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2023年5月1日発行 No.659
「聖霊を受けなさい」
神の息吹に生かされて
金田 佐久子
以前、中高生の夏のキャンプでスタッフとして参加した時のことです。講師のI先生が腹話術を使って、説教されました。掛け合い漫才のように、人形が本当に生きているようでした。中高生たちも楽しみつつ、引き込まれていました。普通はそこで終わるのですが、I先生はおもむろに人形から腕を抜きました。人形は動かなくなりました。当然ですね。もう一度I先生が人形に腕を通して動かすと、また生き生きと動き出しました。「私たちも同じですよ。聖霊の神の力が私たちの内に働いてくださると、生き生きと生きることができる!」と、朗らかにお語りになりました。説教の聖書箇所は忘れましたが、このことは忘れられません。
もしかすると、I先生は次の言葉を語られたのかもしれません。
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(コリント一6・19)。
この御言葉から、創世記第2章に記された、人の創造の出来事を思い起こします。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2・7)。人は土から造られ、神がご自身の命の息を吹き入れられて、生きる者となりました。
聖書で「生きる」とは、肉体の命が生きていることよりも、神との健やかで正しい関係に生かされることを意味します。人は関係の中で生まれ、関係の中に生きる存在です。神の生き生きとした命の息吹を、いつも新しく吹き入れられて、神との正しい関係に生かされるとき、生かされた者同士が助け合って生きることができるのです。
本来、人はこのように造られた存在なのに、蛇の誘惑に負けて、神との正しい関係も、隣人との正しい関係も壊してしまいました(創世記第3章より)。創世記に記されている人間についての洞察は、まことに深く本質的なことだと思います。
人が神に背いたために「土は呪われるものとなった」(創世記3・17)。この言葉にも現代的意義があります。人と「土」、すなわち自然との関係も損なわれました。今の時代、人が便利さと利益を追求した生活を送ることにより、自然破壊が進み、環境世界は痛めつけられ、悲鳴を上げています。
神は、人が自ら壊してしまった神との関係を回復するために、神の独り子イエス・キリストを遣わしてくださいました。私たち人間は、自ら神との関係を修復することはできないからです。神はそれをご存じで、私たちのために救い主を送ってくださいました。主イエスは、もう一度私たちに神の息吹を吹き入れて、新しく生まれさせてくださいます。
十字架で死なれ、葬られ、三日目に復活された主イエスは、ユダヤ人を恐れ、戸に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちを訪れてくださいました。イエスは言われました。「あなたがたに平和があるように。…」(ヨハネ20・21)。 イエスは彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。…」(ヨハネ20・22~23)。罪の赦しは神と人との関係の回復です。
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