五十嵐太郎さんを囲み建築あそび 2001年12月8日 快晴
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その 7
      大本教の建築について

◎スライド43

             

 ここから大本教です。大本教は1890年代明治の中を過ぎたころに、出口ナオ。っていうおばあちゃんが神懸かりになってひらいた宗教です。彼女の子供が次々にやっぱり神懸かりになって、祈祷師をよんだりしている最中に本人も神懸かりになって、開きました。
 大本教に関してしばらく、こういうなんか薄いぼけた白黒の写真が出るんですが、なぜかというと、大本教自体が実は戦前・・最も酷い宗教弾圧を受けたからで、全ての大本教の建物が一度全部壊されていんです。

 それは相当酷い弾圧で。さっきのオーム教のサティアンは裁判を受け正当な手続きによって壊されているんですが、大本教の場合は、大本教に手入れが入った後ですね。メディアを一切シャットアウトして、裁判で結果が出る前に全て建物を壊してしまったという。かなり酷いことをやって。戦前作った建物は一度なくなっているんです。戦後作ったものはあるんです。

 そうすると写真の資料しか残ってないんですよね。戦前なにが大本教で作っていたかって。それも皮肉なことにですね、教団か弾圧うけたときに建物壊されたダケじゃなくて、教団がもっている、教義を書いた本だとか資料だとか全部焼却処分破却処分されてですね、あらゆる記録が抹消されていてですね、一部地方の残っているモノとかを寄せ集めて本部に持って行ってますけど。

 基本的にはそういう資料すら全部焼かれてしまっていたんですよね。警察が実は弾圧したときに、いろいろ撮影をしていて、壊す前に・・。その証拠書類みないな・・それが実は大本教の重要な資料・写真になっていてですね。
 いまから映るやつは、多くのものが警察が撮っていているのが幾つか入っています。

いま映っているやつは、大本教は京都の綾部、京都と言ってもかなり外れだと思います。綾部で出口ナオがおこした。最初の聖地を築くんですね。

これは言霊閣。言語の言に霊魂の霊。言霊の思想を建築化したと言われている建物です。こういいうのを全部考えたのは出口ナオではなくて・・出口ナオは中山みきみたいに、神の言葉をいっしょうけんめい、ズーット・・彼女はそんなに建築的なイメージもないし、モノをまとめる能力は無かったんですね

 それに対して出口王仁三郎(でぐちわにさぶろう)と言う非常に豪快な男がそのあと大本教に入ってきて、彼が出口ナオがいろいろやったことを、全部まとめて教義にしたり、あるいは彼が自ら建築をどう作ったらいいってことを考えてやるんです。
 この言霊閣っていうのも出口王仁三郎が作ったものの一つです

◎スライド44

                 

ここに映っているものは綾部につくった神殿です。本宮神殿っていうんですが1920年ごろに出来るんですが、これは拝殿。奥の方に本殿が見えます。
 で、この神殿はあそこにある、神棚にあるやつと同じ形式、伊勢神宮と同じ、神明造りといわれる建築様式なんですよね。
 これを「新宗教がやるっていうことはとんでもない」、当時の考え方でいうと・。伊勢神宮の神明造り、唯一神明造り・・最も神聖な伊勢神宮だけに許される・・近いようなニュアンスもあってですね、神道の中でもハイレベルな様式なんですよね。

でそれを堂々とですね・・一新宗教が本殿にスタイルを採用したことが実は問題になります。もともと大本教というのは一寸不思議なカタチで神道や天皇と・・意識していて・さっき紹介した、ほんみちという天理教から分派した教団っていうのは「天皇は嘘だ」っていうふうに真っ向から否定したんです。

 それに対して大本教の出口王仁三郎は自分が天皇になろうとしたっていうところ、自分が・・天皇と同一化するような・・例えばパフォーマンスで白馬にまたがるってことやるんですよ。白馬にまたがるってことは当時の文化的行動では天皇だけ・天皇がやることなんです、それをコスプレで・・天皇のコスプレをやったりするんですよ

 それと同じように建築でも、最も神道の奥深いことを堂々と真似するっていうか同化しちゃうんですね。それが逆にとんでもないってことになって、弾圧の口実になっていきます

◎スライド45

                 

