向は通じたらしい。カチリと鈍い音がして、しばしの静寂が訪れた。しかしこれもそう長くは続かない、今度は待機時間が自由に設定できるものを手に入れたいものである。

 本当ならば、二本足で歩くのも辛い状況であった。四つ足で這っていきたいのはやまやまであったが、そこは己の自尊心が許さない。寝間着の上から長いローブを羽織り、壁の鏡で髪の乱れを整えた。黒々とした髪は短く切り揃えてある。同僚の中には腰まで長く伸ばしている者も少なくないが、無駄に艶めいて見苦しいったらありゃしない。あんなのは手入れを怠る貧乏人の髪型だと思う。

「誰だ、こちらは今日は休みで――」

 手元以外にも天井近くと床に二カ所の隠し鍵を忍ばせている。その全てを慣れた手つきで解除すると、彼は眉間にしわを寄せたままドアを乱暴に押し開けた。

 しかし。

 目の前にあるはずの人影はない。確かにドアは来客を告げたのに、とうとう故障したのか。この短時間に立ち去るような気短な者もないだろう。そう思ったが鬱蒼と木々の連なった道の向こうまで伸び上がって視線を向けてみた。

「こんにちは」

 その声が聞こえたのは、予想に反してごくごく地面に近い場所からである。さすがにそこまでは確認していなかった。慌てて目線を下げてみると、そこにいたのは真っ白な子猫。

「随分ごゆっくりですね、せっかくのお休みならば布団干しでもすればいいのに」

 

 別に猫がしゃべるくらい、今更驚くほどのことではない。

 人型以外の生き物が自在に言葉を操ることはこの地では当然のこと。森向こうに住居を構える男などは猫に加え空を飛ぶコウモリまで仲間にしているほどだ。
  仕事の行き帰りの道中に必ず通り過ぎる場所であるが、その騒々しいことと言ったら。よくもまあ、好き好んであんな状況に身を置いているものだと呆れてしまう。大体あの男と言ったら――……。

 いや、いけないいけない。

 せっかくの休みにあんな奴のことをわざわざ思い出す必要がどこにある。ただですら気分が優れないのに、これ以上悪化させるのは避けたい。

「ほら、客人。とりあえず、これを飲め」

 小鉢に牛の乳を注いで床に置いてやる。自分には畜生の知り合いなどないし、目の前にいる「猫」はそれこそ縁もゆかりもない存在ではあった。だが「扉」が客人だと言うなら、もてなすしかないだろう。

「いただきます」

 首に山吹色の細紐を結んでいる白猫は、礼儀正しくそう告げると器に顔を突っ込んだ。その姿を見届けてから、彼は物音を立てないように辺りの片づけを始める。何しろこの頃はとみに忙しく、自室の整頓などに心を砕く暇はなかった。ああ、いつの間にこんなに荒れていたのか。これでは心までが荒んでいくのも無理はない。

「とても美味しいです、相変わらず良いものを揃えているのですね」

 バラ色の舌をつるんと出して、口の周りの雫を舐め取っている。その口端が少し持ち上がって、まるで笑っているように見えた。エメラルド色の大きな瞳がキラキラと輝いている。
  首元には細紐に通された小さな鈴が下げられていて、首の角度を変えるたびにそれがころんころんと滑らかな音を立てた。子守歌のようなやさしい音色である。

「そりゃそうだ、私は一級品しか好まん」

 何気なくそう応えたあとで、ふと違和感を覚えた。何だ、コイツは。まるで以前から自分のことを知っているような口振りではないか。はて、どこでこのような猫と馴染みになっていたか。それにしては相手も他人行儀な態度である。

「ごちそうさまでした」

 あっという間に全てを飲み干して、猫は嬉しそうに喉をごろごろ鳴らした。全くおめでたい奴だ、これくらいのことでこんなに喜んで。だから単純な生き物は苦労がなくていい。

 しかし真っ直ぐな瞳でこちらを見つめた猫は、そのあと信じられないことをのたまった。

「お礼に昼食をご馳走しましょう、ちょっと炊事場をお借りしていいですか?」

 その表情はどこまでも真剣で、とても冗談を言っているようには思えない。だが、普通に考えて変だ。どうやって猫の手でナイフを握るというのだ。大鍋の蓋を開けて中を覗いたら、そのまま煮え湯の中に落っこちてしまうじゃないか。

「大丈夫ですよ、慣れてますから」

 まるでこちらの心の中を分かっているように、猫はきっぱりとそう言い切る。そして主が場所を告げないうちに裏の勝手口から外に出て行った。

 

 パチパチと火のはぜる音がする。わざわざ表口から外に出てぐるりと家の周りを歩いていった。ああ、そうか。今年も季節が巡ってきたのか。あまりの深酔いに気付くのが遅れたが、まず間違いはないだろう。

