マルチメディアと著作権――だれにでも開かれた情報環境を目指して

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今日、インターネットの普及や各種マルチメディア技術の急激な進歩により、文字通りだれにでも開かれた情報環境が現実の物と成る可能性が出てきましたし、また、情報アクセス権の確保を求めるさまざまな動きも多く見られるようになりました。その際しばしば問題になるのが、著作権との係わりです。

 まず初めに、著作物の持つ公的・社会的性格について、念のため確認しておきます。

 著作物はもちろん、それを創作した著作者の物ですが、その著作者はけっして〈無〉から創作しているわけではありません。程度の差こそあれ、著作者はその時代・社会の文化、それまでに蓄積されてきた知的成果を受け入れ、それを基に創作しているはずです。ですから、こうして創作された著作物は、著作者の財産権や人格権を不当に侵さないかぎり、その社会に広く還元されるべきです。また普通は著作者自身も多くの人たちの利用を期待していることでしょう。
 このように、著作権は保護されなければならないと同時に、制限もされなければなりません。著作権法では、一定の条件下(たとえば、私的利用)での著作物の自由な利用、および著作権の保護期間(我が国では著作者の死後 50年)を定めて、著作権を制限しています。

 実際に著作権をどのように保護しまた制限するかは、著作物の利用技術(とくに複製技術)の進歩を後追いする形で、変わってきています。我が国の例を挙げれば、 1984年、貸しレコード対策として「貸与権」を認める、 1985年、コンピュータ・プログラムを著作物に加える、 1986年、データベースを著作物に加える、 1992年、CDやビデオなどディジタル方式の録音・録画機器対策として「報酬請求権制度」、 1998年、ホームページに書き込む行為などを「送信可能化「(だれにでも見られる状態)と位置づけ「公衆送信権」を認める、といった具合です。

 これらはいずれも主に著作権の保護に重点をおいたものでした。

 さて、インターネットやマルチメディア等の技術に支えられた「だれにでも開かれた情報環境」を実現しようとすると、しばしば著作権が一種の〈バリア〉になることがあります。それは、障害者・高齢者・外国人なども含めた、文字通りあらゆる人たちの情報アクセス権が未だ充分確立されておらず、著作権のほうが優先されやすいからだと思います。

 昨年からの動きを少し振り返ってみます。

 昨年6月、障害者関係 16団体で構成される「障害者放送協議会」が文部大臣宛に次のような5項目の要望書を提出しました。
(以下引用)


1)手話および聴覚障害者のための字幕を、著作権法第37条に準じて、公表された著作物に付加することを認めてください。これにより、手話および字幕による、同時通訳を含む情報保障が、許諾等を経ず円滑に行えるようにしてください。
2)点字について、著作権法第37条で認められている事柄を、今回の改正法においても十分に保証してください。またこれに準じて、映像による著作物に視覚障害者のための音声解説を付加することを認めてください。さらに第37条が、インターネットなど新しい技術を用いた通信・放送の場にも適用されるようにしてください[点字・音声データをインターネット上で利用できるようにすること――引用者]。
3)録音図書を含む音訳物について、現在利用対象者として認められている視覚障害者だけでなく、音声情報を必要とするLD(学習障害)者や高齢者などにも、利用対象の範囲を広げてください。
4)インターネット等を利用した、新しいマルチメディア技術の普及の中で、情報の翻案、要約、書き直し(rewrite)等を必要とする、知的障害者やLD(学習障害)者などに対して、情報アクセスの権利を保証してください。
5)国および文化庁におかれましては、著作権審議会の委員に、視覚障害・聴覚障害など各分野の障害当事者団体代表を含めるとともに、障害者の情報アクセスと著作権について、障害者団体と継続的に協議する場を設けてください。
(引用終り)
 その後文化庁著作権課との話し合いがもたれたりして、 12月には著作権審議会第1小委員会の「審議のまとめ」が公表されました。そこでは、上の要望の1と2については、一部を除いてほぼ認められ、その他は見当課題となりました(その判断基準の一つとして、一般の人たちが、点字や音声などに改変されたデータを流用できるかどうかが挙げられています)。そして今年4月著作権法の一部改正(施行は 2001年1月)が行われ、点字データのインターネット上での蓄積や送信、テレビ音声の字膜化が認められるようになりました。

