楽しい美術鑑賞の一日

上に戻る


 
 4月22日、名古屋市美術館と名古屋ボストン美術館に行きました。
 半年ほど前、20世紀の女性画家たちについて書かれた『絵筆は語る −自分色を生きた女たち』(堀尾真紀子著、清流出版)を読みました。フリーダ・カーロ、ニキ・ド・サンファル、レメディオス・バロ、いわさきちひろ、三岸節子、ケーテ・コルヴィッツなどが紹介されていましたが、私はとくにフリーダ・カーロに興味を持ち、調べてみたら、彼女の作品は国内では名古屋市美術館が1点だけ所蔵していることが分かりました。
 4月22日の午後に、名古屋ボストン美術館で視覚障害者向けの「触れるプログラム モネの油絵《ジャポネーズ》に迫る!」が開催されるので、それに申し込みました。そして、その日の午前を利用して、名古屋市美術館でフリーダ・カーロの作品などを鑑賞できないか問合わせてみたところ、ボランティアによる解説と案内をしましょうと、快く引き受けてくださいました。
 
●名古屋市美術館の常設展示
 午前10時前に伏見駅に着くと、すでに学芸員のHさんとボランティアお2人が来られていて、美術館まで案内してもらいました。
 まず、中庭にあるアバカノヴィッチ・マクダレーナ(1930年生まれのポーランドの女性)のブロンズの立体作品「智者の頭(Sagacious Head)」と「黒い立像(Black Standing Figure)」を手袋を着けて鑑賞しました。ボランティアの作品解説とともにそれぞれのミニチュアの立体模型も用意されていて、作品のおおよその全体像はよく分かりました。
 「智者の頭」は、横幅5m、高さ2.5m、奥行き2mくらいもある大きな作品です。全体の形は大きな3角形の山のようで、私はミニチュアの模型を触ったときは滑り台のようだとも思いました。実際の作品を触ってみると、大きく波打ったりときには反り返ったりしているブロンズの板が数枚組み合わさっていて、それぞれの板の間は切れていて隙間があります。これが「頭」を表現しているとは思えませんでしたが、ブロンズの表面の凹凸や大きく波打ったりしている様子、またブロンズの板の間の断絶や中の空洞などを想像すると、ポーランドの激動のきびしい歴史を感じることはできます(ちなみに、この作品は1990年に作られ、また表面の色は黒だそうです)。
 「黒い立像」はほぼ等身大の、首から上と前腕の途中から下を欠いた像です。(身体の前面だけで、後面はなくて開いた空洞になっています。)ミニチュアの模型を触ったときは女性かなとも思いましたが、実際の作品を触ってみると、胸の辺はかなり凸凹して指跡のようなのもあったり、また裏側を触ってみると、幅20〜30cmほどの板が数枚水平に一部重なるように連なっていて、なにか板金のような感じもします。私には、この作品は、ふだんは見えない裏側の空洞がむき出しになっていて、しかもがたがたした感じのが積み重なっているのが印象に残りました。頭のある「智者の頭」と頭のない「黒い立像」がセットで置かれているのも、なにか意味有りげです。
 
