京都国立近代美術館のワークショップとゴッホ展

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 2月11日、京都国立近代美術館に行き、午前中はワークショップ 「美術館ってどんな音 つくって鳴らそう建築楽器」に参加し、午後は現在開催中の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を少し見学しました。バス停から美術館のほうに案内してもらうと、ゴッホ展入場待ちの人垣が!その中を手引してもらって美術館内へ、館内も人また人でした。ゴッホ人気の体感です。
 午前に行われた建築楽器のワークショップは、昨年から京都国立近代美術館が始めた感覚をひらく―新たな美術鑑賞プログラム創造推進事業で行われているイベントの一貫で、私は初めての参加でした。10人ずつ3グループに別れ、私たちのグループは11時にスタート、30分ずつ3つのことをしました。グループには見えない人たちが3、4人いたでしょうか、中には岡山や島根など遠方からの方もおられましたが、美術館近辺の方もおられ、また家族で参加した人たちもいて、なごやかな雰囲気でした。
 はじめに、美術館に使われている建築材料をみんなでバチのような棒で叩いてみます。用意されていたのは、ガラス、金属(アルミ)、石(御影石)でした。次に、建物の窓のほうに少し移動して、実際に建物を直接叩いてみます。窓はガラス、窓枠はアルミ、床は御影石で、それぞれ音が違います。
 次に、目隠しをしながら(私はしていない)建物の中を歩き回り、回りの壁や柱や床などを叩いてみます。鉄もありましたが、ガラスやアルミや御影石がほとんどのようで、あまりバラエティはありませんでした。この建物探検で、側面に直径1m弱の穴があって、そこから階段下のスペースに入り込んでみました。なんとも懐しい空間感覚でした。なお、この美術館の建物全体の模型にも触りました。これは、後で自分でショップやトイレに行く時におおまかな方向を知ることができて、とても参考になりました。
 最後に、お目当ての建築楽器です。参加者各自の目の前に、木製の長さ20cmくらいの厚い板のようなのがあります。この板に、幅1cm、長さ20cmほどの薄いフェルトを2本並行に張り付けます。そしてこのフェルトの上に、いろいろな建築材料を接着剤でくっつけてゆきます。この美術館の建築材料だけでなく、ふつうの建築現場にあるような材料ということです。私は順に、木(これは、不要になった額の枠を切ったものだとか)、アルミ、大理石、コンクリート、御影石、鉄、タイルの7つの材料をびっしり並べました。木琴のバチのような棒で叩いてみましたが、それぞれ音は少しずつ違いますが、ぜんぜん響きがなくて、ちょっと楽器と呼べるかどうか。この楽器は各自持ち帰ることができて、家の者にも見せてみましたが、「これが楽器!」、でも「現代アートだなあ」とのことでした。
 まとめのお話では、建築現場でも音は大切で、例えば木材を叩いてみて、内部のどの部分が腐っているかを判断するとか、壁面を叩いて中の空洞になっている所を見つけるとか、役立っているとのことです。今回のワークショップ、発想はとても良いと思うのですが、全体にちょっともの足りない感じがしました。もうちょっと変った材料があるとか、よい音がするのがあるとか。私はふだんから杖を使って歩いていて、回りを杖で軽く叩いてその音から足元や回りの状況を知ろうとしているので、私にとっては残念ながらあまり新鮮な体験とはいえませんでした。
 
 昼は、美術館の中のカフェでゆっくり食事を取り、その後館内をゆっくり歩いてみて、ゴッホ展関連のビデオが放映されていることに気付き、椅子に座って2回ほど聞いたりして時間を過ごしました。
 
