三岸節子記念美術館の常設展とはしもとみお展――絵のジオラマに触る

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 2月20日、アートな美(名古屋YWCAの美術ガイドボランティアグループ)の皆さんの案内で、愛知県一宮市にある三岸節子記念美術館に行き、常設展および「はしもとみお展」を見学しました。(一宮市は、2005年に旧一宮市・尾西市・木曽川町が合併してできた市です。三岸節子は旧尾西市の起町に生まれました。)
 参加者は、見えない人たち8名をふくめ20名くらい、11時前にJR尾張一宮駅に集合しました。まずは早めの昼食を名鉄デパートで皆さんわいわい言いながらおいしくいただいた後、起(おこし)行きのバスに乗車し、予定より早く12時半ころに三岸節子記念美術館に到着しました。
 入口の前には、三岸節子のたぶん等身大と思われるブロンズ像がありました。着物の上にコートのようなのをはおり、革靴のようなのを履き、ステッキの柄を手で握って(その指は女性にしては太いように感じた)立っています。顔は小作りで、口の回りや頬などにはしわが多くあり(そのしわの曲線は意外ときれいに感じました)、おそらく最晩年のころの姿だと思います。身長も150cmもないくらいで小柄でした。
 この美術館は、大地主で織物工場も営んでいた三岸節子の生家の跡地に建られていて、私にはよくは分かりませんが、建物は煉瓦風の装いで3角の屋根がいくつも連なるなど、当時の織物工場の雰囲気を出しているらしいです。(一宮付近は毛織物工業で有名で、戦後のことになりますが、「ガチャ万」(=織機をガチャンと動かせば万のお金が入る)という言葉もあったとか。)館内に入ると、受付の所に「月君」という柴犬の彫刻がお出迎え。触って良いということで、みんなで触りました(これははしもとみおさんの飼い犬だそうです)。
 
