2026年2月22日(日) 復活前第6主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   471
主の祈り
交読詩編  詩編4篇
祈  祷   
賛  美   377
使徒信条
聖  書   ヨハネによる福音書第16章16~33節
子ども説教
説  教  「誰も奪い去れない喜び」
賛  美   509
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)

〔説教要旨〕

 イエスと弟子たちの夕食の席で、イエスは弟子たちに別れの説教をしておられます。いよいよ終わりに近づいてきました。
 イエスは言われます。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」(16節)。弟子たちは、イエスが何を言っているのか分からず、互いに論じ合っていました。それをご覧になったイエスは、弟子たちに言われました。「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ」(20節前半)。イエスは、ご自分の語られた言葉が弟子たちを悲しませていることをご存知でした。さらに、これから起こるイエスの逮捕、十字架の死は、弟子たちを悲嘆に暮れさせると見通しておられました。そのような弟子たちを見て、世は喜ぶというのです。この喜びは、良い意味ではなく、イエスを憎んでいた人々にとっては、イエスを十字架につけることができて喜ぶのです。
 しかし、それで終わるのではありません。「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」(20節後半)。さらにイエスはこう語られました。「女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない」(21節)。イエスが出産のイメージで伝えておられるのは、ご自分が受ける苦しみは産みの苦しみであること、イエスが引き受けてくださる十字架の苦しみと死は、新しい命の誕生をもたらすこと。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)。私たち人間は自分では新しく生まれることはできません。イエスを信じることによって、新しく生まれ、神を父と呼ぶことが許され、神の子とされるのです。
 今日の箇所では「しばらくすると」の語が繰り返されていることが分かります。私たちは、世の喜びがいつまでも続くように思われることがあります。まるで神がおられないかのように、イエスが見えないかのように思われることがあります。大人の私たちだけでなく、子どもたちや若い人たちもそうだと思います。しかし、そのただ中にイエスは来てくださるのです。「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」(22節)。イエスとの再会の約束です。まず、イエスが訪れ会ってくださるので、私たちはイエスとお出会いできるのです。私たちがイエスと出会い、信じる前に、私たちはイエスの愛のまなざしの中に捕らえられているのです。
 ヨハネ福音書第20章19節以下を見ますと、弟子たちがユダヤ人を恐れて鍵をかけて閉じこもっていた部屋に、復活のイエスが来られて真ん中に立ち、「平和があるように」と言われ、弟子たちはイエスと分かり喜んだ、とあります。この喜びは、死に勝利した命の喜びです。死に打ち勝ったイエスがくださる喜びは、この世のだれも奪い去れないのです。
 ヨハネ第16章に戻ります。別れの説教を終えるとき、イエスはさらに力強い言葉を語ってくださいました。「父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである」(27節)。イエスだけでなく、父なる神に愛されている私たちなのです。弟子たちのつまずきも予告されました(32節)。私たちの罪・過ちを赦しの愛で覆って、イエスは言われます。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(33節)。