 午後2時半くらいから30分ほど、スタッフの方に、たいへんな人込みのなか、ゴッホ展の会場を一通り案内してもらい、主な展示について簡単に説明してもらいました。今回のゴッホ展については、2月3日のラジオ深夜便の展覧会への招待で、中村宏アナウンサーと京都近美の主任研究員牧口千夏さんによる放送を聞きました。また職場で展示の教科書の校正をしているのですが、中学の美術と小学4年の道徳の教科書で、ゴッホと日本の浮世絵の関係が取り上げられていました。参考のために、ゴッホの作品数点の写真をそのまま立体コピーしてもらいました(そのままコピーしても、ゴッホの作品は触って少しは分かる所がある)。また当日も、美術館のカフェで昼食を取った後、入口近くで放映されていたゴッホ展の簡単なビデオを聞いたりしていました。なお、ゴッホについては、その詳しい作品解説など、ゴッホがとても参考になりました。
 企画展会場に入って来館者を迎えるのが「画家としての自画像」(縦65×横50cm)。青っぽい服を着け赤い髭のゴッホが、イーゼルに向って立ち、視線を見る者にしっかり向け、右手にパレットを持っています(パレットには赤や青の鮮やかな色が残っている)。この作品は、それまで滞在していたパリ(ゴッホは1886年に弟のテオを頼ってパリに出てきて、印象派の画家たち、そして浮世絵にも出会っている)から南仏のアルルに向かう直前の1888年初めに描かれたもので、これからしっかり画家としてすごい絵を描こうという決意のようなものを表しているのかもしれません。
 以下、日本の浮世絵の影響があると思われる作品たちです。
 「種まく人」(1888年、32×40cm)。これは立体コピーでも触りました。画面右手前から中央に向って太い木の幹が大きく伸びています。枝が数本あり、枯れ葉が付いているようです。画面左側に畑が広がり、種をまく男の人がいます。その上に大きな黄色の太陽。空は黄色にちょっと緑が混じっているようで、ふつうでは見られないような空のようです。(ゴッホはミレーの「種まく人」を何度も模写していますが、この作品はミレーのよりもずっと色にあふれ明るいようです。)前景の画面を分けるように伸びる太い木は、例えば歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋敷」(1857年)の構図と類似しているようです(「亀戸梅屋敷」では、画面左手前から右に太い幹があり枝を伸ばして白梅をつけ、画面奥にも梅林が描かれている)。また、画面左端から種をまく農夫の頭辺りを通ってずうっと右に水平にはっきりとした線(地平線?)が伸びていて、これも私は浮世絵によく見られる描き方かもと思いました。
 次に「花魁(溪斎英泉による)」(1887年、105×60cm)。これも立体コピーにして触りました。画面中央が大きく短冊形に縁取りされていて、その中に大きく、左から後ろを振り返るような立ち姿で花魁が描かれています。大きく結った髪に何本も簪をさしていて、触ってもよく分かります。この花魁は溪斎英泉の「雲龍打掛の花魁」を模写したものです(着物は赤や緑を使って色鮮やかに描かれているらしい)が、実際の浮世絵と比べると左右が反転しているとか。それは、ゴッホが見た『パリ・イリュストレ』誌(no.45&46合併号=1886年5月号 日本特集)の表紙に印刷されていた「雲龍打掛の花魁」が間違って左右反対になっていたからだそうです。この絵で面白いのは、花魁の四方の額縁のような所に当時の浮世絵にしばしば描かれた画題が描かれていることです(花魁の足元には蓮に乗った蛙、右側には下から上まで伸びる竹、花魁の頭の上には小舟に乗った2人、左側の上には湖面?に2羽の鶴)。
  ※会場には展示されていませんでしたが、「タンギー爺さんの肖像」(1887年、93×64cm)でも、帽子をかぶり青い服を着て手を重ねるようにして椅子に座っているタンギー爺さんの回りに、6点の浮世絵が配されています(美の巨人たち ゴッホ『タンギー爺さん』などを参考にしました)。タンギー爺さんの右側には花魁(上の英泉の花魁と同じ)、 右上には満開の桜(歌川広重の「東海道五十三次名所図会 石薬師」(1855年)が手本)、上中央には富士山(歌川広重の「富士三十六景 さがみ川」(1859年)が元絵)、左上には雪景色(元絵についてははっきりしないが、広重のものらしい)、 左側にも花魁(歌川国貞の「三世岩井粂三郎の三浦屋の高尾」(1861年)が手本)、左下には朝顔(作者不詳「東京名所 入谷」(明治初年)が元絵)が描かれています。なにかお好みの浮世絵ミニコレクションといった感じですね。
 「雪景色」(1888年)は、ゴッホらしい作品というよりも日本の風景画のようにも見え、広重「東海道五十三次の「蒲原」や「亀山」が一緒に展示されていました(「蒲原」では、夜の雪道を歩く2人のうち1人は杖をついて慎重に歩んでいて、見えない人かも知れない)。1888年2月20日にゴッホはアルルに到着しますが、その日は60cmもの積雪があり雪が降り続いていたとか。テオ宛ての手紙には「雪のなかで雪のように光った空をバックに白い山頂をみせた風景は、まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」とあり、アルルの明るい陽光だけでなく雪景色にまで日本の風景そのものを感じてしまっていて、ゴッホの思い入れの強さがうかがえます。
 「アイリスの咲くアルル風景」(1888年、50×65cm)は、展示会場では通り過ぎてしまったようですが、ラジオ深夜便での解説によれば、夏の野原の風景のようです。画面手前に濃い青紫色のアイリスが、横に帯状に細い線で1本1本描かれ、その向こうに黄色いキンポウゲの花がびっしりと咲き乱れています。少し奥には木が数本立ち、その向こうには赤い屋根・白い壁の建物が見えます。地平線は高く、空は水色で塗りつぶされています。全体としては、鮮やかな色面の対比が印象的な絵のようです。
 「寝室」(1888年、72×90cm)は、画家たちとの共同生活を夢見て借りていたいわゆる「黄色い家」のゴッホ自身の寝室を描いたもの。向って右側に木のベッドが置かれ、正面に縦長の窓があり、壁には人物画2点と何かはっきりしませんが絵画数点が掛けられています。小さなテーブル1個と椅子が2脚あるだけで、家具らしいものは見当たらず、簡素な部屋のようです。この絵には陰影はなく、ベッドやテーブルは太い輪郭線で描かれています。また、ベッドは黄色、床は赤、壁は水色と、平坦な色面で表わされています。ラジオ深夜便での牧口さんの解説によれば、当時の西洋で教えられていた絵画の技法は、陰影を付けて(輪郭線をはっきり示さず)遠近法に則って写実的に描くというものだったが、浮世絵では、陰影はなく、平面的で、色彩鮮やかで、輪郭線を使って細かく描かれていて、このような描き方は、ゴッホにとっては(その他の画家にとっても)見たことのないとても新鮮なものでした。
 
