選挙の憂鬱

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 ようやく選挙も終わって、ほっとしている方も多いと思います。自公保が大幅に議席を減らしたものの、政権の枠組みは変わらないという、なんとも後味のわるい結果です。
 私は選挙権を得て以来、国政選挙は一度も棄権したことがありません。(地方レベルの選挙は数回棄権しました。)でも最近は選挙の度にだんだん気分が滅入っていくのを感じています。憂鬱になる理由には、次の二つがあるようです。
 一つは、どの候補者・政党に投票すればいいのかを積極的には 決めにくくなっているからです。一方では、価値観の多様化とか個性・個々人の意見の尊重とか言われながら、実際にそれらが投票に反映できるような政治状況・選挙制度からはほど遠いのが現状です。多くの候補者・政党は、争点となりうるような問題について、深く掘り下げ、それぞれの立場からはっきりとした主張をしようとしません。(それは、結果的に現状維持になってしまいます。)
 私が特に重要であり、かつ政治家にもまた有権者一人一人にも問い直してほしいと思う問題には、たとえば、財政赤字をどうするのか、原子力発電をこれからどうするのか、車社会をこのままにしていて良いのか、といったことがあります。
 目前の景気回復に名を借りて財政赤字を放置するなら、結局はむりやりインフレをおこして借金を目減りさせるしかなくなるでしょう。(それは、生活レベルの引き下げに直結します。)
 原子力発電所は、他の巨大設備にもしばしば言えることですが、安全かつ無駄のないように廃棄できる技術的な見通しのないままに、造られ続けています。さらに、その副産物である高レベル放射性廃棄物やプルトニウムの問題も未解決です。少くともこれらの問題に充分な技術的な目処がつくまでは、原子力発電所を造らないというのが当然の結論でしょう。(私自身は、これらの問題はまだまだ解決しそうにないので、当面は原発の増設を凍結し、さらに、耐用年数が来る炉については、延命させずに、多少のコストがかかっても廃炉にするよう、政策転換すべきだと考えます。)
 また、車社会の問題は、たんに環境問題や産業構造の転換とかいった観点からだけではまったく不充分です。国内だけでも年間の死者数1万人前後、さらにその何倍にもおよぶ重度の障害を持つ人たちを生み出している、「交通事故」と言う呼び方で片づけるにはあまりにも深刻かつ暴力的な事態をこそ、国民各人が直視するべきです。同様な事態がもしも原発や飛行機事故で起きたとするなら、国民はけっして耐えられないはずです。
 でも実際には、何らかの社会的装置によって、国民の交通事故にたいする感性が麻痺させられているのです。(もちろん、多くの被害者および一部の加害者は、心にも深い痛みを持っているはずなのですが、それがマスコミなどで表面化するのはまれです。)
 そういう社会的装置として、各種の自動車保険があるのだと思います。このような制度の功罪を含め、車社会を根本から問い直し、自動車がたんに人間の色々な欲望を満たす道具としてではなく、どうすれば不郊もたらさずに有効に活用できるかについて熟考し、できればそのためのシステムを提案してほしいものです。
 私が重要だと思っているこれらの問題について、実際に投票所に出かけていって選挙権を行使したところで、いったいどんな影響をもたらし得るというのでしょうか。
 さて、選挙期間中私を憂鬱にさせるもう一つの原因は、あの〈騒音〉です。
 街頭や駅前での連呼や紋切り型の〈演説〉らしきものは、ほとんどの場合、私の歩行を邪魔する騒音でしかありません。私がよく利用する駅前は、いくつかの方向から車が進入してくるようになっていて、ふだんでも道を渡る時はかなり注意しなければなりません。ましてや連呼の最中に横断するとなると、しばしば車が来ていないことを完全には確認できないまま、「それ行けー!」といった調子で渡らなければならないのです。(なにしろ人の手をかりるにも、近くに人がいるかどうか分からないほどの騒音なのですから。)
 また時には、運動員が整列してぜんまい仕掛けの人形のようにお願いを繰り返しているのは、私にとっては歩行を邪魔するだけの〈障害物〉になりかねません。
 目の見える人たちにとっても、このような選挙運動の仕方はあまり歓迎されていないようです。候補者の政策や人柄を知ることができるように、選挙運動の期間を長くして立合演説会や戸別訪問を解禁し、候補者と有権者が直に時間をかけて接触できるようにすべきだと思います(また、インターネットの活用もとても有効でしょう)。もちろんそれには、政治家と有権者双方のモラルの向上、そして違反に対する厳しい罰則も必要です。
 ようやく落ち着いた日々がやってきました。暑さで時々頭がぼうっとしてしまいますが、少しずつ自分の考えをまとめ、発表していきたいと思います。