 初めに学芸員のTさんより、この美術館や三岸節子とその作品について簡単に解説がありました。節子は1905年に裕福な地主の4女として生まれますが、16歳の時に不況でその織物工場が倒産、その後彼女はずうっと生家の名誉回復を願っていて、気の強い女性だったろうということです。19歳で女子美術学校を卒業、同時に三岸好太郎と結婚、翌年、20歳で、春陽会に「自画像」等4点を出品し、入選します。1999年、94歳で亡くなるまでの長い画業は、大きく、初期の室内画・静物画の時代、戦後しばらく、日本の埴輪など古代的なものをテーマにした時代(美術館には「鳥と琴を弾く埴輪」(1957年)が展示されていて、少し説明してもらいました)、その後渡仏してからの風景画の3つの時代に分けられるそうです。
 以下、当日鑑賞した作品について、一部Tさんがガイドボランティアの方々のためにまとめてくださった作品解説も参考にしながら紹介します。
 「自画像」 1925年、節子のデビュー作。大きさは4号(33cm×24cmくらい)。背景は黒で、赤(朱)の着物とともに白っぽい顔も映えて見えるようです。顔の表情は、右側と左側で少し異なっていているとか。右側は、目は閉じているのかうつろな感じのようで口もきゅっと結んで、不安げに見えるそうです。左側は、目は開いてまっすぐ前を見つめ口角も開きかけのようで、希望ないしこれからやろうとする強い意志を表しているように見えるそうです。当時、天才肌の三岸好太郎と結婚してお腹の中には子供もいるというようなきびしい現実に立ち向かってでも、画家として踏み出そうとする心の内を表しているのかもしれません。
 「さいた さいた さくらが さいた」 1998年(節こ93歳で、絶作となる)。100号(162cm×130cmくらい)の大作。老木のようです。中央に太い幹がうねるように上に向い(上のほうは細くなっている)、その回りは全体としてはピンクがかった、よく見るといろいろな色の混じっている花のかたまりが、まるで雲が沸き立つような溢れるような感じで描かれているようです。老木のようでありながら、最期の生命を散らすかのようにエネルギーを溢れ輝かせている感じでしょうか。当時彼女はだいぶ身体が弱くなっていて、筆も手に固定して描いていたとか。筆からは絵具が垂れていることもあったようで、その跡がまるで雨筋のように縦線になっているようです。
 「花」 1989年。大きさは70cm×60cmくらい。この作品については実物とほぼ同じ大きさのレプリカが用意されていました。そのレプリカは、背景の黒の所が窪み、花の赤の所が盛り上げて作ってあるということですが、全体をさっと触った感じは、なだらかな丘陵や岡が続いているようにも感じられ、ちょっと花とは思いにくかったです。でもよく触ってみると、上のほうのいくつかの丸みをおびた盛り上がりはそれぞれ1つ1つの花のように思われます。そしてよく考えてみると、中央から下のほうの広い盛り上がりは多数の花が集まって全体が赤っぽくなっているのだろうと思い至りました。1つ1つの花をリアルに表現するのではなく、花の本質、本当の花のイメージをなんとか表わそうとして、このような広い盛り上がり=赤のかたまりになっているのでしょう。上の「さいた さいた さくらが さいた」でも同じようなことが言えそうです。節子は「花よりもいっそう花らしい、花の生命力を生まなくては、花の実体をつかんで、画面に定着しなければ、花の作品は生まれません。つまり私の描きたいと念願するところの花は、私じしんのみた、感じた、表現した、私の分身の花です。この花に永遠を封じ込めたいのです。」(『花より花らしく』1977年、求龍堂)と書いています。
 「カーニュ風景」 1969年。大きさは90cm×70cmくらい。前年に渡仏していた節子が、南フランスのカーニュに構えたアトリエの窓から町を眺めた様子を描いた作品だそうです。これについても触って分かるようにしたものがありました。四角や台形などいろいろな形に切られたマグネットシートがたくさんびっしりとパズルのように敷き詰められています。それぞれ色も異なっているようです(中央にほぼ長方形の黒のシートがあって、これが見た目の特徴になっているようです。)このパズルのような全体で、町の折り重なるように続いている建物の様子を表しているようですが、触ってはなかなかイメージができませんでした(解説してくれるボランティアもよく分からないと言っていました)。色の異なる各シートの面はどれも同じ手触りでしたが、色の濃淡とかに応じて表面の手触りを変える(あるいは、色の種類がかなり多いので、色名を点字で各シートに貼り付けてもよい)と、もう少し理解しやすくなったのかもしれません。
 「静物」 1942年。大きさは50cm×45cmくらい。この作品については、絵での見え方を再現したジオラマが用意されていました。まず、絵の大きさと同じ大きさの四角の枠が額縁のようにあります。その枠の中に手を入れると、ゆがんだ四角形の大きなテーブルが斜めに置かれています(手前に角があって、奥に向って広がっている。右端のほうは額縁の大きさからはみ出している)。そのテーブルの上にはテーブルクロスがかけられ、その上にいろいろな物が配置されています。一番手前にナイフ、その上にプラム?などの果物、その上に大きな花瓶と花、そのさらに向こう(上)にオレンジ?のようなのが入った籠が置かれています。また、花瓶の右側、テーブルの一番右端にはパンが置かれていますが、これは画面からははみ出しているかもしれません(このパンですが、一瞬触った時はバナナ?かと思いましたが、よく触るとバナナではないし、何だろうと迷いました)。手前のほうは上から見た感じで、奥のほうは斜めから低い角度で見た感じになっているようです。ジオラマを触って私も見え方について少し想像することができました。立体的に表すというだけでなく、見え方・視点に合わせて立体的に再現しているこのジオラマは、とても良い工夫だと思います(テーブルクロスの模様を触って分かるようにすると、遠近が触ってもっと分かるようになるかもしれません)。ちなみに、解説してくれる方が2mほど離れてこのジオラマを覗いてみると、絵そっくりに見えると言っていました。
 「群がる馬」 1938年。これは100号の大作のようです。これについても、大きさは小さいですが(実物の半分くらいかな?)、触って分かる資料がありました。マグネットシートをおおまかな馬の形に切ったものがたくさん並んでいます。首を伸ばしているもの、頭を地面近くまで下げているものなど、いろんな形の馬が一部重なって置かれています。馬の色は白・黒・赤の3色で、それがS字の形に配置されているとのことです(すでに各馬の位置が動いていたりして、全体がS字のようになっていることは触ってよく分かりませんでした)。この色についても、表面の手触りを変えることで触ってもっと分かりやすくなると思います。また、これらのいろんな形の馬を自分なりに配置して、別の作品?を作ってみるというようなワークショップも面白いのではと思いました。
 
