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2024年4月1日発行 No.670

『あなたもそこにいたのか』

                            金田 佐久子

讃美歌21・306番『あなたもそこにいたのか』という讃美歌があります。

あなたもそこにいたのか、
主が十字架についたとき。
ああ、いま思いだすと
深い深い罪に
わたしはふるえてくる。(1節)

 1節から5節まであります。短い歌詞ですが、賛美する者を悔い改めへと招きます。自分こそ主イエスを苦しめ、イエスを十字架にかけた罪人である、その罪の深さにおののくほかない、という讃美歌です。

あなたもそこにいたのか、
主がくぎでうたれたとき。
ああ、いま思いだすと
深い深い罪に
わたしはふるえてくる。(2節)

 時々「約2千年前のエルサレムで起こったイエスの十字架の出来事が、現代の日本に生きる自分といったい何の関係があるのか」と問われることがあります。本当にそうだろうと思います。
 それなのに、どうして私たちは、主イエス・キリストの十字架の死によって私の罪が赦されると、今、信じることができたのでしょう。
 主イエスは、私たちの罪と何の関わりがないのに、その関係のない者たちの罪を負って死んでくださり、私たちは主イエスによって救われました(コリント二5・21より)。
 十字架の出来事と私たちとは、2千年という時間だけが隔てていることではありません。どの時代に生きていても、どこで過ごしていても、そのときに十字架のもとにいた人々でさえ知り得ない、ただ神のみが成し遂げられた救いの出来事でした。そこに人間が関わることはありませんでした。
 ただ神のみが、全ての人を救おうとお決めになり、イエスはその神のご意志に服従され、たった独りで十字架を負い、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1・29)としてご自身のすべてを献げてくださったのです。ただ神によって、十字架の出来事と私たちが結ばれるのです。
 聖書は告げています。
 「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。…最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(コリント一15・2~4)。
 既に告げられたこの福音の言葉をしっかり覚えていましょう。

あなたもそこにいたのか、
主がよみがえられたとき。
ああ、いま思いだすと
深い深い愛に
わたしはふるえてくる。(5節)


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