 その後、館内に入って常設展示を案内してもらいました。展示室は4室あって、それぞれ1点ずつ解説してもらいました。また、各作品について立体コピー図版も用意されていて、私にはとてもよかったです。
 最初の作品は、お目当ての、メキシコの女性画家フリーダ・カーロの「死の仮面を被った少女」。横長の葉書大の小さな作品(14.9×11.0cm)です。油絵ですが、キャンバスではなくブリキに描かれているそうです。緑の平原や山並みと、曇ってはいるが明るめの空を背景に、10歳前後と思われる少女がピンクの服を着て立っています(浮かんでいるように見えるかもしれません)。右手に一輪の黄色の花(マリーゴールドだそうです)を持ち、左手は花に添えているようです。でも顔は、立体コピーで触っても卵型の平板な感じがしておかしいと思いましたが、白い骸骨の仮面になっていて、素顔は分かりません。画面右下には、なにか動物の顔のようなのがあります。立体コピーを触った時は、両側の小さめの耳や大きな目からフクロウかもと思いましたが、メキシコで子どもの魔除けとされる虎の面だとのことです。口が大きく開き舌がべろんと出て血が流れ出しているようです。
 フリーダ・カーロ(1907〜1954年)は、6歳の時小児麻痺に罹り、右足に障害が残ります。さらに、18歳の時、通学のためボーイフレンドと乗っていたバスが路面電車と衝突、バスの鉄製のてすりが彼女の下腹部に突き刺さり、背骨、骨盤、肋骨、鎖骨が折れ、右脚は十箇所以上も折れて潰れてしまいます。一命は取り留めますが、その後30回以上手術をし、また30回近くコルセットを作って、しばしばベッドに縛り付けられた生活をしなければならなくなります。そのような状態で絵を描き始め、22歳で、すでに壁画家として著名だった21歳上のディエゴ・リベラと結婚。翌年(1930年)妊娠しますが、胎児の位置が異常だったため中絶を強いられます。1932年と34年にも妊娠しますが、流産・中絶になってしまいます。また、ディエゴの止むことのない女性関係にも苦しみます(彼女自身も、知的で革新的であるとともにメキシコの古くからの民族的な要素も取り込んでいて、とても魅惑的な女性だったのでしょう、イサム・ノグチやトロツキーなどと深い仲になったりします)。(以上、フリーダ・カーロの生涯 などを参照しました。)
 上の「死の仮面を被った少女」が描かれたのは、1938年です。何度も妊娠しながら、この世の生の世界に迎えることのできなかった子供(自分の分身)を表わしているのは明らかだと思います。少女が右手に持っているマリーゴールドは、メキシコでは死者を道案内する花とされ、11月1、2日の死者の日のころは市街はマリーゴールドでいっぱいだそうです。また、骸骨もメキシコでは古くから身近に飾ったりする習慣があり、死と生まれ変わりの象徴ともなっているようです。画面右下の魔除けの虎のお面ですが、私は、立体コピーを触り解説を聞きながら、胎児が傷つけられて今にも死にそうな状態、さらにはフリーダ自身の身体と心の壮絶ともいえる苦悩を表わしているように感じました。フリーダ・カーロの作品はできればもっと観てみたいです。
 
 次は、アンゼルム・キーファー(ドイツ、1945〜)の「シベリアの王女」(1988年制作)。初め、タイトルも聞かずにこの立体コピー図版を触った時、画面中央に向って下や横から多数の線が集中して描かれていることにちょっとびっくり!遠近法的に描かれたこの中央は何なのか、そしてその向こうは……?さらに、画面右下には小さな靴が……?
 実際の作品の前に行って説明してもらうと、さらにすごそうな作品でした。横が5メートルほど、縦が3メートル近くもあり、しかもふつうのキャンバスに描かれている絵ではなく、鉛の薄板の上に、所々焼け焦げたようなあとのある布や泥や石ころのようなのや金属のようなものまで貼り付けられ塗り込まれているようです。画面の上のほうは鉛の板が露出していて、まさに「鉛色の空」のようです。全体に荒れ果て暗く重く、しかも圧倒するようなボリュームを感じさせるようです。鉛色の空の真ん中には“Prinzessin von Sibirien”とドイツ語でタイトルが描かれているそうです。画面の下のほうは、何本もの線路が低い家並みないし駅舎に向って描かれています。そして、右下には、本物の、ぼろぼろになった、血の着いたようなバレエのトウシュウズがぶら下がっており、そのトウシュウズには“M.Wolkonskaja”という名が書かれているそうです。
 タイトルの「シベリアの王女」については、ふつうには、1917年のロシアの二月革命の後退位することになったニコライU世の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ(ドイツ出身、1872〜1918)のことと考えられるようですが、文字通り「王女」だとすると、その4人の娘たち、とくに末娘のアナスタシア(1901〜1918)を指しているのかもしれません。(二月革命後、ニコライとアレクサンドラ、それに5人の子供たちは、ペトログラード郊外のツァルスコエ・セローの離宮で幽閉生活をすることになりますが、8月には西シベリアのトボリスクに移され、さらに翌年4月には前年10月に成立したソビエト政権により囚人としてウラル地方の中心都市エカテリンブルグへ移され監禁されます。しかし、各地で白衛軍の反乱がおこり、元皇帝一家が反革命勢力に奪還されることを恐れたウラル地方のソビエト執行委員会が、ニコライおよびその家族の銃殺を決定、7月16日の深夜にニコライ一家全員が銃殺されます。)また、トウシュウズに書かれていたM.Wolkonskajaですが、マリア・ヴォルコンスカヤ(1805〜1863。名門貴族セルゲイ・ヴォルコンスキーと結婚、1825年12月のデカブリストの乱で流刑されることになった夫の後を追ってシベリアに赴き活動する)という実在の人物だそうです(詳しくは、姿なきプリンセス(上) および、姿なきプリンセス(下) を参照)。