 気付かれないように覗いてみれば、猫は器用に灰をかきだしてかまどの様子をうかがっている。上にかけられた大鍋はぐつぐつと美味しそうな音を立てていた。

「何、回りくどいことをしてるんだ」

 猫はハッとしてこちらを振り向いた。そして、嬉しそうにも悲しそうにも見える不思議な表情をする。

「あら、もう分かっちゃったの。上手に気配を消したつもりだったんだけどなあ……」

 その言葉と共に視界が揺らぎ、思わず目を細める。

 もう一度はっきりと全てを確かめることが出来たとき、彼の目の前にはひとりの少女が立っていた。漆黒の髪にエメラルドの瞳、それは彼の姿ととてもよく似ている。

「やっぱりラギにはかなわないや、もうちょっと楽しみたかったのにな」

 そして彼女は、こちらがすっかりと忘れていた懐かしい笑顔になる。

「せっかくのお休みに悪かったよ。でもこんな偶然、百年に一度あるかないかだもんね。待ちきれなくて朝から押しかけちゃった、寝てるのは分かってたんだけど」

 一秒でも長く見つめられていたいから。

 彼女はそう言いかけて、また言葉を止めた。

「一年ぶりなのか?」

 こちらの問いかけに、ゆっくりと首を横に振る。

「ううん、三年ぶり。だって去年と一昨年はラギが当直で戻ってこなかった」

 一度鍋の中を確かめて、それから彼女は静かに彼の目の前まで歩み寄る。

「あんまり、……無理しちゃ駄目だよ? しばらく会わないうちに、また痩せたみたい。そんなに頑張り過ぎなくてもいいのに」

 一体、どこまで知っているのだろう。彼女は自分の弱さを全て分かっていて会いに来たのか。だが、そうだとしてもどうして弱音を吐くことなど出来る? まだ何も手に入れてはいないのに。

「お前だって、かなり疲れてるようだぞ。料理が一段落したら、少し休むといい」

 またひとつ頭を振る首筋に、指を当てる。その刹那、彼女の身体から力が抜けていく。羽根のように軽い身体を抱き上げて寝台に運びながら、彼は小さく溜息をついた。

 

 四方を山で囲まれた、貧しい土地。住民たちが皆で肩を寄せ合って暮らしているその村に、思いがけない幸運が訪れた。ある年若い村人の才が大臣の目に留まり、都に出仕できることになったのである。

  もちろん皆は大喜びで少ない蓄えを出し合って旅支度をさせた。しかし当の本人の顔色は冴えない、そのような職について自分がやっていけるのか不安で仕方がないと言う。もともとが真面目な気質で、心にゆとりと言う者がない。あっという間に思い詰めて、彼はとうとうとんでもない行動に出た。

 ―― 都で成功するまで、二度と村には帰らない。雑念を振り払うために、ここでのことは全て忘れる。いや、それだけでは足りない。皆の姿がこの目に映らぬようにしてしまおう。そうすれば一心に仕事に打ち込めるはずだ。

 森の奥の湖の向こうに、小さな祠がある。そこでは一千年とも二千年とも言われているこの地の生涯でただ一度だけ、どんな願いでも叶えられると言われていた。

「もう……夕暮れなんだ」

 ぼんやりと目を開けた彼女が、恨めしそうにそう告げた。

「いっぱい話したいことがあったのに、どうして起こしてくれなかったの。ラギは私のことを忘れても、私はラギのことを覚えていられるんだよ。だから、……わざわざやってきたのに」

 ふくれっ面の頬を指でつつくと、彼は用意していたものを取り出した。何に使うかも分からぬままに無意識で求めていた細紐。今年はうす桃色だ。彼女の髪に結ばれていた山吹色を丁寧にほどくと、同じ場所に新しいものを結んでいく。

 明日になれば。

 部屋の片隅に掛けられた山吹色の細紐が一体誰のものであるのかを忘れてしまう。そしてまた一年、全てを忘れて仕事に打ち込んで行くのだ。

 ―― 春の一番始めの一日だけ、新月の登る時間まで。

 自分の心に花を一輪植えるために、彼女ははるばるやってくる。それをもう、何百年も続けているのだ。どうして拒むことなど出来るだろう、大人の男でも大変な道のりをただひとりで往復する苦労は想像にあまりある。

「いいんだ」

 もう、持ちきれないほどのものを受け取った。自らに掛けてしまった呪いが解けるその日まで、この身を削りながら生きていくしかない。

「アカネの寝顔を久しぶりにゆっくりと眺めることが出来た。今年は良いことが起こりそうな気がするよ」

 大王の直属、ただひとつの十二使の椅子を争った戦いには僅差で敗れた。しかもあのお気楽な脳天気男にである。確かに彼の方が何百年か年上であるが、こちらの方がずっと優れていると信じていた。だが、過ぎたことをいつまで悔やんでいても仕方がない。また新しい道を探せばよいのだから。

「うん、じゃあまた。楽しみに待ってるね」

 夕焼けの赤に静かに溶けていく面影、差し出された手のひらをそっと握り返す。最後に残るぬくもりを、彼はどうにか胸の奥に植え付けようとした。

了(070307)

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お題提供◇アオイ様
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珍しくいくつもネタが浮かんできて、どれを書こうか楽しく悩んでしまいました。
別に説明するほどのことではありませんが、このお話は「05.閻魔大王」と同じ世界が舞台になります。
前作の彼もちらっと出てきてますが、そこは作者の密かな楽しみと言うことで(笑)。
内容自体はちょっと可哀想ですよね、このふたりがいつか幸せになったらいいなと思います。