市井の仏師?の佛像にふれる

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 9月20日に、Kさんと一緒に、平野区流町の大和正信さんのお宅にうかがって、多くの佛像にふれさせていただきました。
 大和さんは、現在84歳、退職後、人のあまりしないようなことをしてみようと、63歳から佛像彫刻の講座に2年間通って技術を習得、その後仏師について研鑽を重ね、佛像を彫り続けてきました。そして昨年から、「平野町ぐるみ博物館」の全館一斉開館日に合わせて、8月第4日曜日にご自宅で「平野佛像博物館」として、一般公開しています。Kさんがその公開日に参観して私に紹介し、今回一緒にうかがうことになりました。
 *2016年9月18日と11月27日に、Kさんと一緒に大和さん宅にうかがいました。11月25、26日に情報文化センターで開催した「手で観る仏像展」の企画で展示する作品をお借りし、返却するためです。そのさいにも新たに数点触れさせてもらいましたのでそれらを追加し、また以前に書いた解説文も一部修正しました。
 
 3段のひな壇に、これまでに制作した20体くらいの佛像が安置されています。それを大和さんが、私が触りやすいように1点1点私の前まで持って来られて、触らせていただきました。とても良い作品ばかりで心が動かされ、あまりメモを取らず記憶がはっきりしない所もありますが、大和さんからうかがった話も思い出しながら、以下に数点について紹介します。
 
●大日如来
 高さ20cmくらいの蓮台の上に、高さ30cm余の座像が乗っている。全体にとても整った形で、触ってもとてもきれいに感じる。大和さんの家の宗派は真言宗で、守り本尊である大日如来を精魂込めて彫ったと思われる。真言密教では、大日如来は宇宙の真理そのものを仏格化した最高神とされる。
 座像は、結跏趺坐の姿勢。頭には宝冠を着け、胸や腕に飾りのようなものを着けている。両手は、胸の前で、金剛界大日如来に特有な智拳印を結んでいる(両手とも親指を中にして握り、左手の人差指を上に伸ばしてそれを右手の人差指で上から包むようにした形。右手が仏、左手が衆生を表し、仏の智慧の中にあることを示す)。
 光背は、上がすうっととがった左右対称の火焔型で、中央に直径20cm弱の円があり、その円周にそった溝に三鈷杵(先が3本に分かれている)が8個連なっている。蓮台は、下が8角形で、その上に9枚の花びらが5段重なり合っている(花びらの各段は、それぞれ花びら半分幅ずつずれて重なっている)。
 
●弘法大師像
 幅30cm余の低い椅子の上に、膝を両側に開いて座っている。左手は左膝の上で数珠を持ち、右手は胸の前で手首をぎゅっとひねって逆手のようにして五鈷杵(両端の中央と四隅に鋭い突起がある)を持っている。椅子の前に小さな靴があり、また椅子の向って左奥には水瓶が置かれている。
 
●阿弥陀如来座像
 記憶ははっきりしないが、高さ50〜60cmくらいはあるかなり大きな座像。頭の部分は少し盛り上がっていて、そこにぶつぶつしたような突起(螺髪)がたくさんある。眉毛の間には、小さな丸い突起(白毫)がある。手は、上品下生の形(両手とも親指と人差指で輪を作り、右手は胸の前、左手は膝の上に置く。来迎印とも言う)。
 
●阿弥陀如来立像
 大和さんが佛像制作を始めてもっとも初期に彫ったという作品。高さ30cm弱の阿弥陀像の像全体を大きく後ろから包むように、先のややとがった大きな光背があります。この光背は1枚の蓮の花弁を大きくかたどったような形をしていて「蓮弁型挙身光」と呼ばれ、また舟を立てかけたような形をしているので「舟形光背」とも呼ばれます。
  *光背:仏像の背後にあって、仏身から発せられる光明を象徴したもの。後光、御光とも言う(キリスト教では光輪)。頭部の光明を頭光、身体部の光明を身光、両方の重なったものを挙身光と言う。
 この作品の素材は、イチイ(地方によっては「オンコ」とも言う)で、見た目だけでなく触っても木肌がとてもきれいです。とくに阿弥陀像の肩付近はつるつるになっていますし、また衣のひだなどもとても細かくきれいに表現されています。
阿弥陀像の頭の上は少しだけ盛り上がっていて、髪を束ねてあるようです。髪は紐で一束に結んだ単髻(たんけい)と呼ばれる髪型で、正面および左右に渦を巻いたような模様があります。そして、髪の結び目の正面に、つるうっとした丸い小さな石のような飾りがあります。眉間には、小さな丸い白毫があります。
  *白毫: 如来像の特徴の一つ。眉間にある右回りに縮れたごく細い白毛で、これが光明を放って三千世界を照らすとされる。
 手は、親指と人差し指で輪を作り、右手は掌を上向きに立てて前に向け、左手は掌を下向きにして前に向けています。この手の形は阿弥陀如来に特徴的な印相で、来迎印と呼ばれます(詳しく言うと、右手は施無畏印、左手は与願印)。
 阿弥陀如来は、西方の極楽浄土で説法していて、人々の臨終の時に極楽浄土から迎えに来てくれるとされる仏です。来迎印は、人々にどうぞ安心して極楽浄土に来てくださいということを示しています。
 
