小林晴明・宮崎みどり
よみがえる稗田阿礼
 共著『古事記のものがたり』
     自費出版で語り継ぐ文化

いい話の新聞平成11年10月号

本誌で記者を務める小林晴明さんと宮崎みどりさんが、共著で「古事記のものがたり」を出版する。

ある夜、家路に急ぐ宮崎さんは道の脇で靴を脱いで眠り込んでいる乞食を見かけた。「朝、目覚めたとき、靴の中からお金が湧いて出たらどんなにうれしいだろう」と思い、足下に置かれていた靴の中にそっと500円玉を忍ばせた。

翌日、環境問題の電子マガジンをインターネットで提供している会社の社長から電話が入った。「古事記を題材としたお話を書いて欲しい」。

これまでふたりは、この電子マガジンで環境問題を関する記事を書いてきた。だが、環境問題と古事記とは、どう考えても結びつかなかった。ところが、社長は「自国の文化を忘れ去ったところに環境問題の原点があるかもしれない。環境と神話とはつながりがある」と主張する。

「きのうの乞食と今日の古事記……」妙な符号を感じ引き受けることにした。

古事記は奈良時代、語り部の稗田阿礼が口伝したものを天武天皇の命を受けた太安万侶が編集したものだ。これまでも、解説書や研究書は出版されてきたが、いずれも難解なものばかりだった。

もともと宮崎さんは、日本の古典文学や古神道に興味があり、三輪神社の元神主だった小林美元氏から古事記の手ほどきを受けていた。一方の小林さんはファンタジーや童話を書くのが得意だった。

「ふたりの経験や特質を生かせば、きっと中高年にも楽しんでもらえるような古事記を書くことができるかも知れない」

稗田阿礼、夢枕に現れる

このように考えた二人は原文の記述にのっとりながらも、自由に内容をふくらませた古事記を書き始めた。紙芝居よろしくイラストもつけ加えることにした。稗田阿礼が平成の現代によみがえってきて語りかけるというスタイルは読者を魅了した。

連載を始めたある日、宮崎さんの夢枕に稗田阿礼が現れた。「神話を忘れた民族は滅びる。どうか『古事記』を伝えてください」。こう言い残すといつの間にか姿が見えなくなってしまった。

好評を得た半年間の連載が終わり、読者からは「本にして欲しい」との要望が持ち上がった。この声に答えようと十数社の出版社を訪ねたが、古事記というマイナーな題材を本にしてくれる奇特な出版社は一社もなかった。

出版がだめなら手づくりでと考え、半月かかって4冊の本を作り上げたが、人件費を除いた原価が一冊当たり五千円ほどになってしまう。

出版社も手づくりも無理だとわかった二人だが、偶然訪れた伊太祁曽(いたきそ)神社で思わぬ出会いと展開が待ち受けていた。

夢つなぐ伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)

伊太祁曽は紀の国、和歌山の木の神「おおやびこの神」を祀っている。古事記では、大国主が兄たちから命を狙われ、追い詰められたときに木のほら(あな)をくぐりぬけさせ、逃がしてくれた神様として紹介されている。

大国主がくぐり抜けたほらの向こうは異次元の世界だった。そこで修行した大国主はやがてもとの世界に戻り、大きな国を取りまとめることになる。これが大国主の名前の所以だ。

この話を覚えていた宮崎さんは、この神社の宮地にあった大きな木の洞をくぐり抜けてみた。その後ふたりは社務所に向かい、奥鈴雄宮司と、しばらくの間、歓談した。

「ここの御祭神はおおやびこさんですね。」「おおやびこの名前を知ってくださっているとはうれしい」ふたりは「古事記のものがたり」を何とか出版したいと思っているが、思うようにことが運ばないことを素直に話した。

宮司は「古事記は宮司である私たちが広めなくてはいけないのに。若いあなた方が苦労してくださっているとは……」といって、帰り際に金一封を手渡してくれた。「これを出版費用の足しにしてください」。

神社というところはお賽銭を上げて神様に願い事をするところだとばかり思っていた。それが自分たちがお金を頂くことになろうとは考えてもみなかった。さらに出版に向けて力になってくれるかもしれないから伊勢神宮にいる自分の息子を訪ねるようにとのアドバイスまでしてくれた。

伊勢神宮へと心を運ぶ

言われるままに伊勢神宮を訪ねてみると息子さんさんは伊勢神宮で崇敬会事務局長という要職についていた。奥宮司から、すでに連絡が入っていたものとみえ「古事記のものがたりを神社新報に書評入りで掲載し、全国の神社に宣伝しよう」と言ってくれた。

大国主はおおやびこの神に助けられ異次元につながる木のほらをくぐった。宮崎さんたちがくぐりぬけた木のほらは伊勢神宮へとつながった。大国主が大きな国を治めたように、ふたりの作る本は大きな広がりをみせるのだろうか。

「どう考えても、夢に現れた稗田阿礼やおおやびこの神さま、伊勢の天照さままでが見えないところで非力な私たちを応援してくれているように思えてならない」

このことに勇気付けられたふたりは、既存の出版社を頼らず、出版コードを取得し自分たちで小さな出版社を設立する決心をした。アダムとイヴは知っていても、若い世代はイザナギ・イザナミの名前すら知らない。

日本の文化財産として世界に誇れる古事記は、戦後、軍国主義の復活を防ぐと言う目的で、教科書の中からけされていった。

語り部が語り継ぎ、親から子へと受け継がれてきた「いなばの白うさぎ」やおろち退治」「うみさち・やまさち」などの昔話が忘れ去られようとしている。

こじきに触れることは、私たち日本民族の中に眠っている豊かな智恵を呼び起こすきっかけになるかもしれない。

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