2024年7月14日(日) 聖霊降臨節第9主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   51
主の祈り
交読詩編  詩編100篇
祈  祷
賛  美   286
日本基督教団信仰告白
聖  書   ヨハネによる福音書第2章1~12節
子ども説教
説  教  「神の栄光を見る信仰」
賛  美   512
聖  餐   81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 28
祝 祷 (コリント二13:13)

※礼拝音声は聖餐部分をカットしています

〔説教要旨〕 

 ヨハネによる福音書第2章に入りました。1節に「三日目に」とあります。1章を辿ってみますと、ヨハネ福音書第1章29節に「その翌日」、35節と43節にも「その翌日」とあります。ヨハネ福音書1章28節までの出来事が救いの始まりで「初日」と見れば、本日の聖書箇所のカナでの婚礼の出来事は第7日目となります。ヨハネ福音書第1章の冒頭は、創世記第1章と響き合っています。創世記によれば第7の日に天地万物は完成されました。カナの婚礼の出来事は、第7の日の特別な神の御業と理解できると思います。第1章29節以降は、ユダヤ地方の出来事ですので、ガリラヤに移動するには数日かかりますから、「三日目に」とはそのことも含まれると思います。
 ガリラヤのカナの町で婚礼があり、イエスの母マリアがそこにおり、イエスと弟子たちが招かれていたとあります(1~2節)。親戚の結婚式であったのかもしれません。当時の婚礼は数日続いたそうです。宴席にはユダヤ人の成人男性が連なるので、イエスの母は料理など裏方の手伝いをしていたのかもしれません。「ぶどう酒が足りなくなりました」と、母マリアがイエスに話しました(3節)。当時、婚礼で、食事や飲み物が足りなくなることは婚礼の客に対してたいへん失礼なことでした。母マリアは、何とかしてほしいという思いで、イエスに訴えたのかもしれません。
 イエスの母に対する応答は、不思議な言葉です(4節)。自分の母に対して「婦人よ」と呼ぶことも、「わたしとどんな関わりがあるのです」ということも。後に続くイエスの言葉「わたしの時はまだ来ていません」から理解しなければなりません。
 ヨハネによる福音書において、主イエスが「わたしの時が来た」と言われるのは(ヨハネ13:1、17:1など)、十字架に上げられる時を指しています(復活、昇天へと続く救いの出来事です)。主イエスは、十字架の上から母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われました(ヨハネ19:26)。主イエスは十字架のもとで、血のつながりにはよらない新しい神の家族(教会)を創造しておられます。主イエスはこの「時」のために世に来られ、天の父の御心に従います。ですから、実の母の言うとおりに行動するのではないことを告げておられるのです。
 母マリアは、イエスの言葉を理解しました。そこで召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いました(5節)。これは、イエスの言葉に信頼して従おうという信仰の応答です。その言葉を受けて、イエスは「六つの石の水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われ、召し使いたちはその通りにしました。1メトレテスは約39リットル。六つの水がめは、約500~700リットルの水でいっぱいになりました。水をくむ作業も大変であったと思います。
 奇跡が起こりました。召し使いたちが汲んだ水を世話役に持っていくと、上等なぶどう酒に変わっていました。ぶどう酒は喜びと祝いのシンボルです。花婿からすれば、知らないうちに危機に瀕していたところをイエスによって救われたのです。喜びと祝いがもたらされました。
 私たちの人生にも「無くなってしまった」「失ってしまった」と言わざるを得ない出来事が起こります。神はそこに来られ、そっと救ってくださるのです。信じた者が神の御業を見るのです。
 「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた」(11節)。イエスに従った弟子たちのはずですが、イエスの弟子は、いつも新しく信じて弟子になること、信じた者が(私たちも)弟子とされるということなのです。