2026年1月11日(日) 降誕節第3主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 13
主の祈り
交読詩編 詩編84:2~8
祈 祷
賛 美 192
日本基督教団信仰告白
聖 書 ヨハネによる福音書第14章1~14節
子ども説教
説 教 「イエスは道・真理・命」
賛 美 516
聖 餐 81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)
〔礼拝音声は聖餐部分をカットしています〕
〔説教要旨〕
ヨハネ福音書第14章は、主イエスと、ユダが離れてしまい11人となった弟子たちとの食事の席の出来事です。イエスの別れの言葉が続きます。弟子たちは、師であるイエスがどこかへ行ってしまうという恐れと不安に心を騒がせていました。イエスはそれをご存じで「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(1節)と言われました。その言葉を聞いても、弟子たちは安心できなかったようです。弟子のペトロがしたのと同じ質問を、今度はトマスが言いました。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(5節)。イエスは応えて言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である」(6節)。
イエスが「わたしは…である」と言っておられますが、聖書では「わたしである」と言うことができるのは、神おひとりなのです。イエスが「わたしである」と言われるのは、「わたしが神である」ということなのです。神の独り子であられるイエスの言葉ですから、ここでは、神の道であり、神の真理であり、神の命のことを語っておられます。さらに「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言っておられます(6節後半)。父とは、天におられる父なる神のことです。イエスは父に導いてくださる道です。イエスは、神が父であられるという真理に私たちを生かして、父なる神のもとにある命に私たちをあずからせてくださいます。イエスという道を通って、私たちは父なる神に導かれ、神を「父よ」と呼ぶことが許され、神の子として生かされます。それが命であり救いです(参考ヨハネ17:3)。
ですから、イエスは弟子たちに続けて言われました。「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」(7節)。イエスの言っていることが受けとめきれず、今度は弟子のフィリポがイエスに問います。「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」(8節)。イエスは言われます。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。・・・わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい」(9~11節)。
旧約聖書では、人は神を見たら死ぬとされていました。人は、聖なる正しい神の前に、耐えられないからです。イエスを見たものは父なる神を見たに等しいと、イエスは言われました。神の御心は私たちを滅ぼすことではありません。父なる神は、独り子である神を人として世に遣わし、私たちがイエスと出会うことによって、父なる神とお出会いできるようにしてくださいました。
そればかりではなく、父なる神は御自分のもとに、私たちのために場所を備えてくださるのです。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(2~3節)。イエスしか成し得ない十字架の救いをイエスは果たされました。父なる神はイエスを死に勝たせ、復活させてくださいました。イエスは天に昇られ、聖霊の神を遣わしてくださいました。こうして、私たちは父・子・聖霊の神に迎えていただき、受け入れられています。神は私たちと共にいてくださいます。