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2016年10月1日発行 No580 

主の御心であれば

                            金田 佐久子
 
 10月第2主日は、日本基督教団行事暦で「神学校日・伝道献身者奨励日」です。わたしの献身について書きたいと思います。
 わたしと教会との関わりは、キリスト者であった母が、3人の娘たちを西川口教会の教会学校に行かせたことから始まりました。小学生になる前のことです。それ以来、細々と教会学校につながっていました。中3の夏休みに参加した中高生の集会で、主イエスの十字架の死がこのわたしの罪のためと明確に示され、その年のクリスマス礼拝で洗礼を受け、西川口教会の一員となりました。わたしは母の信仰によって教会に導かれ、救われるに至ったのです。
 その母が59歳で神の御許に召され、今年で20年となりました。この母の死がきっかけでわたしは献身へと導かれたので、今年は何か節目を迎えたように感じていました。
 母は大阪女学院というキリスト教主義学校で中学・高校時代を過ごし、この学校の感化によって教会へ導かれました。当時は大勢の生徒が教会に来ていたそうです。母は日本基督教団小阪教会(東大阪市)で洗礼を受けました。
 今年の夏、神戸で開催されるこころの友伝道全国大会に父と参加することにしていたので、お休みをいただいて、全国大会の2日前に大阪に移動し、8月28日は小阪教会で主日礼拝をささげました。事前に小阪教会の牧師に訪問したい旨手紙を書きました。牧師のご配慮により小阪教会の皆様が温かく迎えてくださいました。母と青年会時代共に過ごしたという教会役員さんともお出会いでき、うれしく感激でした。かの地にキリストの教会が建てられて、60数年前に1人の女子学生を洗礼に導いてくださった。そのことがなければ現在のわたしもないのです。心から感謝に満たされました。小阪教会に「主の祝福あれ」と祈らずにはおれませんでした。
 わたしの献身の導きとなったのは、酒井春雄先生の著書で紹介されていた渡辺善太先生の言葉でした。「伝道者になりたいという思いが、神からか、自分からか、わかる道は一つだけある。状況がどうであろうがそのための準備をし、何年かかっても学び続けること。目的を達成したら、神の起してくれたことだから思い切り働きなさい。もし中途で挫折し、み旨ではないと知っても失望するな。神は、信じる者の努力を無駄にはなさらない。(中略)大切なのは神から出された宿題に、まともにぶつかってみるかどうかということだ」
 この言葉はその後の様々な課題にも導きとなりました。神の御心なのか、人間の思いからか、分からないことはしばしばです。分かる道は何でしょう。状況がどうであろうとも、地道にコツコツあきらめず取り組んでいくこと。それには日々祈らなければ続きません。最近与えられた御言葉はヤコブの手紙第4章15節です。「むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」。アーメン。

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