2025年12月7日(日) 降誕前第3主日・アドベント第2主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 242(1~2節)
主の祈り
交読詩編 詩編119:1~8
祈 祷
賛 美 194
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書第1章1~5節
説 教 「初めに言(ことば)があった」
賛 美 227
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 24
祝 祷 (コリント二13:13)
〔説教要旨〕
今年の春、私の信仰の友が老人ホームに入居しました。その老人ホームには有志による園芸部があり、私の友も園芸部の一員となり、朝夕の水やりなど庭の手入れをしていると、折々に写真がメールで送られてきました。今年の秋に、ようやく念願かなって彼女を訪ねることができ、園芸部の担当の方がホームの庭を案内してくださいました。園芸部の活動によって、土が耕され、肥料が施されると、やがてミミズを見かけるようになりました。そうしたら、ミミズなどの虫を目当てに、ヒヨドリが庭の樹に巣づくりして、さらにその巣からヒナが孵化し、育ったというのです。それを聞いてとても感動しました。ヒヨドリの様子を日々追った写真が老人ホームのホールに掲示されていて、楽しく見ました。世界の片隅のようなささやかな庭ですが、園芸部の方々が心を込め、愛を込めて手入れをして、土がよみがえったとき、そこに他の生き物が導かれ、増し加えられていきました。なんて素敵で素晴らしいことか。
「万物は言(ことば)によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(3節)。「言(ことば)」とは、神の独り子、イエス・キリストを指しています。キリストによってすべてのものは創造され、支えられています。神が創造された世界は、互いに生かし合っていく世界です。
しかし私は一方で、「虫や鳥は、神さまの秩序に素直に従っている、でも、人間はどうだろうか? 素直に従うだろうか?」とも思いました。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(4~5節)。神の言には命があり、神の言は人間を照らす光です。主イエスも「わたしは世の光である」(ヨハネ8:12)と言われました。しかし、暗闇は光を理解しなかったのです。神の言であるイエス・キリストを、罪の闇に捕らわれている人間は受け入れないのです。闇の中にいるならば、上も下も右も左も分からないし、どこをどのように進んでいけばよいのかも分かりません。それすらも分かっていないのが人間なのです。そこに光が差し込んでまいりました。「光は暗闇の中で輝いている」(5節)。神の言である命の光を、だれも消すことはできません。闇の中にうろうろしている人間のために、神が命の光を輝かせてくださいました。
その神の光は人となって、私たちのただなかに来てくださいました。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ1:14)。
クリスマスと年末が近づき、今年を振り返る頃となりました。コロナ禍を経て、昨年度は規則の変更をし、今年度は懇談会を開催できるようにと模索していました。キスト岡崎さゆ里先生ご夫妻をお迎えして教会修養会を開催でき、神の導きを感謝しています。さゆ里先生とお話をして、私自身の視野が広げられ、新しい見方が与えられました。キスト岡崎先生を派遣しているアメリカの教会が、どれほど日本の教会のために喜んで献げて祈っておられるかを知りました。私たちは祈られています。日本基督教団は課題山積でありますが、1600を超える教会が一つの教団を形成しているとは、他の国にはない神の業なのだ、と知らされました。
教会もまた、神の言の創造によるものであり、神によって存在させられています。教会はキリストの体と言われます。教会修養会では「健康な教会に必要な栄養素」を教えていただきました。教会が健やかであり続けるためには、神の言、イエス・キリストの光にとどまることです。アドベントのとき、クリスマスに向かうとき、いよいよ神の思いに生きられるように、祈ります。