 次の作品は、数字とアルファベットだけが書かれているものでした。それらは、年・月・日を表していて、そのような日付だけを40年近く?も書き続けていて、その一部が並べて展示してあります。私には何だかよく解せないもので、つい作者とタイトルをメモするのを忘れてしまいました。
 そして最後に、アメデオ・モディリアーニ(1884〜1920年)の「おさげ髪の少女」(1918年)です。立体コピー図版を触ると、真ん丸の開いた目と、顔の両側の三つ編みが印象的でした。等身大に近い大きさの、少女の上半身の画です。椅子に座って真っ直ぐ前を見つめています。ピンクのセーターを着て、口が少し空いて歯が見えており、肌の色などから健康そうに見えるようです。(モディリアーニが多く描いた裸婦像とはかなり異なる印象のようです。実際、彼は酒に溺れ健康を害して荒れ果てたような生活をして、このころようやく結婚しますが、この絵を描いた2年後、36歳で亡くなります。)
 
●名古屋ボストン美術館の視覚障害者向けの「触れるプログラム」
 名古屋ボストン美術館で開催中の「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展 印象派を魅了した日本の美」の関連企画・視覚障害者向けの「触れるプログラム モネの油絵《ジャポネーズ》に迫る!」には、アートナビのお2人の案内で参加しました。名古屋ボストン美術館には、午後1時半ころ到着。早速会場の5回図書コーナーに行き、プログラムが始まるまでの間を利用して、学芸員の方から、昨年11月に開かれて私が参加できなかった「触れるプログラム 版画を楽しもう!」で使用した版画の道具を触りながら、版画について簡単に説明してもらいました。版画の手法には、凸版、凹版、平版、孔版の4種があるそうです。凸版は、刷り出したい線や面を残して版面を彫り下げます。その例として、金魚とその影が浮き出した木版を触りました(左右が反対になることも納得)。浮き彫りの絵のようでとても分かりやすかったです。凹版は、銅板などに針などで刷り出したい線や点を刻んでから、版面にインクを塗って拭き取り、凹部に残ったインクを紙に転写する方法です。凹版の原版も触りましたが、刻んだ線などを触ってはっきりとたどるのは難しかったです。平版はふつうリトグラフと呼ばれているもので、当初はドイツで産する良質の石灰石の表面を使って、親水性と親油性の違いを利用したもののようです(石灰石は重くて持って来られないとのことでした)。孔版はシルクスクリーン印刷などのことです。
 
