絵肌にふれる――名古屋ボストン美術館の視覚障害者向けプログラム

上に戻る


 
 7月13日、名古屋ボストン美術館で開催されている「ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影」展にあわせて行われた視覚障害者向けのプログラム「さわれるプログラム ルノワールの《ブージヴァルのダンス》に迫る!」に参加しました。
 午後2時からの開催で、1時間弱のコンパクトなプログラムです。参加者は4組7人(私は1人で参加)で、それぞれの組に学芸員が1人ずつついて行われます。
 まず初めに、この展覧会についてごく簡単な解説がありました。
 ルノワールをはじめ印象派の画家たちが活動した19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパは、産業化・近代化が進み、人々の生活は劇的に変わります。鉄道、ガス灯、華やかに着飾った人々が集まるホールや劇場、街は都市へと変貌します。いっぽう、都市の近郊には、自然豊かでそぼくな暮らしが続いている田舎が残っています。都市に息苦しさをおぼえる人たちはそういう田舎にあこがれ、ピクニックや海水浴に行ったりします。この展覧会では、都市と田舎の風景やそこに暮らす人々の光と影を描いた作品が展示されているとのことです。
 プログラムは、
・ルノワールの「ブージヴァルのダンス」の触図(立体コピー)
・「ブージヴァルのダンス」に描かれている男女のポーズの模型とその人たちの衣装
・「ブージヴァルのダンス」のごく一部とモネの「チャリングクロス橋(曇りの日)、1900年」の一部を模写した油絵に触って絵肌を感じる
・ドーミエの版画「鉄道の楽しみ 第1図 『冬の三等車両の室内』」の触図(立体コピー)
の4つを各組が順に体験し、最後に展示場に行ってみなでモネの「チャリングクロス橋」を解説してもらいました。
 私は今回のプログラムでは、油絵の模写を触れられたことが、とくに「チャリングクロス橋」の油絵を触った印象がいちばん印象に残っています。
 以下に、今回触って鑑賞した3点について書きます。
 
●ピエール=オーギュスト・ルノワール「ブージヴァルのダンス」1883年、179.0×95.9p
 ブージヴァルは、パリから西へ15キロほどの、セーヌ河畔の行楽地だそうです。屋外のビアガーデンで男女が向い合って踊っています。向って左の女性は画家シュザンヌ・ヴァラドン(当時17歳、1883年末にユトリロを産んでいる)、向って右側の男性はルノワールの友人ポール・ロート(当時30歳過ぎ)らしいです。女性は、飾りのついた赤い帽子のようなのを着け、顔をやや上に向けていますが、目は伏し目がちのようです。白いトゥーピースのドレス(縁のあたりは薄いピンクだったかな?)を着ています。スカートは引きずるほど長いですが、横に大きく広がっているようで(スカートの襞の様子からそれがよく分かる)、回転していることを思わせます。男性は、つばの広い帽子を被り(目も隠れている)、髭をはやし、ごわごわした感じのジャケットとズボンのようなのを着けています(ちょっと田舎くさい感じ)。男性は、左肘を曲げて肩の高さくらいの所で女性の右手を取り、右手で女性の腰あたりを抑えるようにし、また女性の右手が男性の首あたりに伸びています。
 背景には、テーブルで談笑したりビールを飲み交わしているたくさんの人たちが描かれているそうです。また、踊っている男女の足元には花束や花びら、たばこの吸殻が落ちています。絵は全体にきらめくように明るくて、影の部分はほとんど描かれていないようです。
 この絵は、縦2m弱、横1m弱の大きな絵ですが、その中のごく一部、女性のドレスのブラウスとスカートの境目あたりが、30cm×20cmほどのキャンバスに油絵で模写されていて、それを触りました。そんなに厚塗りではなさそうです。ブラウスとスカートの境目あたりは平坦な感じで、下のスカートの部分には斜め下に向って数本の襞のような線が感じられ、また上のブラウスの部分には、皺のようなものでしょうか、横向きの曲線が2本くらい感じ取れました。
 
