だまし絵展に行ってきました―見える人たちはどんなものに驚くのか―

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 2月2日月曜日、名古屋市立美術館で開催中の「だまし絵U」展の鑑賞会に行きました。月曜日は美術館は休館なのですが、視覚障害者がボランティアの方々と心置きなく鑑賞できるようにと特別に開けてくださいました。
 1時過ぎに伏見駅に集合、1時半から鑑賞会は始まりました。視覚障害の方11名、それにアートナビ(名古屋YWCAの美術ガイドボランティア)の方々や名古屋市美術館のボランティアの方々、さらに見学の方々もおられて、かなりの人数です。まず初めに、このだまし絵展について、担当学芸員の方から簡単な説明がありました。よく見ると別のものに見えるようなふつうの(狭い意味の)だまし絵のほかに、この展覧会では、ふつうに見たのでは何だかよく分からないが、正しい方向から見るとちゃんとした絵が見えてくるようなもの、本物・実物そのもののように見えて驚いてしまうもの(中には本物だと思ってつい触ってしまうようなものもあるとか)などが展示されているそうです。また、この鑑賞会のために、立体コピー図版4点および立体作品の簡易なミニチュア模型2点を用意してあるとのことです。
 7班に別れ、鑑賞開始です。私は1班で、見えない人もう1人と、アートナビのボランティア2人、名古屋市美のボランティア1人の計5名です。以下、私の記憶に残っているものについて紹介します。
 
●「司書」(ジュゼッペ・アルチンボルド、1566年頃)
 これは立体コピー図版が用意されていました。胸くらいから上の司書の肖像ですが、いろいろな本や事典を積み重ねたり並べるなど組合わせて作られています。頭の上は本のページがぱらぱらと開いたような感じになっていて、そこから長いしおりが垂れています(それは長い指のように見えているようです)。また、鼻筋は本の背表紙、目は鍵の輪、耳は本を閉じる紐、髭はほこりを払うはたきになっているようです。作者のアルチンボルドはハプスブルク家の宮廷画家ですが、ここに描かれている司書は同じ皇帝に仕えた修史官のウォルフガング・ラツィウスという実在の人らしいです。修史官は歴史を記録し編むだけでなく、文書類お管理し、さらに皇帝の美術品や古銭などのコレクションの管理をしており、博学で知られていたようです。その修史官を、博学の象徴である本で構成することで諷刺しているのでしょう。
 
●「ソムリエ」(ジュゼッペ・アルチンボルド、1574年)
 これも立体コピー図版がありました。今度は、いろいろな酒の容器や道具を組み合わせて作った上半身の像です。太い胴や腕の部分は、大きな樽や瓶です。口はなにかの蓋のようです。頬から鼻の辺は壺?、そのたコルク抜きやいろいろな道具みたいなのがあるようです。これには特定の人物はいないようですが、酒をコントロール・支配するはずのソムリエが酒に溺れ支配されてしまっていることを暗喩しているのでしょうか?
 
●「アダムとエヴァ」(作者不詳、イタリアの画家で18世紀?)
 大きな横長の絵で、正面から見たのでは何が描いてあるのかほとんど分からないようです。それを横方向から覗き込むと、女性ないし少年のような2人の人の姿、右側にりんごを持っているイヴと、左側にそれを受け取ろうとしているアダムが見えるそうです。そしてその下のほうには穴のようなのが見えていて、それは髑髏だとか。この絵の上部には、ラテン語で「わたしは道であり、真理であり、命である」(新共同訳聖書 ヨハネによる福音書14章6節)と「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」(同11章26節と書いてあり、下部には「memento mori(死を思え)」と書いてあるそうです。全体としては、神を信じる者は死を恐れることはないという意味になるようです。この絵には、このようなキリスト教的な意味が隠されているということになります。
 
●「アンダーグランド・ピアノ」(福田繁雄、1984年)
 床にいろいろな黒っぽい物(ピアノを壊した部品?)が三角に積み上げられていて、何だかよく分かりません。それが大きな鏡に映った像を見ると、グランドピアノそのものに見えるそうです。
 
●「ログ・キャビン」(レアンドロ・エルリッヒ、2009年)
 大きな作品のようです。近付くと、「ぱちぱち」という音が聞こえます。白壁になっていて、その窓から中を覗くと暖炉が燃えている暖かそうな室内の様子(テーブルやいろいろな置物や鹿の角など)が見えます。作品の反対側に回ってみると、丸太がいくつも、たぶん10本以上も組上げられたログハウスの外側の壁になっていて、その窓から中を覗くと外の雪景色が見えています。1つの作品で、外側と外側の2つの様子が見られるわけです。
 
●「大山蓮華」(須田悦弘、2012年)
 ホオノキの木彫だということですが、うまく着色していることもあり木彫とはまったく見えないようです。作家名のプレートの上を見上げると、茎の先から垂れかけているきれいな大きな花が見えます。とくに、花びらはとても薄そうで、めしべの回りのおしべがとてもきれいなようです。)。(おしべやめしべもしっかりあるとのこと)が見えます。(オオヤマレンゲは、モクレン科の落葉低木で、5〜7月に壺状の白い花が咲くそうです。)
 
●「婦人像」(福田美蘭)
 女性の像ですが、青い瞳の部分だけが機械仕掛けで動いています(私たちが行った時はちょうど動いていました。動いていない時もよくあるとか)。けっこう気持ち悪そうな感じがします。(この婦人像の視線の先の壁には、本物っぽい小さな虫、ハチかハエのようなのがとまっているとか。)
 
