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2004年11月1日発行 No.437 

人生の目的と教会の目的(1)

                            金田 佐久子

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。  (エフェソ2・10)

 来年1月には12回目を迎える超教派の「小牧者コンベンション」という集いに、ここ数年続けて参加し、教会形成を学んでいます。様々なプログラムが準備されており、いろいろな切り口から学ぶことができ、毎回刺激を受けています。聖会、講義、教会での取り組みのケーススタディ、小グループに分かれての聖書研究、テーマ別分科会などです。今年はこのテーマ別分科会で、岡野俊之師(聖書キリスト教会グレイスホーム牧師)の「生活伝道から愛の共同体へ」に参加し、求めていたものの輪郭が見えて、希望が与えられました。少し分かち合います。

 生活伝道とは、特別な技術や方法ではなく、普段生活している場で身近な人に証をすること。夫に伝道したいなら、妻として生活していればいい。父親に伝道したかったら、息子として生活していればそれでいい。会社で同僚に伝道したかったら、会社員としてなすべき仕事をし、その同僚と交わりを持ちながら、仕事をすればいい。
 ではなぜ伝道になるのか。例えば、神を知らない妻が夫に接する接し方と、クリスチャンの妻が夫に接する接し方は違ってくる。クリスチャンの生活は、御言葉に生きるものであるから。
ある奥さんが先に救われ洗礼を受けた。しばらくして、ご主人が教会に来た。なぜか。「教会に行きだしたら妻が変わった。俺を責めなくなった。自分も疲れているのにいたわってくれるようになった。いったいどんな人たちが集まっているのか」と、ご主人は教会を訪れた。その後、そのご主人も救われた。
 主イエスは人を集めようとはなさらず「行きなさい。福音を宣べ伝えなさい」と言われた。人目を避けるサマリアの女や、のけ者にされていたザアカイを訪れた。わたしたちも身近にいる未信者に福音を届けられたら素晴らしい・・・。

 次々と証を交えて語られる言葉には説得力がありました。岡野師は、「わたしたちの教会の特徴は『愛』です」とおっしゃいました。愛の交わりで、信徒は養い育てられています。岡野師は「生活伝道は難しくない」と断言されておられますが、このテーマでの講師が他に立てられていないことを見ると、生活伝道の実を結ぶには時間がかかると思います。
 この講義を聴いて輪郭が見えてきたというのは、既に書きましたように、わたしたち一人一人の成長と教会の成長は連動していること、それは愛においての成長であるということです。別の言い方をすれば、御言葉に生きる人になる、御言葉に生きる教会になることです。
 今まで教会の目標、目的・使命について述べてきました。
 @礼拝(神を礼拝するために)
 A伝道(福音宣教のために)
 B交わり(交わりのために)
 C奉仕(仕えるために)
 D教育(信徒を養い訓練するために)
「教会が何のために存在するのか」という教会の目的と、「わたしは何のために存在するのか」という人生の目的とは、重なり合うはずです。教会の目的が個人のレベルでどういうことなのかを示し、共に理解したいと思います。ここでは、信仰の先達の言葉をお借りします。(リック・ウォレン「人生を導く5つの目的」より)
 @あなたは神の喜びのために造られた(神を礼拝するために)
 Aあなたは使命のために造られた(宣教のために)
 Bあなたは神の家族となるために造られた(交わりのために)
 Cあなたは神に仕えるために造られた(仕えるために)
 Dあなたはキリストのようになるために造られた(養い育てられ成長するために)
この5つの目的の中に「御言葉に生きる人になる」、という内容が要約されているのです。

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