 1888年10月末にアルルの黄色い家にゴーギャンがやって来て共同生活が始まりますが、12月末にいわゆる耳切り事件を起こして共同生活は破綻、ゴッホはしばしば発作を起こして入退院を繰り返すようになります。1889年5月からサン・レミのカトリック精神病院に入院、そこで多くの絵を描きます。翌年5月にアルルを離れ、パリの北西30キロほどのオーヴェール村で精神科医のガシェのもとで療養、そこで亡くなるまでの2ヶ月ほどの間に70点以上の絵を描きます(毎日1点以上、エネルギーを使い果たし死しか残っていなかったのかも)。色調など画風が大きく変化し、暗くゆがんだような絵が多くなります(2年余前、東京芸術大学が最新の技術を駆使して美術品を複製するプロジェクトで制作した「オーヴェールの教会」に直接触れたことがありますが、どっしりとしているがゆがんだような教会の印象は忘れられません)。色彩鮮やかな浮世絵風のものはすっかりなくなりますが、サン・レミの病院ではしばしば庭の植物などをクローズアップして描いたり、自然と一体化するような表現も見られたりして、日本の絵の影響はそれなりに観てとることはできるようです。会場には、植物の絵のほか、「蝶とけし」や「ヤママユガ」(蛾が手のひらよりも大きく描かれているとか)なども展示されていました。
「ポプラ林の中の二人」(1890年)は、立体コピー図版でも触りました。画面中央に太いポプラの幹が下から上まで描かれ、その両側にもポプラの幹が画面の横幅いっぱいに林立しています(近い幹は低い位置からはじまって太く、遠い幹は少し高い位置からはじまって細く描かれているようだ)。林立するポプラの手前は草むらがなびくように描かれています。中央の太いポプラの向って左側に、男女がぴったりくっついて仲よく描かれていますが、描かれているのは顔からお腹くらいまでで、ポプラ林に消え入る?ような感じもします。林立するポプラの幹や、自然の中にとけ込むような人物の表現には、浮世絵の影響があるのかもしれません。
 
 今回の展覧会のために特別プロジェクトで復元されたという「恋人たちのいるラングロワの橋」が展示されていました。これは、ゴッホが手紙の中でこんな絵を描きたいと簡単なスケッチを残していて、またその一部になったと思われる「水夫と恋人」という小品(女性が男性の肩に腕をかけて歩く後ろ姿が描かれている)が現存していて、これらをもとに復元したものだとのことです。色鮮やかで、とくに黄色の空が印象的なようです。
 
 今回の展覧会では、日本の影響を受けたゴッホの作品とともに、ゴッホに憧れ影響を受けた日本の画家たちにも焦点が当てられていました。ゴッホが亡くなってから20年ほどしてゴッホの作品が日本に紹介されるようになり、1920年代から、ゴッホのお墓にお参りし、ゴッホの作品が多数保存されていたガシェ家を訪問する日本人が増えます。ガシェ家には多くの日本人の名前が記された芳名録が 3冊あり、それが展示されていました。例えば、佐伯祐三は、自室にゴッホの自画像の複製を飾り、ゴッホの住んでいた現場を訪れ、「オーヴェールの教会」も描いています。ゴッホの人気はもう100年くらい前からだったのですね!どうしてこんなにもゴッホは日本人の心をゆさぶるのでしょうか?
 
(2018年2月26日)