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2011年 9月 1日発行 No519
神は共にいてくださる
金田 佐久子
ユースバイブルキャンプ
今月号には、夏のユースバイブルキャンプの感想文が載っています。キャンプのテーマは、「私はあなたと共にいる―モーセの生涯」。神はモーセに語ってくださいました。「わたしは必ずあなたと共にいる」(出エジプト3・12)。旧約聖書の出エジプト記から申命記までたどりながら、常にモーセと共にいてくださった神を仰ぎました。
緑豊かで静かなキャンプ会場でした(日光オリーブの里)。すがすがしい空気に包まれ、朝晩はとても涼しくて驚きました。きれいなチャペルでは声高らかに思い切り賛美できました。じっくりと聖書の説き明かしに聞き入りました。一緒に体を動かして遊び、同世代のグループに分かれて楽しい分団もありました。他の教会の人たちに出会い、語り合いました。ゆったりしたプログラムで自由時間ものびのびと楽しみました。キャンプスタッフの皆様の優しさと心配りが行き届いていました。
このように、安心して喜び楽しむ時を過ごせるとは、幸せなことです。若いときは、感性がやわらかくみずみずしい時代です。体全部で吸収していきます。きっと子供たちそれぞれの心の奥深くに、神の恵みのみ言葉が沁みこんだことでしょう。「神は常にわたしと共にいてくださる」、こう確信できるならば、それは、これからの人生を歩む上でなくてならぬ助けとなるでしょう。
子供の一年は、大人の一年とは違います。わたしの場合ですと44分の一になりますが、中学一年のお友だちなら13分の一、もっと年が若くなればなおさらです。それだけ人生において、濃厚な時を過ごしているのです。重みのある時なのです。その幼いとき、若い日々に、常に共にいてくださる救いの神とお出会いできますようにと、切に祈ります。
高齢の方と共に
先月はもう一つ、夏の集会に参加しました。第58回こころの友伝道全国大会です(会場は御殿場東山荘YMCA)。2日目の朝、早天祈祷会の説教の奉仕がありました。説教の中の証で「以前、ご高齢の信仰の先輩が『今日、朝の目覚めが与えられたら、今日、神に生きることをゆるされている』と話してくれました。そんなふうに朝を迎えることができるのかと、わたしは驚いてしまいました」と、お話しました。その早天祈祷会の後で、東京のある教会の方が「わたしも同じよ。そのように朝を迎えるのよ。年を重ねるとそうなるのよ」とおっしゃってくださいました。それも信仰の言葉としてうれしく、同時に謹んで聞かせていただきました。いつか実感としてそのような朝を迎える日が来るのだろうと思います。
牧師として高齢の方々と接し、子供たちとは逆の意味で、わたしは時の重みを感じさせられています。それは、人生の終わりが迫り、残りの時が少ないということです。老いつつ「これから」を生きる方々に、時の重み、命の重みを学びます。
「老いの日にも見放さず わたしに力が尽きても捨て去らないでください。」(詩編 71・9)
老いは力尽きるとき、死の近づくとき。実際それを認めるのも容易ではないでしょうが、信仰者はそこで神にすがることができます。自分の地上の生涯を終えるときも、神はわたしを捨て去ることはありません。存在そのものを引き受け、担ってくださいます。死においてすら、神は共にいてくださるお方なのです。
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