ボストン美術館の至宝展

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 3月10日、名古屋ボストン美術館で7月1日まで開催されている「ボストン美術館の至宝展 ―東西の名品、珠玉のコレクション」に行きました。
 同館ではこれまで各展覧会で視覚障害者のためのプログラムを実施しており、今回も3月14日に「さわって楽しむボストン美術館の至宝展!」を行うとの案内がありました。しかしその日は、私は仕事の都合でどうしても参加することはできず、できれば別の日に見学させていただきたいとお願いしたところ、3月10日土曜日に担当の学芸員の方に案内してもらうことになりました。
 今回の「ボストン美術館の至宝展」では、古代エジプト、中国、日本、フランス絵画、アメリカ絵画、版画・写真、現代美術の広範な分野の珠玉の80点が展示されているとのことです。その中から、視覚障害者のためのプログラムでは、ゴッホ「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」、曾我蕭白「風仙図屏風」、英一蝶「涅槃図」の3点の立体コピー図が用意されているとのこと、私は涅槃図はぜひ触って鑑賞してみたいと思ってお願いしてみたわけです。
 午後1時半過ぎに名古屋ボストン美術館に到着(最寄りの金山駅から美術館までは距離はわずかですが、途中で名古屋コーチンのイベントが行われていてたいへんでした)、しばらくすると担当の学芸員の方が来られて早速5階の図書コーナーに行き、立体コピー図を触りながら説明してもらいました。
 最初は、お目当ての英一蝶(1652〜1724年)の「涅槃図」(1713年)。これは掛物で、縦286.8×横168.5cmもある大きなもの。立体コピー図でも、横置きにしたA4を縦に3枚連らねたもので、大きさを感じました。大きな画面を、上部、中央、下部の3つに分けて説明してみます。
 画面中央部では、入滅した釈迦と、それを悲しんでいる十大弟子や菩薩や天部が描かれています。釈迦は、長方形の台(文様のようなのもあって豪華そう)の上に、向って左側に頭、右側に足を向け、右脇を下にして横たわっています(頭が北、顔が西になっているそうです)。釈迦の足の辺を年取った人(本来は老女のようですが、この画面ではお爺さんみたい)が触っています。台を持つようにして悲しんでいる人もいます。台から離れて画面右側に、手に山盛りの御飯?を持った人が立っています。この人は釈迦に最後に供物の食事をあげたという純陀で、この食事がもとで釈迦は食中毒を起こして亡くなったとか。台の下には、悲しみのあまり倒れている阿難が描かれています。その他、台の右下あたりに金剛力士?、台の左に帝釈天?、台の上に多聞天?などが描かれています(よく名前の分からない者も数人描かれていた)。中央部の左側から画面上部に向って空高く、沙羅双樹が8本描かれています(立体コピー図では6本)。右側の沙羅双樹は青々として花を咲かせていますが、左に行くにつれて白っぽくなって枯れているようです。枯れているのは、釈迦の入滅を表しているのかもしれません(植物も悲しんでいるかも?)。
 画面上部は空(天界?)で、雲がたなびいています。上部の中央上には満月があります(満月は釈迦の誕生、出家、成道(悟りを開く)、入滅の際に出るそうです)。上部の右上には雲に乗って釈迦の臨終にはせ参じようとする天女が3人描かれています。その中の真ん中の人が、釈迦の母摩耶婦人(この場合は「ぶにん」と読む)で、両手で着物の端を持って顔を覆っているようです。(摩耶婦人の両側の天女は、すっと立っていて、悲しんでいそうではない?)摩耶婦人一行の左下には、彼らを先導する人(阿那律=十大弟子の1人)が描かれています。
 画面下部には、悲しんでいる多くの動物たちが描かれています。立体コピー図では、おおむね右から左に向って、象(ひっくり返った姿で、お腹を上に向け、足や鼻が宙を向いている)、犀(頭の両側にとがった角があり、背には甲羅のような模様があった。日本では実物は見られなかったので、想像で描いた)、虎(丸っぽく描かれていた)、亀、犬(お座りするような姿勢)、豚(当時豚が描かれることはあまりなかったらしい)、猫(丸まっているよう。涅槃図では猫が描かれることは珍しいという)、蛇、龍、馬(首を垂れている)、獅子、鶴(首が長かった)、鷹(鉤型のくちばしのある顔は下を向いている)、雁、孔雀(羽が大きい)、鴨、狐(長い尾が上に向いていた)が描かれていました。その他にも、牛、豹(虎とセット)、さらに、蛙、蝉、蜘蛛、蟹、蝸牛など、計51種もの動物たちが描かれているそうです。そして、親子や夫婦など家族で描かれている動物たちも多く、全部で150匹くらいもの動物が描かれているそうです。日本では平安時代から涅槃図が描かれるようになり、当初は描かれる動物は少なかったですが、次第に動物の数が増え、江戸時代には多くの動物が描かれるようになったようです。それだけ、虫などまで動員して、釈迦の教えを恋求め、釈迦の入滅を悲しんでいるものが多いということを強調したかったのでしょうか。ここまでになると、なにか滑稽さも感じますね。
