西脇市郷土資料館

上に戻る



 12月16日、西脇点訳友の会の点訳スキルアップ研修「将棋の点訳方法」の講師として、西脇市まで往復しました(将棋の点字については、棋譜の書き方が参考になる)。行きは、車両のトラブルとかで電車が遅れ 4時間半余、帰りは3時間余の長旅になりました。会場は、播磨内陸生活文化総合センター(旧西脇市図書館)点字図書室という所でしたが、担当の方から同じ建物内に西脇市郷土資料館もあるということを聞き、帰りの電車の時間まで少し余裕がありましたので、20分ほどでしたが触れられる物を中心に簡単に案内してもらいました。
 西脇市郷土資料館は、以前全国のミュージアムについて調べた時に、触れられる展示がある程度はありそうで一度行ってみたいなあと思っているミュージアムでした。西脇市は播州織(糸を先に染めてから織り上げる先染織物で、江戸時代に京都西陣から伝わったらしい)で有名で、この資料館でも織物の各工程を人形の姿で示すなどしているようでしたが、時間がなかったのでそれは素通りし、いくつか考古資料やむかしの道具類に触れました。
 一番印象に残っているのは、直径1m以上、高さも1m近くある大きな須恵器の甕。解説によれば、この大甕は、緑ヶ丘古墳(古墳時代後期の横穴式石室)で発掘された多数の須恵器の破片を組み合わせて復元したものだとのこと、よく触ってみると、つなぎ目や小さな穴がかなりありました。こんな大きな甕を何に使ったのだろうか疑問ですが、解説文によれば、このような須恵器の大きな甕が大量生産され、各地の祭祀で使われた後に壊されたのではということです。(そういえば、以前に見学したすえむら資料館でも、同じように須恵器の破片を組み合わせた大きな甕に触ったことがあります。)その他、6世紀から奈良時代にかけての須恵器や瓦の破片にも触りました。
 むかしの道具類では、唐臼という物に触りました。長さ2m以上あるかなり大きなものです。向って右端に直径50cmくらいの石製の臼と木製の杵があります。杵には2m以上もある長い木材が取り付けられており、中央よりやや左側に石の台があって、この台を支点にして、木材の左端を足で踏んで、杵を上下させられるようになっています。いわゆる梃の原理を使った道具ですね(支点と力点の距離が近いので大きな力で踏まなければならないが、それだけ杵が上に上がって落ちる力が強くなる)。江戸時代にひろく精白用の道具として使われたそうです。その後、動力として水車を使ったものが普及するようになり、3連?の水車で動く装置も展示されているようです。
  *12月28日のNHKの午前5時台のマイあさラジオで、広島市佐伯区湯来町上多田に住んでいる佐藤亮太さんの、上の唐臼とほぼ同じ形状と思われる足踏みの餅つき機(台唐(だいがら)と言うそうです)についてのリポートがありました。湯来町上多田地区は広島市街から車で2時間近くもかかる中国山地の山村のようです。以前は千人近く人口があったそうですが、今は百人弱で高齢者ばかり。佐藤さんは、2011年の東日本大震災後福島から広島に移住、さらに2014年春に湯来町のこの地区に移住した30歳くらいの方のようです。放送の2日前に行われた、台唐を使っての餅つきの様子が報告されました。以前は一家に1台というほど台唐はあったらしいですが、今は使えるものは少なく、40、50年前に使われていたらしい台唐(杵はケヤキ製でとても堅いとか)を持ち出して、地域の方々60人前後が集まって餅つきが行われたそうです。佐藤さんは足踏みのために筋肉がつるほどになったそうですが、地域の60代の方はリズミカルにされていたとか。700個ほども餅ができたそうです。出来上がった餅は、とても粘りがありおいしく、地域の人たちはやはり餅はこれにかぎると言っているとか。
 また、牛のわらじ?のような、ちょっと変ったものにも触りました。太めの縄で作った直径7〜8cmほどの輪のようなもので、それを蹄の先に履かせて蹄を保護したとのことです(滑り止めにもなったらしいです)。その他、なつかしい千歯扱(せんばこき)(私が触ったのは大豆用とかで、鉄の板でできた歯と歯の間は3cmくらいもあった)、もっこ(堆肥や土砂などを運ぶ道具。縄を編んだもので、両側に棒を通して2人で担いで運ぶ)、俵を編む道具、鍬(刃の先や両側だけが鉄になっていた)、鋤簾などに触りました。古いタイプの電話も何種類かあって、電話ボックスで交換手を呼び出してつないでもらう形式の電話機に触りました(このタイプのものは私は実際には使ったことはない)。
 ごく短い時間でしたが、貴重な、またなつかしいむかしの道具たちにふれることができました。
(2017年12月31日)