●十一面千手観音菩薩立像
 光背もふくめて、高さは1.5mくらいあった。(台座は触っていない。)中心に高さ1mくらいの仏様があり、その御顔も合掌している両手もとてもきれい。その頭の上には、中心に 1面、その回りに10面、計11面の像が載っている。中心の1面は回りの10面よりやや大きく、とても整った顔のように思える。10面のうち正面の3面は慈悲面で、菩薩のようなやさしい表情で、善良な衆生に楽を与えるとされる。向って右側の3面は憤怒面で、眉を吊り上げ怒った顔をして、邪悪な衆生を叱り付け戒めている。向って左側の3面は狗牙上出(くげじょうしゅつ)面で、結んだ唇の間から牙を上に出して、行いの良い衆生を励まして仏道に導こうとしている。そして、正面からはまったく見えない真後ろの1面は大笑面で、丸い目をして大きく口を開け、悪にまみれ現世利益に汲々としている衆生を笑い飛ばしている。
 本体の両脇には、それぞれ20本ずつ手が並び、それぞれいろいろな持物を持っている(輪や壺のようなもの、武器のようなもの、花のようなもの、なかには将棋の駒のような形のものまであった)。これらの手は、1本の手で25本の手を表していて、計千手になるとか。後ろの光背は、中心から放射状に細い棒がたぶん40〜50本くらいは伸びている。2本の棒と3本の棒がセットになって、交互に並んでいた(3本の棒のセットでは、真ん中の棒が少し長くなっている)。
 千手観音は、千の手と千の目を持ち、人々のどんな願いも見逃さず救済出来る様、いろいろのものを持っている、ということのようだ。
 
●不動明王
 高さ20cmほどの岩座に、半跏趺坐(右足は下げ、左足を右腿に乗せる)で座している。像の高さは30cmくらいで、右てに剣を持ち、左手は、左肘を肩の高さまで外側に開いて、羂索を高く掲げている(この左手の位置は、ふつうの不動明王とは異なっていて、特徴的)。目はつり上がり、髪はぐるぐると巻いたようになっている。光背は火炎で、向って右側に斜めにきれいになびいている。
 
●仁王(阿形と吽形)
 高さ30cm余。両像とも足を直角に開いて立っている。身に着けている衣が風に大きくなびいて広がり、とくに頭の後ろのほうはくねくねとねじったような輪になっている。
 手足が太く、筋肉がもりもりしたような凹凸がある(顔も、筋肉を強く緊張させているためだろうか凹凸が多い)。さらに、腕や脚には、いくつにも分岐した細い血管まで浮き出している。
 阿形は、左手を下に向けて地面と平行に開き、右手は強く握っている。吽形は、右手は、敵を遮るかのように、大きく開いて前に突き出し、左手は金剛杵を持っている。
 
●阿修羅
 興福寺の阿修羅像を模刻し、悲しげなあどけなさを意識して彫ったとのこと。高さ50cmくらいで、横に広げた両手幅が30cmくらいある立像。三面六臂で、正面と左右の顔、胸の前で合掌した手、斜め前に伸ばして前腕を上に挙げてなにかを持っているような手、さらに肩辺りまで両腕を上げて横に大きく広げて掌を上に向けてなにかを受け取っているような手がある。首から胸のあたりには飾りのようなものがある。
 阿修羅は、バラモン教の邪心で戦いの神であったが、仏教に帰依して六道の中に数えられ、帝釈天と戦い、八部衆の一尊として知られている、とのこと。
 