 英一蝶は風俗画家として有名ですが、調べてみるとなかなか面白い人のようです。芭蕉や其角とも交流して俳句をつくり、また漆芸家や金属工芸の人たちなど当時の文化人・芸術家とも交流し、さらに吉原にも出入りし、幇間として豪商や旗本・大名たちとも交流があったとか。ようするに遊び人ですね。それが高じてなのかは分かりませんが、1693年に2ヶ月間入牢し、さらに1698年には三宅島に流罪になります。三宅島でも絵を描き続け、1709年幸いにも将軍徳川綱吉の死去による将軍代替わりの大赦により江戸に帰り、次々と代表作を描いたようです。このような人ですから、きっと庶民にどのような絵が受け入れられるのかよく分かったうえで、この涅槃図も描いたように思います。
 
次に、曾我蕭白(1730〜1781年)の「風仙図屏風」(1764年、縦155.8×横364cm、六曲一隻、紙本墨画)。この絵は、中国の伝説上の仙人陳楠が、人々が旱魃で苦しんでいる時に、池に入って鉄の鞭で龍を連れだし、雷雲を起こさせて雨を降らせたという場面を描いたものだそうです。画面の左下は池で、その上に湧き上がる雷雲(ないし風?)の渦の中心があり、渦は時計回りに巻いて画面左端で上に高く太く伸びています。池は大きく波立っています。池の右には橋があり、そこに陳楠が立ち(足元には波が寄せている)長い剣を画面右側に伸ばして円い雲の塊?のような中に入れています(なんかあまり迫力は感じられない)。画面右側の下のほうには、強い風で吹き飛ばされた2人の従者(2人とも短い剣を持っている)が描かれています。1人は背中から地面に倒れて脚が上に向いており、もう1人は両手を地面について顔から突っ伏すように倒れています。なんとも大げさで面白い表現です。また、画面右側には、柳の木でしょうか、途中から枝が風で大きく右側になびき、たくさんの葉が飛ばされています。画面右やや下には、白い兎と黒い兎が(強い風の中でも)何事もないように描かれています。大胆な表現と対比が面白い作品のように思いました。
 
 最後に、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)の「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」(1888年、縦81.3×横65.4cm)。ゴッホは1888年初めに南仏アルルに移り住みますが、人とうまく付き合えずなかなかモデルになってくれる人はいませんでした。そんななか、ルーラン夫妻はゴッホの面倒をみ、精神的にも支えになったようです(夫ジョゼフ・ルーランは1841年生まれでゴッホより12歳上、妻オーギュスティーヌ・ルーランは1851年生まれで2歳上)。子供3人も含めルーラン一家の人たちの画を20点以上描き、そのうちジョゼフ・ルーランは6点、オーギュスティーヌ・ルーランは5点あり、この作品はジョゼフ・ルーランを最初に描いたものだそうです。椅子に座り、緑色の瞳をこちらにしっかり向けている、膝くらいから上の像です。帽子をかぶっていて、その帽子の正面には「POSTES」の文字が書いてあります。口から顎にかけては巻いているように描かれた髭でおおわれています。顔は哲学者風にも見えるとか。背景は緑色?で、濃い青色の制服を着ています(帽子も濃い青)。濃い青の制服にある黄色で描かれたボタンが目立つようです。また左手首辺にリボンのようなのがあって、そのあたりは金色の刺繍のように見えるとか。手の指や爪までしっかりと描かれています。
 9歳年下の妹ヴィル宛の手紙で、ゴッホはジョゼフ・ルーランについて次のように書いています。この肖像画を理解するのにとても参考になりましたので引用します。「今僕は黄色をつけた濃い青の制服姿の郵便夫の肖像と取り組んでいる。ほぼソクラテスみたいな頭部で、鼻はほとんどなきがごとく、大きな額、禿げた脳天、小さな灰色の目、血色のいい、ふっくらとした頬、ごま塩の大きな鬚、大きな耳。この男は大の共和主義者にして社会主義者、議論もなかなかりっぱで、博識だ。」
 
 立体コピー図の後は、展覧会場をざっと案内してもらいました。まず、巨大な「涅槃図」の前へ。幅は両手を広げたくらいで、ちょうど目の高さ辺に釈迦が70〜80cmくらいの長さで横たわっているとか。小さな掛物の模形が用意されていて、それを触りながら説明を聞きました。表装全体にわたって大掛かりな修復が行われましたが、本紙(画そのものの部分)はほとんど痛んでおらず、色彩鮮やかだったそうです(日本の寺にある涅槃図は、年に1回、陰暦2月15日の涅槃会の時に公開されるため劣化してぼんやりしたものになりやすい)。また背景には金箔が使われていて、とても豪華に見えるそうです。
