名古屋ボストン美術館で浮世絵摺り体験

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 11月29日、名古屋ボストン美術館で開催中の「俺たちの国芳 わたしの国貞」展の視覚障害者向け関連イベント「さわって楽しむ国芳・国貞!」に参加しました。
 午後2時から1時間のプログラムで、国芳と国貞の立体コピー図版を使った鑑賞、版木などの材料、浮世絵摺り体験、展示場での作品解説と、充実したプログラムでした。
 私は国芳や国貞と言われても、ぴんとこないというか、ぜんぜんイメージがわきませんでしたが、今回のプログラムでほんの少しお近づきになったような気がします。また、1ヶ月ほど前に藤沢でした春信の「清水舞台より飛ぶ女」の摺り体験に続いて、今回は「踊る猫又」の多色摺りの体験もできて、本当にうれしかったです。
 
●立体コピー図版
 まず、歌川国芳の『源義経都(みやこ)を打立(うちたち)西國へ押渉(おしわた)らんとせし折(おり)から大物(だいもつ)の沖にて難風(なんふう)に逢給(あいたま)ひしに平家の亡霊あらはれて判官主従に恨みをなす』(1849〜52年 大判錦絵三枚続)の立体コピー図版。この錦絵は大判3枚を横に続けたもので、立体コピー図版でもほぼ同じ作り・大きさで、縦40cmほど、横70cmほどの大きさです。全体のサイズが大きくて、触って理解するのにはかなり時間を要しました。
 タイトルからも分かるように、頼朝から疑われた義経一行が大物浦(今の尼崎市)から西国に向けて船出するのですが、平家の怨霊による暴風に襲われている場面です。(謡曲などでよく知られている「船弁慶」の場面のようです。義経主従は結局大風に吹き戻されて吉野に落ちることになります。)
 画面の右半分近くまで大きな波がうねっています(この波の幾本もの平行してうねる曲線は触ってとてもいい感じでした)。画面中央から左にかけて船があり、その回りにも波があります。船の中央には、義経が片手に大きな刀、もう片手にも小さな刀(脇差?)を持って立っています。船尾には、弁慶が片てに刀を持ち、もう片手を高く上げて右側を指差しています(怨霊退散を祈っているようです)。その指差す方向、画面右端上には平家の亡霊(怨霊)がシルエットのように描かれ、その1人は刀(薙刀?)を振りかざし、もう1人には足がありません。船のやや前よりに帆柱があり、これがやや前に傾いていることから船も傾いていることが分かります。帆柱の上からは、後ろへは綱が、前へは長い木の棒?が斜め下に伸び、全体として3角形になっています。木の棒の下には細長い帆布の端が6枚くらい止められています(木の棒と帆布の間にはわずかに細い隙間がある)。帆の前のほうは少し膨らんでいるようです。帆の張り方など、かなりよく分かりました。
 次は、歌川国貞の『春夕(しゅんせき)美女の湯かゑり』(1843〜47年 大判錦絵三枚続)です。これも上の作品と同じ作り・大きさですが、3枚それぞれに大きく女性が描かれていて触って一見分かりやすそうな図のように思いました。3人の女性が身に着けている着物や下駄に特徴があるということで、触り比べてみました。下駄の歯の部分を比べると、先がとがっているもの、平たくなっているもの、高いもの、と違いが分かりました。着物はいずれも縦縞になっていますが、縞が太いもの、四角っぽい連なりになっているもの、線と点線になっているもの、のように感じました。各人物の顔はあまりよく分かりませんでしたが、それぞれかんざしを差していて、その方向で顔の方向が分かりました。一番左の女性は右を向き、中央と右側の女性は後ろを振り返っているようです。一番左、奥の女性は手に提灯を持ち、その明りに照らされて往来お行き交う人々がシルエットで描かれています(左端に小さく3人、右端にやや大きく1人)。また左の女性と中央の女性の間の下あたりに2匹の犬がじゃれあうように?一部重なって描かれていました。
 
