7月10日、国立民族学博物館で行われたウィークエンドサロン「極北の民チュクチのくらし」(講師:池谷和信)に参加しました。
ウィークエンドサロンは、午後2時半から。最初の10分余は展示場のナビひろばで、チュクチがどんな人々でどんな暮らしをしているかなどについて先生のお話しを聞き、その後、中央・北アジア展示の場所まで行って、実際にいろいろな展示物に触れたりしながら説明を聞きまた参加者からのいろいろな質問にも答えていただきました。「チュクチ」という、私にとってはまったく初めての人々について、ちょっと親近感をもてるほどに知ることができて、とてもよかったです。
チュクチが住んでいる所は、ユーラシア大陸の最北東端で、ベーリング海峡をはさんで北米大陸のアラスカと向い合っている半島部です。ロシアのチュコトカ自治管区に属すそうです。チュコトカ自治管区の面積は日本の2倍ほどもあるのに、人口は5万人余(人口密度は0.1以下というほんとうに人口希薄な地帯)、その内チュクチは2万人弱くらいのようです。日本からは直線距離にすれば5、6千キロといったところでしょうが、もちろん直行便はないので、モスクワ経由で20時間ほどかけて中心都市のアナディルに行き、そこからは飛行機やヘリコプター、陸上部はヴェズジェホート(ロシアが開発した一種の小型の戦車のようなもので、ずぶずぶのツンドラ地帯でも走行できるらしい)やスノーモービルを使ってチュクチの村に行くそうです。
チュクチはモンゴロイド系で、日本人ともとてもよく似た顔立ちだとか。この辺にはすでに16世紀末にはロシア人が来たらしいですが、ロシア人の支配に完全に服することはなく、クロテンやホッキョクギツネなどの毛皮交易が行われていたくらいのようです。19世紀には、内陸部で主にトナカイを半家畜化して遊牧する「トナカイチュクチ」と、海岸部でセイウチ・アザラシ・クジラなどの海獣を狩猟して暮らす「海岸チュクチ」に分かれていたそうです。ロシア革命後、チュクチがソビエトの社会主義体制に組み込まれるまでには抵抗もあってしばらく時間がかかり、海岸チュクチは1930年代、トナカイチュクチは1950年代くらいになってからだとか。ソビエトの社会主義時代に新しく村がつくられ、火力発電所、学校、診療所、雑貨屋などの施設がそろい、住民は複数階からなる集合住宅に居住するようになったそうです。国営化されたソフォーズやコルホーズで国家公務員としてトナカイの飼育やセイウチやアザラシなどの海獣の猟を行うようになります。ソビエト崩壊後、ソフォーズなどの公的企業からはなれ、従来の家族や個人経営の方針に移行したチュクチはすくなくないが、池谷先生が調査した2つの村では、現在でも多くのチュクチが公的企業で働いているとのこと。
ツンドラと言えば、苔類や地衣類などわずかな植物しか育たないし冬には氷雪に覆われてしまうのに、どうしてそんな所で数千から数万頭にのぼるトナカイの群が生きて行けるのだろうかと思い、質問してみました。ツンドラには苔や地衣類のほか背の低い草本や木もわずかですが生えているとのこと、冬にはトナカイは蹄で雪を掘って苔などを食べているそうです。トナカイのほか、オオカミやキツネ・ウサギなどもいるそうです。また海岸にはアザラシ・ラッコ・オットセイなど海獣が多く、北極海はとても豊かな海だとのことです。
解説の後には、展示場に行っていろいろな物に触りました。
まず触ったのが「そり」。幅50〜60cm、長さ2mほどの大きさで、枠だけのような簡単なつくりです。底の部分には両側に幅10cm、厚さ2〜3cmほどの長い板のようなのがあって、先の部分は順に火で焼いて曲げていったようなざらざらした痕があって、ゆるやかに曲がっていました(この板は流木を利用したもののようです)。上の部分には横木(たぶん人が座ると思います)が数本ありますが、その中の2本には直径5cmくらいもあるトナカイの骨が使われていました。なお、そりと言えばトナカイを連想してしまいますが、この地域ではそりは犬が引くそうです。そして、シベリアンハスキーはもともとはチュクチがこのそりを引く犬として飼っていた犬だそうです(現在はこの地域には純粋なシベリアンハスキーはいないそうです)。
