黄泉の国の住民は骨白の美人! だった
 2005年7月30日
 


黄泉の国の入り口から日本海を望む 

黄泉の国の入り口は小さな漁村の小さな船着場

出雲大社の北、鵜鷺峠(うさぎとうげ)近くの海岸に、黄泉の国の入り口とされる猪目洞窟がある。今回はその洞窟のレポート。

前日に出雲の国譲りの舞台となった稲佐浜の取材を終え、明日の洞窟探検に備えて海岸近くの民宿「椿屋」で一泊した。

次の日、出雲大社に早朝参拝した後、バスに乗って洞窟へ行こうとしたんだけど、バスの便がとても悪くて一日に二本しか走っていないんだ。早朝の一番便はすでに出てしまったあとだし、次のバスはお昼近くなるまで出ないと聞いてがっくり。

仕方がないので二人で相談して思い切ってタクシーを奮発することにした。
ところがそのタクシーの運転手さんに
「黄泉の国の入り口、猪目洞窟、に行ってください」
と言っても
「えっ? それって、どこにあるの?」
と言う返事が返ってきた。
これには僕たちのほうが拍子抜けしてしまった。想定外だ!

だって、猪目洞窟のことは門外不出、見たことを人に話してもいけないし、洞窟の夢を見た人は命がない…とまで語られている「黄泉の国の入り口」だと聞いていたので、出雲のタクシーの運転手さんがその場所を知らないなんて、信じられない!!!

ぼくたちは地図を示しながら、二人でかわるがわる、この運転手さんに「古事記」の話をして、イザナギが死んだイザナミを迎えに行った「黄泉の国の入り口」があると地元で恐れられている所だと説明したら、なんとか判ってくれたようでようやく車を発進してくれた。

それにしても猪目洞窟はよっぽど物好きでないかぎり行く人がないようで、観光コースとは縁遠い場所らしい。それともほんとに一度行ったら二度と返れない恐ろしい所かも?


 
この場所を夢で見たものは帰れない

ということで出雲大社の裏側の山中を車で20分ほど走ると、ご覧のようにのどかな漁村に着いた。

えっ! ここがあの、「黄泉の国の入り口?」

確かに大きな穴が開いていて洞窟にはなっているんだけれど、その前にはドーンとコンクリートの橋脚が立って洞窟を塞ぐように道路が一本通っている。

みどりさんは思わず、「なんやのんこれ! ここがほんまにあの世の入り口?」とぼやいていた。

運転手さんはよっぽど珍しかったのか、車を降りて僕たちと一緒に洞窟までついてきた。「ここが猪目洞窟ですか、初めてきましたよ」といって観光のために立て看板を熱心に読んでいる。

その看板には
「国の史跡・猪目洞窟、昭和23年漁港改修工事の際、洞窟内から多くの人骨、遺物が出土した。この洞窟は出雲の国風土記に見える「黄泉の穴」にあたるものと考えられ、国の史跡に認定された」

と書かれていた。やっぱりここが、夢にこの窟の辺に至るものは必ず死ぬ、古より今に至るまで黄泉の坂、黄泉の穴と出雲の人に恐れられた場所だった。

「国の史跡やったらもうちょっとちゃんと整備してほしいもんやね」
とみどりさんは不満顔。

「黄泉の国の入り口」というよりも僕にはここはのどかな漁村の船着場としか見えない。近くには小さな集落があり、その全てが漁師をしているようだ。

防波堤の上を歩き洞窟から少しはなれて全体写真をとっていると、洞窟の形が猪の目の形に似ているの気づいた。猪目洞窟という名前はこのことから付いたのではないだろうか。

それにしても道路が邪魔でなんとも景色が台無しだ。来る前はもっと恐ろしい暗いイメージを想像していたのに……、この無粋で無神経な道路が雰囲気をメチャメチャにしている。国の史跡なんだからもっと神話を大事にしてイメージを壊さないでほしいものだ。



まあ、それはそれとして、僕たちは洞窟の中へと入った。ひんやりとして涼しい。足元は湿っていて苔が生えている。

中には小さな祠が祀られていたが、30メートルほど進むと天井がどんどん低くなってきて、そこから先へは進めなくなった。さらに奥には、小さな穴があってまだまだ洞窟が続いているようにも見える。聞くところによると、ここで肉体を置いて魂のみが黄泉の国へといけるらしいのだが。

そして不思議な声をここで聞いた。それは、「シクシク」と誰かがすすり泣く声だった。

そのとき例の運転手さんが立て札の前で大きな声でこういった。

「この洞窟の発掘品が、大社町の公民館に保存展示されていると看板に書いてあるよ。お客さんたちこれから帰りのバスに乗るのには二時間近くあるけど、どうせ空車で帰るので、良かったら公民館まで乗せてってあげましょうか?」

何と、親切な運転手さん! ぼくたちとしてもこの何にもない洞窟でぼっ〜と時間を潰すより町まで乗せて帰ってもらって、洞窟の出土品を見る方がずっと効率的に時間を使えるというものだ。そこで、無料と言うのも悪いので、少し安くしてもらって大社町の公民館を目指すことにした。



骨白美人の1700年前の女性(シャーマン)

みなさんは、こんな美しい骨白(ほねしろ)の骸骨を見たことがあるでしょうかぁー!