 上のような改正によって障害者の情報アクセス権は少し広がったとは言えますが、まだまだ不充分だと言わざるをえません。とくに私が問題だと思い、また是非考え方を改めてほしいと思うことは、次の3点です。

 まず、これまで視覚障害者のための情報媒体としては点字あるいは録音データが(一般の人とは別枠の視覚障害者用として)想定されていましたが、私はテキスト・データを基本に据えるべきだと思っています。私は長年点字を使ってきましたので、その素晴しさは十二分に分かっていますが、質の高い点字(あるいは録音)データを作るには、高度な知識を持ち専門の訓練を受けた人たち(今はおもにボランティアで、人数も限られます)が必須ですし、また時間も(時には半年近く)かかります。これに比べて、テキスト・データだと、現在ではかなりの精度で、人の手を介さず機械的に、点字あるいは音声に即時に変換することができます。(私のインターネット利用はこの方法に依っています。)質の高い点字・録音データの利用を保証するとともに、即時性と双方向性を基本とする情報社会にあっては、テキスト・データの利用も保証されなければなりません。

 その際に問題になるのが、文字化されていないデータ、たとえば表や図を示す画像データやPDF形式のデータです。これにたいする方策としては、一方では、政府機関など公的な部門については、画像データやPDF形式のデータをテキスト・データとしても提供させるような指針を設けるとともに、他方では、次に述べる論点とも関係しますが、広く一般の人たちがそのようなデータを視覚障害者のためにテキスト化することをなんらかの仕方で著作権法上認めるようにすべきです。

 第2の要点は、著作者の人格権として重要な同一性保持権の見直しないし制限についてです。文字通りの意味での「だれにでも開かれた情報環境」を実現するためには、同一性保持権について是非とも考え直さなければなりません。ある情報媒体を利用できない人に取っては、その情報にアクセスするには、その人が利用できる媒体に変換されなければなりません。たとえば、視覚障害者は文字や画像を点字や音声に、聴覚障害者は音声を文字や手話に、外国人は日本語をその人の言語に、普通の日本語文をよく理解できない人はその人の分かる程度に書き換えた平仮名中心の文に、といった具合です。このような場合、点訳、音訳、字幕、手話通訳、翻訳、リライトなどによって、元の情報と変喚された情報との間には厳密な意味での1対1の対応関係は保たれないのが普通で、同一性の保持は完全には達成されていません。ここで実際上重要なことは、元の情報の内容と変換された情報の内容がほぼ等しいと認定されえ、しかも変喚された情報の内容がその利用者にある程度は理解可能なものでなければならない、ということです。そうでなければ、けっしてアクセス権の保障にはなりません。

 最後に、ネット上での私的使用についてです。現行の著作権法(30条その他)では、私的使用は自由で、著作権者の許諾を得る必要はありません。ある媒体で流通している情報にアクセスできない人が、私的使用のために別の媒体への変換を必要とした場合、その変換された情報はネット上ではしばしば不特定の人に利用可能な状態になってしまいます。すなわち、利用者の意図とその結果の乖離です。このような場合、結果を理由に情報へのアクセスを制限するのではなく、利用者の意図をできるだけ尊重した形で問題解決がなされるべきです。(残念ながら今のところ、私の能力では、そのための最良の方法はどんなものかを提案することはできません。)


[参考 URL]
障害者放送協議会「著作権法改正に関わる要望について」
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1990/990610.htm

著作権審議会第1小委員会審議のまとめ
http://www.monbu.go.jp/singi/chosaku/00000281/

著作権法等改正案の骨子 文化庁 抜粋 2000年3月
http://www.normanet.ne.jp/~housou/kenkyu/20000301.htm

マルチメディアネットワーク時代における障害者、高齢者の情報アクセスと著作権
http://www.ascii24.com/24/news/topi/article/2000/02/08/606985-000.html (前編)
http://www.ascii24.com/24/news/topi/article/2000/02/14/607070-000.html (後編)