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2026年3月1日発行 No.693

主イエスの愛に招かれて

                            金田 佐久子


 今年の復活日(イースター)は4月5日です。復活日より主日(日曜日)を除いた40日前の日(灰の水曜日)から復活日の前日までの期間を、受難節(レント)と呼んでいます。
 受難節には祈りと節制が奨励されることが多いのですが、ふさわしい行いをする前に、主イエスが十字架を前にして与えられた一つの掟を心に留めたいと思うのです。
 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)。
 大切なのは、私たちが互いに愛し合うことに先だって、イエスがどれほど私たちを愛してくださったか、そこに心を注いでいくことです。
 イエスが新しい掟を示されたヨハネ福音書第13章はこのように始まります。
 「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネ13・1)。
 このイエスの愛は、夕食の席でイエスが弟子たち全員の足を洗ってくださるという出来事に示されました。
 イエスの洗足の出来事を読むと、私は恩師である村瀬俊夫先生の霊的体験を思い出します。村瀬先生は祈りの中で、「私の足を洗ってくださっているイエス様のお姿が本当に見えてきたのです。その時に受けた感動は言葉では言えないほどで、私の身体が震えるという気がしました」という霊的な恵みの体験をなさいました。いつも新しく主イエスの愛に満たされて、この恵みを語られていましたので、私にも主の愛が流れてくるような思いがしました。
 村瀬先生の言葉を引用します。
“イエス様は私の足を洗ってくださっているのだ、ということを体験したらなんとすばらしいことでしょうか。それは無条件の赦しを意味します。足を洗われたイエス様は、弟子たちを赦しておられたのです。
 イエス様は弟子たちが裏切るということを分かっておられたのです。イスカリオテのユダだけでなく、ペテロが三度否むこともご存知でした。自分を見捨ててみな逃げて行くことも、お分かりになっていました。でもイエス様は弟子たちの足を洗われ、今は分からないけれども、後になったら分かるよ、とペテロにもおっしゃったのです。ペテロはそのときは分かりませんでした。だから、足だけでは足りないと思って、「手も頭も洗ってください」と言ったのです。・・・
 復活されたイエス様は、裏切って逃げた弟子たちに対して、恨み言の一つもおっしゃらないで「平安があなたがたにあるように」と無条件の赦しを与えてくださったのです。”(『村瀬俊夫アシュラムで語る』より)
 村瀬先生は、イエス様によって罪が赦されたことを、頭で理解しているだけでなく、身体に沁み込んだ体験となった、そのことによってご自分が負い目や罪責感から解放され、人を責める気持ちがなくなった、と証しされました。そして、「それは誰にでも分け隔てなく与えられる恵みです」と語られました。
 祈りのたびに、足元に主イエスがひざまずいて私の足を洗い「あなたの罪は赦されています」と宣言してくださるとは、何と大きな恵みでしょう。私たちは主イエスの愛に招かれています。

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