●「白紙委任状」(ルネ・マグリット、1965年)
 これは立体コピー図版も用意されていました。木々の並んだ森林の中を、馬に乗った女性が画面左から右に向って歩んでいます。馬の頭に近いあたりで、背景もふくめて絵が完全に途切れている部分があります。また、背景の木は馬によって一部隠されていますが、突然木が馬の前になって木によって馬が隠されたりしています。見る人にとっては、馬が急に消えたり、まったく別の場に移ったりするように見えるのでしょう。あるいは、どのように見るかは見る人にまかされているのかもしれません。私に絵を解説してくれた方は、「馬に乗った女性が時空の歪みを操ることを許され、並行する二つの異空間を一部ジグザグに折曲げて、そこを進んでいるところを描いていると思います。」と言っています。
 
●「SI-NO」(マルクス・レーツ)
 これは立体作品で、作品のミニチュア模型を学芸員の方が作ってくださいました。左側は2つのS字型を斜めにつなげたような形、右側は楕円の輪になっています。これを、正面から見ると「NO」に見え、左側から見ると「SI」に見えます。
 
●「引き伸ばされた女 #2」(エヴァン・ペニー、2011年)
 女の顔が、長さ3mくらい、幅も厚さも50cmくらいに、細く引き伸ばされています(鼻筋は30cm以上はあるようです)。顔とはいってもかなり違和感を持たせるようですが、とてもリアルにも感じるそうで(シリコンで出来ている)、髪の毛も本物の毛のようです。
 
●「トカゲ」(ラリー・ケイガン、2008年)
 ふつうに見ると鉄のワイヤーをまるめたようなものですが、それに特定の方向から照明が当たって、その影が壁に映ったのを見ると、蚊やトカゲ(解説してくれた方は、トカゲではなくどうみてもイモリだよねと言ってました)の形が現われるそうです。
 
●「海辺に出現した顔と果物鉢の幻影」(サルバドール・ダリ、1938年)
 これは立体コピー図版が用意されていました。画面の下は海辺の砂浜のようで、そこに、脚の長い果物鉢が立っています。鉢の脚部は首から口あたりになっていて、そこから左右にひろがり目があり、その上は皿のように平たい台になっていて、そこになにかの果物がいくつも乗っています。全体は触っても確かに顔のように感じます。その他、半円形とか少しありますが、よくは分かりませんでしたし、首輪をつけた犬の顔にも見えてくるとか言っていましたが、私にはぜんぜん分かりませんでした。
 
●「木の鏡」(ダニエル・ローズィン、2014年)
 この作品は面白かったです。近付くと、カタカタカタとなにかたくさんの物が動いているような音がします。そして作品のすぐ前で身体を動かすと、上でなにかが動いているような空気の流れのようなのも感じるような気がします。この作品、7cm4方の正方形の木片28×28、計784枚が並べられていて、中央の小さなカメラで撮らえられた人などの影が、これらの多数の木片の角度を自動的に変えることで映し出されているということです。作品の前でじいっとしているとカタカタの音がしなくなり無音になります。手を少し動かすとカタカタと音がし始め、手や身体を大きく動かすと、いっせいにカタカタカタカタと動き出します。音の大きさばかりでなく、音のひろがりや中心となる場所も変化しているようです。このような仕掛けを応用すれば、人などの動きの様子、音や空気の流れの変化でリアルに体感できる装置が作られそうです。
 
●「ピンク」(トニー・アウスラー、2003年)
 これは大きな立体作品ですが、そのミニチュアが用意されていました。楕円形のずんぐりした台のようなものの上に、大きな目玉のような丸い玉が2つ乗っています。全体はピンク色だそうです。この目玉のようなのに人の目が映し出されていますが、左右の目が無関係にそれぞれ異なった動きをしているそうです。また、下のずんぐりした台には人の口が映し出されていますが、これも目の動きとは無関係に動いているようです。さらに女の溜息を吐くようなかすれ声で英語の単語を発しています(desire, fog, amusement などと言っていました)。
 
●「自画像 悲しすぎて話せない バス・ヤン・アデルによる」(ヴィック・ムニーズ、2003年)
 全体としては、俯いて悲痛な表情をしている男の顔のようです。それが、よくみると、多数のカラフルなおもちゃや雑貨のようなもので出来ているようです。中には、アンパンマン・シリーズのフィギュアもあるらしいです。「ダイ・ディストラクション・プリント」という手法らしいですが、どんなものなのか私にはまったく分かりません(写真のようなものだとか言っていましたが)。カラフルな部品と、全体的な悲痛な顔の2つのイメージの対照が面白いのかもしれません。
 
 今回のだまし絵展は、私にとっては、「木の鏡」など一部体感できる作品を除いては、そんなに面白いものはありませんでした。視覚で2つ以上のイメージなどに見えるものも、頭の中ではそれなりに理解できたとしても、触覚では同じように実感はできません。また、別の方向から見ると異なった像に見えるというのも、触覚ではいろいろな方向から触るというのが原則ですから、とくに目新しいことはありません。ただ、私は今回の展覧会で、見える人たちがどんなことにすごいとか面白いとか思うのか、少し分かったような気がします。本物と思ってしまうほどのリアルさが驚きをあたえることは、視覚でも触覚でも共通なようです(でも、視覚のリアルさと触覚のリアルさは違うでしょうし、その違いもきっと面白いと思います)。私は昨年から木彫を始めましたが、視覚での驚きや面白さもより意識して製作できるようになれそうです(それに比べると、触覚だけでこれはすごい!と思えるような作品は至難の業のように思います)。
 
(2015年2月10日)