 さっきの紹介した神殿というのは実は・・それで建てて1年以内に取り壊し・問題になってですね、直ぐに取り壊されてしまいます。
 それが第一次大本事件って言われるやつで、1920年代の頭にあるんです。問題はそれだけじゃなくて、例えばこれ・・教祖がその時には亡くなっていて、出口ナオのお墓なんですよ。丸い。お墓があるんですよ。
 このお墓もまた問題になってですね、「桃山御陵に似てる」っていうふうにイチャモンが付くんですよね
 
会場笑う

 それはケシカランっていうことになって、出口王仁三郎は、「そんなモノおれは知らんて」ってうそぶくんだけど。京都に彼らがいてですね桃山御陵知らないなんて無いだろうってことに・

     佐藤 笑う

・とにかく散々・・弾圧かかって・・・改築してて一寸分かりづらいけど・・丸が四角形の段々に方形のカタチに変えるんですよ。強制改築で壊されはしない・・だけど壊され・・強制改築。で、出口王仁三郎って面白い男で、壊された後にまた面白いことを言っている。「実は最初っからこの中は四角く作ろうと思っていたんだ」 というんですよ

     佐藤 笑う

・・そしたら国の方が、なんか干渉してきた本来のカタチになったからこれはすごい」みたいなことをいうんですよね。でこれもある意味で物語を作る。能力は彼すごいあってですね、つまり、

ここで単純に国の圧力に屈して、改築した。単に受動的な負の事になっちゃうんで、マイナスになっちゃうんで、「もともとこれを実は作ろうと思ったんだ」と言うだけで、逆にある意味ではプラスに変えようとしてるところがある。
 ちなみにこの後ろにある、ちっちゃい稚姫神社(わかひめじんじゃ)っていうのもやはり神明造りになっていて・・

◎スライド46

                 

これなんですけど、これもまー同じような建築様式なので、これも焼却処分になって壊されてしまいます

◎スライド47

                 

これはさっき見せた神殿の・・取り壊した後で礎石だけが・・残った状態です。面白いのは1920年に神殿作ってすぐ壊されちゃうんですけども。こいういのも宗教団体であるんです。弾圧されるとより結束が強くなる・・っていうのがあるんです。 ここでも同じようなことが起きて、大本教としては、神殿壊された後も、壊されたモニュメントとして、そのまま礎石を残すんですよ。あとその木材で作ってるから、壊された後の木材って転用がきくから別の建物を作るときに、ココの部材はあのときに壊された神殿の・・とか言ってですね

    佐藤  笑う

 再利用する。それは又共同体の記憶をより強く結束していんですよね。
実際大本教は21年の弾圧の時、第一次弾圧ですが、これぐらい建物を壊すので済んだんですけど、教団としては、むしろ勢いがさらにグッと伸びてですね、より大きく躍進していきます。その時に同時に、これは全部綾部で起こっているんです。亀岡ってもうすこし京都の近くの町に2つ目の聖地を作ります。

◎スライド48

                  

 亀岡なんです、出口王仁三郎が自分で見つけた聖地なんですよね。綾部は初代の教祖の出口ナオがもともと住んでいたとこなんで、2つの聖地を作るんですよ。出口ナオ綾部出口王任三郎亀岡っていう2つ聖地

それぞれに意味を、相互補完的に付けるんです、だから男と女だとか、いろいろ2つ聖地があることによって、意味をなす。相互補完的な意味を与えるわけです。

 それも天理教と比較すると面白くて、天理教の場合はあくまでも中心は絶対一つなんですね。一つの中心に収束して行くのに対して、大本教っていうのは2つに分裂した中心が相互補完的に作用するっていう・・

 亀岡で作った建築で、だいたい出口王仁三郎指導してるんです。最も有名な月宮殿、月の宮殿って書くんですが。これも綾部との対比になっていて、綾部の神殿が木造でやったから、こっちは一杯を使おうとか言って・・意味をいろいろつける。
 これは台座になるところで、四十八法座て、いろは四十八に合わせて。四と十と八。四は4箇所に灯籠を確か建てて、十はそのままカタチになるから十字形で八は末広がりのカタチ言葉をそのままリテラルに・・デザインにもっていくっていうようなこともやっていて

