2002年6月1日発行 No.408
巻頭言より
「若者は幻を 老人は夢を」
島 隆三
「神は言われる。
終りの時に、
わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
若者は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒言行録 2・17)
現代の若者には夢がないという。大人たちが若者に夢を与えるような社会を作ることができていない。これは間違いなく大人の責任であるが、だからといって「さあ、子ども達に夢を与えよう」などとスローガンを掲げても、それは無理である。自分たちにも夢や希望もないのに、どうして子ども達ばかりに夢を与えることができようか。
一口に夢と言っても、はかない夢もある。
豊臣秀吉は天下人になることを夢見てついにそれは実現したが、彼の有名な辞世の句は、
露とおち露と消えぬるわが身かな 浪花のことは夢のまた夢
天下を取っても過ぎてしまえば一夜の儚い夢であったと言わざるを得なかった。
しかし、聖書が語っている夢は、そんな儚い夢ではない。神の霊が我らに注がれて見る夢は、永遠につながり、また必ず実現する夢である。私たちが求めているのは、そのような夢でありビジョンである。
高齢者問題ビジョンチーム
去る教会総会で、高齢者の問題が語られた。社会の高齢化は急速に進んでいる。教会がこの現実と取り組まないでおられるはずがない。次世代を背負う若者の伝道を常に考えるのが教会であるが、同時に、教会は高齢者にも夢を与えることができるはずである。現代の社会を覆う閉塞感を打ち破るのは、神から来るビジョン以外にはないであろう。
総会での提言を受けて、今年度はもう一度ビジョン委員会を発足させることが5月の役員会で決まった。以前のような漠然としたビジョン委員会ではなく、高齢者問題に焦点を絞ったもので、ヤング伝道チームならぬ老人伝道チームと言ってもよいかもしれない。ただ、狭い意味での伝道ではなく、昔とは違って20年、30年の熟年期間を生きるようになったお年寄りが、どのような充実した日々を送ることが出来るかという大きな課題と取り組もうとするのである。それは今日のあなたの問題であり、明日の私の課題である。
わたしの夢
教会のビジョンは委員会にお任せして、私のビジョンを語ることをお許し願いたい。
20年も前になるが、ある人から「あなたは若い人を育てる賜物を神から与えられているかもしれない」と言われた。それはどういう意味だろうと思い巡らしていたが、思いがけなく東京聖書学校長の役目を仰せつかった。この大役が自分に相応しいとうぬぼれてはいないが、これが神から出たことであれば、何か神のご計画があるに相違ないとこの頃は思うようになった。そして祈りのうちに摂理的に導かれていることがいくつかある。
@ 信徒伝道学校を開く。
A 聖書や神学を学ぶだけではなく、伝道を実践する場となるように。(昔、神田の中央福音伝道館と聖書学校が併設された様に)
B 聖書学校の家族寮を建てる。
C そこに隠退教師の部屋を併設し、神学生との交わりの場とする。
D 校長や舎監は全国を問安して、学校と教会のパイプを太くし、献身者が起こされるように努める。
まだまだ夢のような話であるが、その夢 を語るのがこの巻頭言の目的である。皆さんのお祈りの助けを頂きたい。