 触れるプログラムのテーマは、今回のジャポニスム展の主要な作品であるクロード・モネ(1840〜1926年)の「ラ・ジャポネーズ 着物をまとうカミーユ・モネ」(1876年)でした。まず初めに、19世紀後半に流行したジャポニスムについて簡単な解説がありました。ジャポニスムは絵画ばかりでなく多方面に影響を与えているということで、その一例として、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」の波のイメージが盛り込まれているかもしれないという、ドビュッシーの交響詩「海」を少し聞きました(たしかに、波が大きくなったり小さくなったりするような感じはしました。ちなみに「海」のスコアの初版の表紙には「神奈川沖浪裏」の絵が使われているそうです)。また、1872年の統計では、日本から西洋に、扇子が80万本、団扇が100万本輸出されているそうです。ジャポニズムについての解説の後、プログラムは、大きな立体コピー図版を触り、それから描かれている人物が持っている扇子と内輪、人物が着ている着物に触って解説してもらい、最後に展示室に行って作品の前で解説を聞くという順で行われました。
 大きな画面に、ほぼ等身大の大きさで、真っ赤な着物を着た女性(モネの妻カミーユ)が描かれています。後ろ姿で、右手に青・白・赤に塗り分けられた扇子を持ち、金髪の鬘を被り、微笑をうかべてこちらを振り返り、日本の芸者のようなポーズのように見えるようです。
 人物が着ている着物(打掛)は、絵に描かれている着物に似せて作った豪華な着物が展示室に展示されていたのをこの触れるプログラムのために会場に持って来てくれていて、それに直接触ることができました。全体に分厚くて綿入れのようにふわふわとした感じです。裾は輪状に分厚くなっていて、長く垂れています(絵でも床に垂れているようです)。着物には緑や赤・金糸などで分厚くしっかりと紅葉の刺繍が多数ほどこされ、また着物の右側には、右手で刀の柄を、左手で鞘を持って今にも刀を抜こうとしている武者の絵が大きく刺繍されています。そしてこの着物に描かれた紅葉や武者の絵は、能の「紅葉狩」(戸隠山へ狩りに出かけた平維茂(これもち)が、山中で紅葉狩りの酒宴を催している女たちに誘われて泥酔してしまいます。やがて鬼女の本性を現した女が襲いかかるが、男山八幡の夢告で護身の太刀を与えられた維茂は鬼女を退治する、というような話らしいです)。着物の前には、実際の絵にはまったく描かれていませんが、想像で若い美女?が描かれています。
 背景になっている壁には、ピンで留められた内輪が多数描かれています(立体コピー図版では4枚でしたが、実際には20枚くらい描かれているようです)。そしてこの団扇にも、鳥(鶴?)や花や山並みなどの絵が描かれています。この内輪についても、実物を触りながら、江戸内輪と京内輪の違いを教えてもらいました(江戸内輪は柄と内輪本体が一体で、柄の竹が細かく分かれて内輪の骨になっていますが、京内輪は柄と内輪本体が別々で、竹ひごを並べたような骨に紙を張った内輪本体を柄の先の所ではさむようになっていました)。背景の壁の下は床になっていますが(立体コピー図版では、壁と床の境辺に数本横線があった)、床には茣蓙あるいは畳のようなのが敷かれ、着物の裾が垂れているようです。
 触れるプログラムはこのモネの「ラ・ジャポネーズ」1点の鑑賞のみでしたが、解説も丁寧でしたし、実際に着物に触るなど、十分に満足できるものでした。
 
 プログラム終了後、図書コーナーに置いてあったゴッホの「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」(1889年)、および歌川国貞と歌川広重の合作「当盛十花撰夏菊」(1858年)の立体コピー図版を触りました。ゴッホの「子守唄」は、女性が椅子に座って両手に揺りかごを揺らす長い紐を持っています。そして背景の壁紙には、水玉を連ねたように多数の菊の花模様が描かれているようです(この花模様は、立体コピー図版で触っても私にはよく分かりませんでした)。この菊の花模様は、国貞と広重の浮世絵「当盛十花撰夏菊」の背景になっている大きな菊の大輪(花火のようにも見えるようです)に影響を受けたものだということです。(「当盛十花撰夏菊」には、2人の人物(二代目沢村訥升と初代沢村由次郎)が向い合って描かれ、この人物とほぼ同じ大きさで菊花が描かれていました。)
 
 この1日、多方面の、かなり異質とも思えるような作品を、解説してもらったり、立体コピー図版やミニチュアの模型、さらにはいろいろな小物まで触りながらあれこれと鑑賞しました。その都度頭を切り替えて付いていくのはちょっとたいへんでしたが、美術に浸ることのできた充実した1日になりました。ボランティアの方々、学芸員の方々に感謝です。
 
(2015年5月10日