◎スライド49

               

で台座の上に建ったのは月宮殿で、見るからに普通の日本建築と一寸違ってますよね。むしろ中国とか東南アジアにある屋根に反りが激しい、

     会場 何度も咳をする ゴホゴホゴホ

タイプの建築。なんでこんなこをやったかって言うと、最初に月宮殿を考えはじめた頃まだ、まだ弾圧を受けて無かった頃だった。そのころはもう一寸普通の神社風のものをどうも考えていたみたいなんですよね。

 おそらく弟一次大本事件で、神明造りそのものやったら壊されちゃったんであんまり似てるもの作ってまた痛い目に遭うのは嫌だっていうことで、最初っからどう見ても神社ふうには見えない神道ふうには見えないものをおそらく作った。

 そういうこともあってこういう竜宮城ふうっていうかなー一寸変わった感じの建築を作った。これにもものすごい一杯意味が込められていて、このへんの物語を作る才能は出口王仁三郎は天才的な人で、このカタチは何故こういうカタチになっているかっていうことを一つ一つ物語を一杯作っているんですよね
 それは永くなるから省きます

◎スライド50

             

 さっきの月宮殿もそうだったんですが十字形のプランしているんですよ。さっき言ったいろは四十八の十の字が十字ってのもあるし、言霊学・・言霊でいくと・・水と火を合わせると、水と火はそれぞれ横と縦なんです。それをあわせると十字になる。

 とにかくいろんな意味を書いて、十・・十文字のカタチを非常に重視していたんです。大本教のなかで。

 日本の建築の中でハッキリと十字形のプランっていうのそんなに多くないんですよ。そういういみでは大本教もかなりユニークな建築の作り方で・・キリスト教だと十字形の建物って多いですけども、日本の中ではそんなに無い。

今映っているのは、もれも未完に終っちゃったんです、綾部の方に作った長正殿っていう建物で、これも十字形の平面を持っていてですね、いまいったような理屈が付いています。これは次の弟二次弾圧があって実現しません

sそれ模型なの・・

スケッチドローイング

◎スライド51

              

   
 これは時代は飛ぶんですが、世界真光文明教団。伊豆のほうにある、総本山。なぜこれを映したかというとですね。これも実は十字形を基本パターンにして、それを一寸複雑に屋根をした。基本的には十字っていうのをずごい重視しているんです。

 実はこの世界真光教と大本教は全く無関係ではなくて、大本教っていうのは天理教の比にならないぐらいに分派教団一杯生みだしていてですね、多くのいまの新宗教のものは元々どこかで、関わっているのがあって、実は世界真光教もそうなんですよね。

 大本教から世界救世教っていうのが分派・・ていうか元・大本教の信者が世界救世教を始めて。で世界救世教にいた人が真光教を始める。真光教は又2つに分かれるんですが。

 その真光教のじつは両方ともですね、十字形ってカタチを重視しているんです。
その時に言ってる理由が全く大本教と同じなんですよ。「水と火は垂直と水平の十字である」とか、あのー・・かれらの持っている世界観っていうのはかなり大本教と似ていて・・ようは大本教の出口王仁三郎の言った理論の孫兄弟あたる。孫教団が継承しているんです。

 世界救世教はそんなに十字形の話はないんですが、孫教団のほうに両方とも、特にこのこちらの方はハッキリと十字がメインになっていて・・。十字形ってカタチが出てきて、なんか隔世遺伝みたいな感じなんですよね・・、カタチの遺伝子ってのが受け継がれていて、非常に面白いなっておもって紹介しました。
 
◎スライド52

              

これは綾部の方ですね。ここに礎石・・段だけありますけども十字形の長正殿・・が建つ予定でしたね。こういう感じで山があって・・小高い丘ぐらい・・本宮神殿があった・・この下も全部、大本教の 聖地になっている。このへんのランドスケープが建築がかなりの部分を出口王仁三郎が自分で考えて「アアしろこうしろ」って指揮をします。ただ出口王仁三郎っていう人は、わりとインスピレーションに頼る人なので、思いつきで、突然ここに水・・

