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2019年7月1日発行 No.613
隣人を自分のように愛すること
金田 佐久子
律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
(ガラテヤ5・14)
今年も夏が巡ってきました。
1年前の7月の下旬、梅雨明け後の連日の猛暑のため、父は脱水が原因で脳梗塞を起こし入院しました。その後症状が落ち着いて、約1か月後、近隣のリハビリテーション病院に転院しました。入院の間、要介護4の認定を受け父が自宅(牧師館)で介護を受けながら暮らせるよう準備をしました。11月下旬にリハビリテーション病院を退院して、半月ほどショートステイを経て、12月半ばから自宅介護が始まり、約半年が過ぎたところです。
2年前に父が90歳となり、「どのような晩年を過ごすのか…」と漠然と思っていました。このような入院、介護生活になるとは、思ってもいませんでした。
2019年の西川口教会の御言葉として、ガラテヤの信徒への手紙第6章2節「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」が与えられました。愛に生きるとは、互いに重荷を担うことであると示されました。
毎年秋の終わり頃に、翌年の教会の御言葉をいろいろと考え、思い巡らし、決めるのですが、今回は、父の入院の出来事も影響していたかもしれません。重荷を担うとは、わたしにとっては、西川口教会での働きを欠けることなく、父の介護を引き受けることでした。「聖霊による愛と赦しの教会」という教会の主題を掲げてきて、「愛を追い求めて生きよう」と、牧師として教会に呼びかけてきました。今まで呼びかけてきた愛に自分が生きるのか、問われる思いでした。覚悟が必要でした。
西川口教会の今年の御言葉に響き合う御言葉が、冒頭に掲げた、同じガラテヤの信徒への手紙第5章14節です。「隣人を自分のように愛する」ことは「キリストの律法を全うする」ことと相通ずるのです。愛とは、自分を愛するように隣人を愛するのです。
前述したリハビリテーション病院では、特別養護老人ホームの入所も勧められました。病院や施設は治療や介護を良くしてくれます。しかし「患者」とか「利用者」とか、枠でくくられてしまい、その人が今まで生きてきた日々や人間関係があるのですが、病院や施設では断ち切られがちです。それらは本人にとっては、自分らしく生きていける大切な要素であり、居場所です。病院や施設にそれを求めるのは少し難しいことかもしれません。治療や介護を受ける必要もありますから、そこにはせめぎ合いがあります。「もし自分が父の立場であったら、そこにいたいだろうか」と考えたとき、できる限り自分らしく暮らせるよう面倒を見ていこうと思いました。きょうだいとも相談して、可能である間は、父と自宅で暮らすことを選びました。どんな決断でも、人に言われたからではなく、いろいろな助言に耳を傾けつつ、最後には、自分で責任を負い、選び取ることが大切だと感じています。
感謝なことに、父は元気な時はなかなか出席しなかった主日礼拝も、水曜夜の祈祷会にも連れてくることができ、共に恵みに与かっています。教会の皆様から、執り成しの祈り、愛の言葉をかけていただいて励まされています。神の愛をいただき、これからも主の導きに従って歩みます。
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