参審制に思う――私も裁判員になれるのかなあ?
3月13日および14日付の朝日新聞(WEB版)によれば、司法制度改革審議会が検討していた、市民が刑事裁判に直接参加する制度の原案が明かになりました。この制度は、いわゆる参審制に近いものです。2年近く前から検討されていた一連の司法制度改革の一つで、国民の司法への直接参加の具体策です。
ただ、私はこの記事を読んですぐに危惧の念を覚えました。そのことを皆さんに知っていただきたいと思い、この文章を書いています。
さて、裁判員の選出は選挙人名簿からの無作為抽出ということですから、選挙権を持っている人はだれでも裁判員になる可能性があり、しかもそれは「義務」なのです。もちろん、視覚障害者もふくめ、障害者も裁判員に選ばれることがある訳です。1回の裁判で3、4人の裁判員が選ばれるとして、ごく大ざっぱに計算してみると、視覚障害者が裁判員に選出される確率は 1% 前後、より広く障害者が選ばれる確率は 10% 前後になります。
たとえば、視覚障害者が裁判員に選ばれたとすれば、資料を点字あるいは音声に変換しなければなりませんし、聴覚障害者の場合なら、他の裁判官や裁判員とのコミュニケーション手段の確保が必須です。このような場合の対応をあらかじめ考えておかないと、せっかく裁判員に選ばれたにもかかわらず、内々に辞退するよう説得されたり、逆に障害者等の側から裁判員としての義務が果せないからと辞退したり、また裁判員として裁判に参加しても事実上お客さん扱いにされたりするかもしれません。もちろん、障害者等が裁判員になった場合の難しさを見越して、裁判員の選出法に条件を付けて、あらかじめ障害者等を排除しておこうといったことは、絶対に許されません。
国民としての義務や権利を行使するさいに、独力で、あるいは援助が必要な場合でも、個人的にだれかにお願いするのではなく、公的に保証された制度に支えられてできることがとても大切です。それは、市民の持つ権利や義務を実質化することであり、人権としても重要だと思います。