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2019年6月1日発行 No.612 

命の水の泉から

                            金田 佐久子

 渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。(ヨハネの黙示録21・6)

 イスラエルの旅行に行かれた方からこんな話を聞きました。現在のイスラエルでは家庭で使う水の使用量は決まっている。それを超えると非常に高い料金を請求される。農地には水を一斉に撒くのではなく、水のチューブが張り巡らされ、作物や果樹の根元にチューブの穴から水がポタポタと滴下されている。ビニールハウスでは結露した水も回収してまた作物に使うとのこと。これほど厳密に水を管理するほどに、水は限りある資源であり貴重なのです。
 現代でもそうなのですから、古代世界においてはなおさらです。旧約聖書には、井戸をめぐっての争いがあった記事もあります。人の命に関わることです。そうであれば、冒頭の聖書の言葉の「泉から価なしに飲ませよう」とは、ありえないくらいの、まことに懐深い、大きな慈しみの心で語られているわけです。
 これは神の言葉です。神は渇いている者をそのままに捨て置くことはなさいません。
 この言葉に響き合う主イエス・キリストの言葉があります。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4・14)。
 パレスチナであれば、朝の涼しいうちに井戸に水汲みに行きますが、真昼に誰もいない井戸に水を汲みに来た女がいました。だれもいないはずの井戸のそばに主イエスが休んでおられて、この女に声をかけられました。主イエスはこの女がまことの愛に渇いていることを見抜き、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と約束されました。その水とは永遠の命に至る水。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17・4)。まことの愛に渇いている人がいます。正義に渇いている人、命に渇いている人、御言葉に渇いている人がいます。それがなければ生きられません。渇いている者に、神は永遠の命の泉の水から価なしに飲ませてくださいます。
 今年の聖霊降臨日は6月9日。神を知らせ、イエスをキリストと知らせてくださる聖霊を待ち望みます。

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