 常設展を見学した後、2階に行って、2月23日まで開催されていたはしもとみお展「動物たちからの手紙」を見学しました。はしもとみおさんは若い木彫家で、動物たちを生きているそのままの姿で楠に彫刻している方のようです(動物の「肖像彫刻」と言うそうです)。小さなものから大きなものまで多種・多数の動物たちがいたようですが、実際に触ることができたのはかなり限られていました(先が細かったりとがっていたり、置き方が不安定だったり、手が届きにくかったりするものは無理なようでした)。
 まず、使う道具によってちがう木くずが出るということで、かんな、のみ、チェーンソーで出る木屑に触りました。その後、身の回りの動物たち、犬、猫、羊などに触りました。犬は、ドンちゃん(柴犬)、リンゴちゃん(ラブラドールレトリバー)、カブ君とヴェルちゃん(ボーダーコリー)などがいました。猫は、くるうっと丸まった形で、私は小犬かと思いました(家で飼っているパピオンのレガートは時々こんな格好をしています)が、太くまっすぐ伸びた尾を触ってみると犬ではなさそうです。羊は、毛が見た目ではもこもこした感じでとてもリアルそうですが、私は触ってなんか違うよなあと思いました。羊に限らず、犬など動物のつやのある、するうっとした手触りの毛の感じを、なんとかもう少し実際の感触に近く表わせないものでしょうか。
 私の好きな動物を、ということで、亀を数点触りました。亀の甲の紋様や足や頭の様子など、それぞれ特徴があって、とてもよかったです。また、なにか獲物をねらっているようなカメレオン?もいました。圧巻は、オランウータン、ゴリラ、テナガザル、チンパンジー、マンドリルなどが椅子に座り、その前のテーブルの上にいろいろな食べ物が用意されている「類人猿たちの晩餐会」(私のネーミングで正式のタイトルはよく分かりません)、そしてそのミニチュアのような、ネズミ(子)やウサギ(兎)など十二支の動物たちが引出のある小さなテーブルを囲んでいる「小さなケモノたちの小さな晩餐会」(同上)です(これを見て「最後の晩餐」みたいと言う人もいました。テーブルの上の小さなカップがとてもかわいかった)。動物たちがとても近しく感じられます。もっともっといろいろな珍しい動物もたくさんいたようですが、残念ながら触ることはできませんでした。
 
 今回の三岸節子記念美術館訪問では、なんといっても、「静物」のジオラマがよかったです。また、「花」のレプリカや、「カーニュ風景」と「群がる馬」のパーツを並べる手法も、触って絵にアプローチするための1つの工夫だと思います。絵は見えない人たちにとってもっとも縁遠いものとされますが、私もふくめ絵に興味を持っている見えない人はいますし、いろいろな経験をつむことで、その人なりに絵を理解しまた楽しむことは十分にできます。なによりも大切なことは、まず絵に接する機会が提供され、そして言葉だけではなく触って(直接体感して)絵と向かい合うことができる場や物を用意することだと思います。同館の今後の取り組みに期待しています。
 
(2014年2月27日)