2025年12月21日(日) 降誕前第1主日・アドベント第4主日
クリスマス礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   242
主の祈り
交読詩編  詩編149篇
祈  祷   
賛  美   Ⅱ219(さやかに星はきらめき)
日本基督教団信仰告白
聖  書   ヨハネによる福音書第1章10~14節
説  教  「神の言(ことば)は人となられた」
賛  美   262
聖  餐   81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)

〔礼拝音声は聖餐部分をカットしています〕

〔説教要旨〕

 クリスマスおめでとうございます! 自分のことで恐縮ですが、44年前、1981年のクリスマスに私は洗礼を受けました〔※説教音声で「1981年のクリスマスは12月21日」と言っておりますが、正しくは12月20日でした。お詫びして訂正いたします〕。私は15歳、中学3年生でした。その年の夏に、伊豆大島でホーリネスの群の中高生聖会(キャンプ)に「海で遊べる」と思い、参加しました。そんな動機でしたが、キャンプファイヤーの説教で「イエスさまは私の救い主である」と明確に信じ、洗礼を受ける決心ができました。振り返れば、教会学校につながっていたこと、母がキリスト者であったので、「神さま、イエスさまはおられる」と何となく信じていましたが、あの伊豆大島でのキャンプファイヤーの夜、キリストは「私の救い主」とはっきりと信じることができました。ですから信仰は神から与えられるものだとつくづく思います。
 「言(ことば〔神の独り子、イエス・キリスト〕)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(12節)。イエスをキリストと信じた人は、神の子です。「この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれた」(13節)。人の力によるのではなく、神によって新しく生まれ、神の子とされました。まことに素晴らしい破格の恵みです。なぜなら、私たち人間は、キリストと出会い、イエスをキリストと信じるまでは、「暗闇は光〔神の言、イエス・キリスト〕を理解しなかった」(ヨハネ1:5)からです。闇の中にいますから、右も左も上も下も分からず、自分がどこから来て、どこへ向かって行けばいいのか分かりません。しかし「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」〔ヨハネ1:9〕。このまことの光であるキリストの光に照らされていない人はいません。
 キリストはどのようにして世に来られたのでしょうか。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)。「肉となって」とは、神の独り子が、人としてお生まれになったということです。歴史の中に、人間のただ中に来てくださいました。「宿られた」という語は「天幕(テント)を張る」という意味が込められています。ここには旧約聖書に記されている、神の民の荒れ野の旅の背景があります。神によってエジプトの奴隷状態から脱出した神の民は、約束の地に向かって荒れ野を旅しなければなりませんでした。神の民は天幕に寝泊まりして旅をしましたが、聖所のための天幕もありました。神は目に見えませんが、聖所には、昼は雲の柱、夜は火の柱がありました。それは、神が、神の民と共にいてくださる「しるし」でした。雲の柱・日の柱が動くとき、民は出発し、柱が動かなければ民はとどまり続けました。こうして、神に導かれて、民は荒れ野の旅をしました。
 神の独り子が、人となられて、私たちの間に宿られました。それは「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちて」おりました(14節)。神の独り子が、イエスという名を持ち、この地上を生きてくださいました。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示された」(ヨハネ1:18)。私たちを救うため、十字架に死ぬために、神の独り子は、人としてお生まれになりました。イエスは、死に打ち勝ち今も生きておられます。イエスによって、私たちは神を信じ、神の子とされました。それは、神の独り子が持っておられるのと同じものを、私たちが持つことができるということです。神を「父よ」と呼ぶことができ、イエスが死に打ち勝たれた復活の命、永遠の命に生かされる、破格の恵みです。