2026年3月 1日(日) 復活前第5主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 156
主の祈り
交読詩編 詩編133篇
祈 祷
賛 美 393
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書第17章1~26節
子ども説教
説 教 「すべての人を一つに」
賛 美 409
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)
〔説教要旨〕
「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた」(1節)。イエスは、弟子たちのための別れの説教を終えて、目を天に上げて祈りを始めました。夕食の席において、イエスは弟子たちを愛して、愛のしるしとして弟子たちの足を洗ってくださいました。それから長い別れの説教をなさり、かけがえのない宝のような言葉を遺してくださいました。その間ずっと、イエスは愛のまなざしで弟子たちを包んでいたと思います。イエスはここで、そのまなざしを天の父なる神に向けられました。
イエスは言われます。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください」(1節)。17章全体はイエスの祈りです。主イエスは何度も「父よ」と神を呼んでおられます。新約聖書はギリシア語で書かれていますが、イエスが使っておられたアラム語では「父」は「アッバ」(お父ちゃん)です。ヨハネ17章では何度も「父よ」と呼んでおられますから、イエスは「アッバ、アッバ」と神を呼ばれたのです。
続いて「時が来ました」と言われました。この言葉は以前にもイエスは言っておられます。イエスがエルサレムに入城され、ギリシア人がイエスに会いたいと願い出たときです。イエスはこう言われました。「人の子〔イエスご自身〕が栄光を受ける時が来た」(ヨハネ12:23)。その後でこう言われました。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)。イエスが言われる「時」とは、ご自分が一粒の麦として死なれるということ、死を見据えておられるのです。それは、多くの実りをもたらす死なのです。いよいよ、その時が来たのです。
「あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(2~3節)。永遠の命とは、いつまでも終わらない命ではないことが分かります。神を知ること、イエスが父なる神から遣わされたキリストであると知ること、信じることです。その時その人は永遠の命に生かされています。永遠とは言い換えれば、「いつも・いつでも・いつまでも」ということです。「今・このとき」も永遠なのです。そして「命」とは身体だけのことではなく、英語では「Life」。生き生きと生かされることです。父なる神とイエス・キリストとの交わりに生きることです。
9節からは弟子たちのための祈りです。さらに、20節からは、弟子たちの言葉を聞いてイエスをキリストと信じる人々のための祈りです。主イエスは私たちのために、祈ってくださいました。私たちが世に存在する前から私たちが一つになるようにと祈ってくださいました。
この分断が進む世界で「すべての人を一つにしてください」(21節)は、まことに切実な祈りですが、大切なのは、その前でイエスが語っておられる通り、「あなた〔父なる神〕がわたし〔主イエス〕の内におられ、わたしがあなたの内にいるように」ということです。すなわち聖書の神は、神ご自身が交わりの共同体であられます。父・子・聖霊の神が互いに愛し合う交わりとして存在しておられます。三位一体(さんみいったい)の神の交わりに、私たちは招かれているのです。すべての人が、分け隔てなく神から招かれており、その招きに応えて神のもとに集められたとき、すべての人は一つにされます。主イエスの祈りが聞かれないはずがあるでしょうか。信じ、待ち望みます。