2024年12月22日(日) 降誕前第1主日・アドベント第4主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   242
主の祈り
交読詩編  詩編111篇
祈  祷
賛  美   さやかに星はきらめき
日本基督教団信仰告白
聖  書   ヨハネによる福音書第1章14~18節
子ども説教
説  教  「神の思いが人となって」
賛  美   259
聖  餐   81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)

〔礼拝音声は聖餐部分をカットしています〕


〔説教要旨〕

 降誕日は12月25日なので、一足早く「クリスマスおめでとうございます」と申します。では、クリスマスはどうしておめでたいのでしょうか。救い主のご降誕のお祝いがクリスマスです。イエス・キリストがお生まれになったことと、私たちと、どういう関係があるのでしょう。
 ヨハネ福音書第1章12節にはこうあります。「しかし、言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」。言(ことば)とは、イエス・キリストを指しています。主イエスは、私たちを神の子とするために、生まれてくださったのです。イエス・キリストを信じた人はだれでも神の子とされるのです。キリスト者のシンガーソングライターIさんの証しを思い出します。Iさんは、父親を知らないで育ったそうです。やがて福音を聞いて信じました。Iさんが「僕には、天にお父ちゃんができたんだ。神さまがお父ちゃんになってくださったんだ。うれしいなあ」と言われた言葉が心に残っています。主イエスは「私の父は、あなたがたの父でもある」と教えてくださいました。イエスは「天におられる私たちのお父さん」と神を呼ぶ「主の祈り」を私たちに与えてくださいました。心から、神を「父よ」と呼んで祈っている人の内には、神の霊(聖霊)が住んでいてくださいます。神を「父よ」と呼ぶ喜びだけではありません。神の子となった者を、神は、主イエスに似た者に変え、成長させてくださるという希望があります。ここにいる私たちは、やがて死に、だれもが地上の生涯を終えますが、神の子とされている私たちは、死んで終わりではなく、イエスと同じ栄光の体で復活させられるのです。体ごとのよみがえりです。神の子として祝福してくださる神の恵みを信じて受け取りましょう。
 次に、クリスマスの出来事が示されているヨハネ福音書第1章14節の御言葉を味わいたいと思います。「言(キリスト)は肉(人)となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。「言(ことば)」とはギリシア語の「ロゴス」の日本語訳です。ロゴスは「思考・理念」という意味ですが、それ自体奥行きのある豊かな語です。ここでの「言(ロゴス)」は神の思いそのものであるキリストを指しています。神の独り子が、神でありながら人としてお生まれになる、という奇跡が起きました。「わたしたち」とはだれでしょう。狭い意味ではヨハネ福音書を生み出した教会でしょう。しかし、福音を聞いて信じた人々が証し人となって、その福音を聞いて信じた人々が教会に加えられていきます。そのようにして、時を越え、場所を越えて、福音がバトンタッチされていき、教会が生まれました。ですから、私たちの西川口教会も含まれると信じます。主イエスの地上の生涯は30数年でした。このことはわきまえながらも、イエスは聖霊として私たちの間にいてくださり、この礼拝のただなかに臨在してくださっています。「宿られた」には天幕を張ったという意味があります。天幕を張ったと聞くと、旧約聖書の神の民の荒れ野の旅を思い起こします。約束の地へ向かう旅で、民は宿営のときには天幕(テント)を張りましたが、臨在の幕屋という神のための天幕も張りました。臨在の幕屋には昼は雲の柱、夜は火の柱が臨み、民はそれを見て、神が共にいてくださることを知りました。聖なる神の前に罪ある人間は耐えられず、死ぬと言われていました。ですから、神を見ることは人には許されていませんでした。しかし、キリストは人として生まれてくださったので、私たちは神の独り子の栄光を「見る」ことを許され、キリストはご自分の満ちあふれる恵みと真理の中に私たちを招き入れてくださいました。