次に、いろいろな動物の毛皮に触りました。ホッキョクグマの毛皮はホッキョクグマの形を模したものに被せたような状態で展示されていて、その全体の形がおおよそ分かりました(顔がとても大きく、手の爪もするどかった)。アカギツネとホッキョクギツネの毛皮を触り比べてみると、ホッキョクギツネのほうがつるうっとした感じで心地よかったです。また、クロテンとオコジョ(どちらもイタチ科)にも触りましたが、どちらもとてもつるっと滑るような感じでなかなかよさそうです(クロテンは北海道に、オコジョは北海道および本州のごく一部の高山地帯にも生息しているとか。クロテンは今は養殖されているそうです)。
トナカイの毛皮で作られた衣服にも触りました。皮のほうが表側、毛のほうが裏側(体表に当たるほう)になっていて、毛はちょっとざらつく感じですがとても長くて暖かそうです。面白いことに、お尻の部分には円く穴が開いているものもありました。トナカイは、肉として食料になるばかりでなく、骨はそりなどの材料、毛皮は衣服と、十分に使い尽くされているようです。
その他、コククジラのひげ板やイッカクの角にも触りました。コククジラ(克鯨)は、その音から「黒」を想像してしまいましたが、体は全体に灰色だそうです。ひげ板は、幅20cm以上、長さは2m近くあったでしょうか、つるつるした手触りでした。イッカク(一角)は、北極海だけに分布する小型の歯鯨だそうです。角は直径5cm弱、長さ1.5mはありました。角(つの)と言っていますが、これは雄の上顎の門歯が伸びたもので、長いものだと3m近くにもなるとのことです。想像上の動物の一角獣(ユニコーン)の名前は、このイッカクの角のから来ているらしいです。セイウチ(海象)の牙も展示されていましたが、これは絵が刻まれた優れもののようで、ケースに入っていて触れることはできませんでした。
チュクチの人たちが住んでいる所より南になりますが、アムール川沿いの人たちの物にも触りました。サケなど魚が豊富で、食料にするばかりでなく、サケの皮を鞣していろいろな物に加工しているそうです。サケの皮と、それから作った靴に触りました。サケの皮の鱗なのでしょうか、さらさらした感じの5mm弱の細かいつぶつぶした感じの連なりが心地よかったです。また、シラカバ(シラカンバとも言う)の樹皮で作られた船(カヌー)にも触りました。長さ5mくらい、幅1m弱くらいもある大きなもので、枠のような部分は木が使われていて、全面に樹皮が張られています(シラカバの樹皮は白くて美しいようです)。樹皮と樹皮の間は、縫われたようになっていたり、接着剤のようなものでくっつけられたようになっていて、しっかりしていました。シラカバの樹皮は、撥水性・防水性が高く、船ばかりでなく、家の屋根や壁、容器などにも使われるそうです)。いろいろな種類のゆりかごにも触りました。飾りが付き毛皮を使ってふっくらした感じの豪華なものから、ほとんど木だけからできている簡素なものまであります。持ち手のようなのも付いていて、ここに乳幼児を寝かせて持ち運んだようです。お尻の部分には円い穴が開いていて、なかには、その穴の下に排泄物を受ける小さなバケツのようなのが付いたものまでありました。よく考えられていますね。
今回のウィークエンドサロンでは、極北の地に暮らす人々が、入手できる食料や材料が限られるなか、それらを十分に利用し尽して暮らしている様子をちょっと体感しながら知ることができました。池谷先生、また一緒に行ってくださった方に感謝です。
(2016年7月23日)