●版木などの材料
 まず、錦絵に使われる版木の大きさについて教えてもらいました。初めに触ったのが、大奉書と呼ばれる大きさのパネル。縦40cmくらい、横50cm余の大きさです。ただしこれは用紙の大きさで、これだけ大きな版木はなかったとのこと。版木としては、この大奉書を縦に半分にした大判(縦40cmくらい、横26cmくらい)がよく使われたそうです。その他に、大判を横半分にした中判(縦20cmほど、横26cmほど)、大奉書を縦に2分しさらに横に3分した(大奉書の6分の1)色紙版(縦20cmくらい、横18cmくらい)もありました。版木としてはほかにもいろいろなサイズがあるようです。実際の浮世絵は、これらの版木を横に2、3枚、あるいは縦に2、3枚並べて作られたりするので、いろいろな大きさのものがあることになります。
 次に、実際に彫られた版木を触りました。縦20cm弱、横12cmほどで、葉書よりちょっと縦長でした。厚さは2.5cmくらいはあったように思います(江戸時代に使われた版木は一寸(3cm余)も厚いものだったそうです)。素材はヤマザクラで、硬いがそれなりに彫りやすいとのことです。私が触ったのは、後の摺り体験で使った猫又と、東洲斎写楽の「二世大谷鬼次の奴江戸兵衛」の顔の一部分でした(両目とも内側に斜め下にぎゅっと寄ったような独特の顔を触って、以前彫刻家の柳澤飛鳥さんが凹版と凸版の間に用紙をはさんでエンボス印刷するという方法で製作した同作品に触ったことを思い出しました)。
 
●摺り体験
 国芳の浮世絵にしばしば登場するという「踊る猫又」の摺り体験をしました。猫又という言葉は聞いたことはありましたが、どんなものかは具体的にはまったく知りませんでした。猫の化け物のようなもので、この踊る猫又は、尻尾が2つに分かれ、左脚で立ち、前足を大きく上げて頭に手拭いをして踊っています。
 4版摺りで、最初の版が黒で身体の主な部分、次の版が黄色で斑や目、次の版が赤で手拭いの部分、最後の版が黄色の部分の中などの黒の斑です。
 絵は縦長ですが、木目の方向に合わせて作業をしたほうがいいので、横置きにします。各版には見当と呼ばれる紙を合わせるための窪みがあります(右下角にL字型の窪み、下の辺の中央に横線の窪みがあった)。筆にインクを付け、版を横にすうっとまっすぐなでるように動かします(版が小さいので色はこれくらいの分量で十分のようです)。刷毛を主に横方向に動かして、色を版の凸部に広げます。それから、少し湿らせた紙を見当にきっちり合わせて版の上に乗せます。紙を押えながら、バレンで強く主に横に動かしながら押し付けます。それから版から紙を引き離します。 4版ともこの同じ作業を繰り返して、完成です。多色摺なのでうまく出来上がっているか心配でしたが、見当が触ってほぼちゃんと分かるものだったので紙をその都度うまく合わせられたらしく、ずれはほとんどなかったようです。(帰ってから、立体コピーにして確認してみました。色の違いは分かりませんが、おおよその輪郭は知ることができました。)
 
●展示室での鑑賞
 最後に展示室に行って、たった1点ですが、国貞の「二代目岩井粂三郎の揚巻、七代目市川團十郎の助六、三代目尾上菊五郎の新兵衛」の前で簡単にこの作品について説明してもらいました。色紙版3枚続の小さめのもので、画面中央に助六、向って右に助六の愛人で遊女の揚巻、向って左には新兵衛が描かれ、画面の上は枝垂桜になっているそうです(助六は、1ヶ月ほど前に藤沢での木彫展で助六の木彫作品を触ったので、少しイメージ(江戸紫の鉢巻をし、下駄を履き、蛇の目傘を持った手を高く挙げて見得を切る)が持てました)。画面上の枝垂桜は空摺りになっているということで、その空摺りの見本を触りました。空摺りは、版木に絵具をつけずに摺り、凹線で無色の図柄を表現する方法で、触ってみると、桜の花模様なのかどうかははっきりとは分かりませんが、細かい線の模様は分かります。さらにこの浮世絵では、雲母粉を画面の余白に摺り込んだ雲母摺り(きらずり)が行われていて、雲母粉が乱反射することで見る方向によってはきらきら見えるとか。とても豪華な感じの浮世絵のようです。
 浮世絵の摺りの技法としてはこのほかに、色摺りした後の紙を版木に強く押し付けて輪郭全体を浮出させたきめ出しや、版木に布を張って摺り布の折り目を浮き出させる布目摺り、版木の木目を浮出させる板目摺りなど、いろいろとあるようです。摺りに限らず、浮世絵は当時西洋から入ってきはじめていた手法や材料もふくめ出来そうなことは何でも試みて、人々に喜んでもらえるような作品が次々と生み出されていったようです。とても活き活きした芸術活動だったように思います。
 
(2016年12月5日)