   佐藤  笑う

水作れ」だとか、「山を作れ」だとかわりと言うんで、そういう意味では行き当たりばったりのところがあって、天理教のおやさとやかた計画みたいな非常にハッキリと明快に完璧にしたカタチであるのに対して、大本教っていうのはわりとそういう明快カタチが無いんですよね。
 全体的なその計画とかなくて、王王仁三郎のインスピレーションんで動くあまりに、あちこちにモノを継ぎ接ぎしていくっていう感じの聖地になっていて・・

◎スライド53

                

これは第二次弾圧の時に壊された部分の写真なんです。これは看板なんです。第二次弾圧は1936年7年か30年代の後半に起こるんですが・・その時の弾圧っていうのは徹底していてですね。綾部と亀岡の両方の聖地にあるあらゆる建物、全て根こそぎ壊すんです。

その壊し方が非常に徹底していてですね・・、第一次弾圧の時に中途半端に壊したらですね、例えば木材を転用しますよね・・転用してかえってそれが物語をつくちゃうから、木材をタダ壊すんじゃなくて、壊した後木材を刻んでですね、材として絶対使えように壊したりだとか、あるいは礎石も残ったらメモリアルになっちゃうから、石も全部ひっくり返して、海まで持っていって捨てたりだとか。石碑のたぐいは全部削ったりだとか、出口王仁三郎がここに池を掘れとか言ったヤツは全部埋め戻す。

ランドスケープも元の状態にしてかえしちゃうし。書類だとか本だとかあらゆる記憶・痕跡を抹消するてことをやってですね、非常に徹底してたんです。

 第一次弾圧の時に中途半端に壊すとかえって教団が復活して・・恐れてやったんではないかと思います。

そういうマニアルまで作ってですね。警察の方で、こういうふうに壊すってマニアルには残っちゃうと良くないから、「後で大本教だって連想させるよなものは全て無くせ」っていうこところです

◎スライド54

               

これは今の亀岡を外から見たところです、もともとお城があったところです。明智光秀なんかの城で、買うときに「不吉だから止めろ」なんて言われたらしいです。
 今はまたこの中にモノが復活してる

◎スライド55

                   

例えば大本会館なんですけど、建築畑の人だと知っていると思う。西山卯三。出来上がってるものがそんなにすごいわけではなくて、出口王仁三郎は戦後亡くなってしまってですね、その後に出来る建物は、彼が生きていたころのエネルギッシュなものはない。パワフルなものは無いって感じで、そこそこのモノを作っていく感じがします

◎スライド56

                

              

これは1993年に竣工した長生殿でさっきドローイングがあった十字形の未完成の建物・・93年に完成させます。ただ全然違うカタチになっていてですね、出王仁三郎のやつはここではどういう理由か分かりませんが採用していません。
93年は意味があって1893年に大本教が開教して100周年っていうことでこれが作られました。


◎スライド57

               

これですね。わりと純和風のものを結構作っていてですね、今の教主・・が和風建築が好きだっていって・・文化庁を引退したような人を使って、正しく綺麗な日本建築を作っているんですけども・・出口王仁三郎のような豪快さはなくなっています。

 ここの山、さっきの絵ではいろいろ建っていたんですが、ここは禁足地にしちゃっててですね。あえてなにも作らない。作らないことによって、逆に・・作らないし立ち入り禁止にすることによって、聖なる空間っていう感じを演出しています

 建物を次々に大本教の場合は完全に弾圧崩れしてしまって・・天理教はシステムを作ったから、おやさとやかたにしても・・考えたりしてり人が亡くなっても続くんだけど、大本教の場合は出口王仁三郎がインスピレーションでやって・・天才的なことをやったんだけど、彼が死んじゃうとその後は、・・人材がいなかったんので、あとはその時の教主の考えたことで行っちゃう・・ものが出来ちゃう。
 あまりシスティマティツクには、ものが展開しませんでした

◎スライド全面あかるくなる

後はパラパラって簡単に


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