この骸骨を一目見るなりぼくは彼女がすばらしい美人だったにちがいないと感じた。骸骨をよく見てみると、目のあたりに幾筋かの涙を流したような後がついている。あっ! もしかして洞窟の中で聞こえたあの泣き声は……???。

彼女は猪目洞窟で1700年近くも眠っていた若い女性のシャーマンだ。彼女がなぜシャーマンか判るかというと、彼女の右腕には6個もの「ごぼうら貝の腕輪」がはめられていて、船の木枠のヒツギの中に大切に埋葬されていたから。

みどりさんもいままで見た骸骨の中で一番美人だと確信できると興奮している。……といっても彼女が今まで何体の本物の骸骨を見たのか僕にはわかりません。今は科学捜査が進んで骸骨の顔を再生する複願というのが出来るらしいのですが、きっとすごい美人の顔が現われるのではないでしょうか?

洞窟でのあの声は、この公民館、(消防署の横の小さな保管倉庫)の中にほったらかしになっているこの美人のシャーマンの骸骨がぼくに語りかけていたに違いない。早くちゃんとした資料館か博物館に展示されることを願います。


じつは、ぼくたちは、この骨白美人の骸骨に出会うには大変な苦労をしたのです。

例のタクシーの運転手さんが出雲大社の町まで僕たちを乗せてってくれたので、時間が節約できたことだし、お腹も空いたからまず先にお昼を食べようと言うことになった。

そこで美味しい出雲蕎麦のお店の前で車を降りて、その後で公民館に歩いて行くことに決めた。お店の人に聞いたら公民館はすぐ近くということだったので、気楽な気持ちで歩き出したのだけれど、教えられた道を行けども行けども公民館が見当たらない。そのうえ、非常に暑い。汗が噴出してくる。

みどりさんは例のごとく、自転車を借りれば良かったのにとか、すぐだといったのにまだ着かないとかぶつぶつ言うので、僕は彼女をほっておいてどんどん一人で歩き出した。途中で会った人に道を尋ねたら公民館はいくつかあって、この先にも廃校した小学校の校舎が公民館になっているところがあると教えられた。どうやら僕たちは途中で何個かの公民館を見過ごしていたのかもしれない。

ようやく廃校の公民館にたどり着き、係りの人に猪目洞窟の発掘品を見に来たと告げると「それはこの公民館には置いていないんですよ!」「(@_@)えっー?」と僕が話している最中に汗をかきながらみどりさんが入ってきて「せっかく猪目洞窟の看板を読んで、公民館に保存展示してあるって書いていたのでやってきたのに!」と土間にドカンと倒れこんでしまったのだ。

ぼくはみどりさんを無視して、冷静に話を聞いてみたら、なんと大社町は昨年合併したばかりで公民館が六つもあって、猪目洞窟の出土品を展示しているのは最初に僕たちが蕎麦を食べたお店のすぐ近く、出雲大社の大鳥居の横の消防署の隣だったらしい。

みどりさんは、そんなあほなぁ〜! もうこれ以上歩けないよぉ〜といってむかついている。係りの人はそんなみどりさんを申し分けなさそうに見て「向こうに連絡して置きますので、車で送りますから…」といってくださったのを聞いて、みどりさんはとたんに機嫌が直りニコニコ。

そんなこんなで、ようやく出会えたのがこの骨白美人のシャーマンの骸骨だったというわけです。倉庫は普段はカギがかかっていて中には入れないので、大社町のほとんどの人がこんなすごい美人のシャーマンの骸骨がここにひっそり眠っていることは知られていないらしい。げんにぼくたちを送ってくれた例の廃校の公民館の人も「初めて見せてもらいました」と言ってびっくりしていた。

僕たちは猪目洞窟の出土品の中にこんなすばらしい骸骨があるとは思ってもいなかったので意外な展開に感動してしまった。


彼女に出会えたのはよっぽどのご縁だったのかもしれない。そして1700年間も眠っていたのだから、いっそ猪目洞窟に返してあげればいいのに……、その場所で土に返るのがいいのではと思った。

シャーマンの腕のごぼうら貝

みどりさんがあそこでごねなかったら、ぼくたちはまた、暑い中をもと来た道をてくてく歩かなければならなかったか、それとも大社町の街中をうろうろと探し歩いて、骸骨に出会えないまま大阪に帰ってしまったかも? と思えば彼女にちょっぴり感謝。

それから、もし、みなさんが出雲に行って大社町の公民館でこの骨白美人の骸骨さんに会いたいと思われたら、まず、役場に連絡をいれておくことをおすすめします。

なぜなら前にも言ったように、彼女は普段は倉庫の中のガラスケースに保管されているからです。おまけに倉庫にはカギがかかっているので、許可がないと誰も中に入れません。でもすごい出土品ですよ。釣り針もあったし。一見の価値あり。デス。




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