●弥勒菩薩半跏思惟像
 京都・太秦の広隆寺にある「宝冠弥勒」と通称されている弥勒菩薩像がモデルになっています(広隆寺には「宝髻弥勒」と呼ばれる弥勒菩薩像もある。いずれも国宝)。
 素材はカツラです。表面はちょっとさらさらしたような手触りで、全体にゆるやかな曲面で構成されていて、ほとんどかどのような所はなく、触ってとても心地よいです。
 台座と像が一体になっています。台座に腰かけ、左足を下げて右足を左腿の上に乗せ(片脚だけがあぐらの姿勢なので「半跏」と言う)、右膝の上に右肘をついて右手の親指と薬指で輪をつくり薬指で右頬に軽く触れています(思索=思惟の姿)。上半身はやや前かがみになっていて、背中から腰にかけてゆるやかなカーブになっており、触ってとてもきれいに感じます腰から下に衣を着け、その裾が台に垂れ下がり襞がとてもきれいです。
 頭の上にはきれいな円い台のような形の冠(宝冠)があり、大きな耳が垂れ下がっています。顔の曲面もふわあっとなんだかやさしいような感じが伝わってきます。
 この半跏思惟像を触っていると、ロダンの「考える人」の像を思い出します。
 弥勒菩薩は、未来に下界に降って仏となり、人々を救うとされる菩薩です。この半跏思惟の姿は、人々をどのように救ったらよいのか、思いにふけっている弥勒菩薩の姿のように思われます。
 なお、弥勒菩薩半跏思惟像は、 6世紀に朝鮮から日本に伝えられ、飛鳥、奈良時代に制作されました。2016年6〜7月には、東京国立博物館で、韓国の半跏思惟像と中宮寺の半跏思惟像を比較する「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」展が開かれていました。
 
●迷企羅(めきら)大将
 これは、興福寺に伝わる、板の上に浮彫された十二神将立像の中の迷企羅大将をモデルとしたものだそうです。(この板彫十二神将立像は、興福寺の東金堂本尊薬師如来像の台座周囲に貼りつけられていたものらしいとのことです。)
 厚さ3cm強、高さ50cm余、幅20cm余のイチイの材(実物はヒノキ材)のレリーフです。右脚に力を入れて立ち、左脚は膝を深く曲げてお腹くらいの高さまで上げています。右手は高く振り上げてぎゅっと握り、左手は肘を内側に曲げて腕をねじるようにしてお腹の上あたりで掌を前に向けて(親指側が下になる)います。髪は大きく逆立ち、口を大きく開けて歯や舌が触って分かります。
 手首や足首に着けている輪や逆立っている髪の根元にある髪飾りは金色だそうです。とくに髪飾りは、つるつるした円の外側に多数の小さな花模様があって触ってとてもきれいに感じます。お腹や肩の辺の衣の襞模様もきれいです。
 
 これらのほかにも、観音様(顔や衣などが触ってもとてもきれい。左手に蓮華を掲げるように持っていた)、大黒天(座像と立像があった。右手に槌、左手に背に背負った大きな袋の紐のようなのを持っている)、恵比寿さん(左手に大きな鯛を抱え、右手に長い釣り竿を持っている。鯛は、尾がぴんとはね、鱗まで彫られていて、とてもリアルだった)、達磨大師(ずんぐりとした胴の上に小さな上向きの頭が乗っている。お腹あたりのぷくうっとふくれた大きな曲面、背面の両脇のすうっとゆるやかに窪んでいる曲面などが触ってとてもよかった)などにも触れました。
 大和さんの佛像は、イチイあるいはカツラを使っていて、触ってそれぞれ特徴がありました。イチイ製の像は、表面がつるつるしていて硬そうです。細かい所まで正確に彫れそうに思います(イチイは青森地方ではオンコと呼ばれ、小さいころはその実をよく食べていました。木目が細かく彫刻材としても適しているようです)。カツラはイチイよりはやわらかそうな感じで、触った感じはちょっとさらさらしています(カツラはその甘いような香りが魅力です)。木の肌触りも感じられて、よかったです。
 また、腕などの部分は寄木造にしているとのことですが、つなぎ目は教えられてもほとんど触って分からないほどきれいになっていました。大和さんは、あくまでも趣味で、とおっしゃっていましたが、1点 1点、丁寧に心を込めて彫っていることが伝わってきます(1作品は、半年くらいから大きなものになると2年くらいかけて彫っているとのことでした)。趣味の域を超え、仏師の作品のようにも思われます。このような作品は今後も永く公開されてほしいですし、私ももう一度鑑賞できればと願っています。
 
 *以上の作品のうち、阿弥陀如来立像と弥勒菩薩半跏思惟像は、2016年11月25日と26日に情報文化センターで行われた「手で観る仏像展」に出展させてもらいました。
 
(2015年9月29日、2016年9月24日、11月27日更新)