●クロード・モネ「チャリングクロス橋(曇りの日)、1900年」1900年 60.6×91.5糎
 この絵は横長ですが、その中央部分を油絵で模写したものが用意されており、また後で展示室でこの作品を解説もしてもらって、全体がよくイメージできました。
 画面の下半分は、テムズ川の流れです。油絵を触ると、何層にも重ね塗りされているのでしょう、水の細かいうねうねしたような流れが分かります。川面には小さな盛り上がりが多数あって、それは陽光で黄色く光っている所だとのことです。画面の中央部分には、水平にあまり凹凸のない太い帯のような部分が確認できて、それは鉄道専用の橋だということです。画面のやや右上あたりから左上に向って細い盛り上がりが伸びていて、それは蒸気機関車が通過した後に残っている煙のようです。模写した油絵には描かれていませんでしたが、画面右上奥には霧の中にぼんやりと国会議事堂の輪郭が見え、その先にはビッグ・ベンも見えているようです。
 モネ(当時すでに60歳くらいになっている)は、1899年から1901年にかけて3回ロンドンに滞在し、テムズ川の移ろう風景を多数制作したそうです。ロンドンと言えば霧で有名ですが、当時ロンドンでは一般家庭でも石炭が使われるようになって、とくに冬はひどいスモッグ(smog: smoke と fog を合せた語)だったようです(当時ロンドンに留学していた夏目漱石は、外出から帰ってくると黒い痰が出たそうです)。この濃い霧・スモッグを通して見える、テムズ川やそこに架かる橋、国会議事堂などをモティーフにして描いたわけです。濃い霧を通して光に照らされて移ろう情景を描こうとしたのでしょう。
 
●オノレ・ドーミエ「鉄道の楽しみ 第1図 『冬の三等車両の室内」』」1856年、版画
 ドーミエ(1808〜1879年)は、ルノワールやモネより 1世代以上前の画家・版画家で、とくに風刺画で有名です。1830年代から辛辣な政治的風刺画を発表しますが何度も禁止され(半年ほど投獄されたこともある)、日刊紙「シャリヴァリ」にリトグラフによる社会的な風刺画を掲載すようになります。この作品も1856年末(当時はナポレオン3世の時代)に「シャリヴァリ」に掲載されたものです。
 やや横長の画面で、汽車の車内の乗客の様子が揺かれています。天井の下には縦長の窓がいくつも並んでいます。この窓には窓ガラスがなくて、吹きさらしの状態になっています。そこに、主に3人の乗客が描かれています。中央は女性で、椅子に座り、頭から厚い布(毛布のようなものかも)を被りその布は足元まで垂れています。両手は合せるようにして口元に当てています(きっと息を吹きかけて手を暖めているのでしょう)。女性の両側には男性が立っています。向って右側の男性は横を向いていて(丸い鼻が大きく飛び出しているのが面白い)、左手をコートのポケットに入れ、膝を大きく上げて足踏みをしているようです。向って左側の男性は、両手を肩くらいの高さまで上げて広げ、足を少し上げてこれまた小さく足踏みしているようです。この3人の間や脇にも5人ほどの顔が描かれていて、車内はかなり込み合っているようです。
 当時の最先端の汽車ですが、みんな寒そうにしています。一等車に乗れば各車両が完全に閉め切られて風は入ってはきませんが、各車両が密室になってしまい、得体の知れない見知らぬ人と長時間一緒にいるのが危険と思われて、込み合って寒いですが三等車両のほうが安全かもということで中流階級の人たちも三等車に乗ったとのことです。
 
   今回のプログラムでは、油絵の模写に直接触れられたことがよかったです。立体コピーほどには輪郭などは分かりませんが、スカートの襞や、光でしばしばきらめく川面の様子など、少し筆遣いのようなのを感じとれたように思います。油絵を1人で触ってもほとんど分かりませんが、ある程度厚塗りの場合は、丁寧に説明してもらうと油絵の細かいテクスチャや凹凸などからよりリアルに絵を鑑賞できるような気がしました。
 
(2016年7月17日)