 その後、各パートを回ってみました。古代エジプトでは、「センカアマニスケンの彫像」(紀元前7世紀、ヌビア[エジプト南部からスーダンにかけての地域]、花崗片麻岩)についてちょっと説明してもらいました。左足を半歩前に出して両手を下げている、等身大よりやや小さい、ごくありふれた少年の石像だそうです。ただ、調査の結果、足などに装飾品を付け、おそらく表面には顔料も塗られていただろうということです。この像に限らず、古代エジプトのほとんどの彫像や壁画に描かれた像は、左足を前に出した姿勢だそうです。それは、エジプトではふつう人物を右側から見る(右優先)のですが、両足をそろえて直立している状態だと、足が1本しか見えず欠けた所があって生きているようには見えない、これにたいして、左足を前に出すと足がちゃんと2本見えて身体全体がそろって生きているように見える、ということだからだそうです。(神様の像は両足がそろっていて、死んでいる状態。)
 中国美術では、なんといっても、陳容(13世紀、南宋末の画家)の「九龍図巻」(1244年、紙本墨画淡彩)がすごいようです。これは全部広げると10メートル近くにもなる巻物で、一部開いた状態で展示されることはあるが、今回のように全部広げた状態での展示は珍しいとのこと。九龍図の前を端から端まで歩いてみました。沸き立ち渦巻く雲と荒れ狂う波のなか、9頭の龍が次々と姿を変え現われては消え現われる様をダイナミックに描いているようです。それぞれ別の龍なのか、1頭の龍が時間的に次々と姿を変えているかなど、考えました。この作品、作者の陳容は泥酔した状態で描いたとか。中国では古来より龍は水や天候を左右する存在とされ、また明時代以降龍は皇帝の象徴とされたそうです(とくに5爪の龍)。(この九龍図の巻頭には「乾隆御覧之宝」とあり、清朝第3代乾隆帝の所有だったことを示している。)
 日本美術の所では、涅槃図のほか、曽我蕭白の「風仙図」の前で、屏風に模して紙を蛇腹に6枚織りしたものを使って、屏風の凹凸のどの辺に何が描かれているのかを説明してもらいました。
 フランス絵画の所では、立体コピーで触った「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」と並んで、「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」(1889年)が展示されています(このように一堂にルーラン夫妻の画が展示されることも珍しいそうです)。ルーラン夫人の画のほうが一回り大きく、身体も少しふくよかな感じだそうです。椅子に座り、お腹の前で両手を合わせるようにしてより紐のようなのを持っています(ゆりかごを揺らす紐のようです)。全体に緑が多いようですが、背景には花が描かれた壁紙があるとか(浮世絵の影響?)。
 アメリカ絵画では、ホーマー、サージェント、オキーフなど、私にはあまりなじみのない画家たちの絵がありましたが、ジョージア・オキーフ(1887〜1986年、アメリカの女性画家)の作品がちょっと印象に残りました。展示されていたのは「グレーの上のカラー・リリー」(1928年、縦81.0×横43.2cm)。グレーの背景に、花が白ではっきりと、茎や葉が緑で淡く描かれているようです。全体に細く引き伸ばされているようです。ここに描かれているカラー・リリー、その時は気がつかなかったのですが、家の小さな庭にもあるカラーと同じ花でした。あの、外側にすうっとそりかえるような曲面のやや硬めの花(実は萼)を思い出して、なんだか親近感をおぼえました。ちなみに、20代のころ日本で行き詰まっていた草間彌生はオキーフに手紙を出して返事をもらい、その後ニューヨークに行ったとか。
 現代アートのパートでは、ケヒンデ・ワイリー(1977年生まれ)の「ジョン、初代バイロン男爵」(2013年)が説明を聞いて少し理解できました。イギリスの肖像画家で晩年にチャールズ10世の宮廷画家をつとめたというウィリアム・ドブソン(1611〜1646年)が1643年に描いた同名の肖像画のパロディーで、バイロン男爵が若いアフリカ系アメリカ人(黒人)に置き換えられ、背景も真紅の地に花模様になっているそうです。肖像画と言えば白人男性がふつうで、とくに権威のある王侯貴族たちの肖像画が営々と描かれてきました。それが、ポーズはもとの作品と同じ(左ては肘を直角に曲げて前に出し、右手は下げて太ももあたりに当てている)ですが、そこに立っているのは、若い筋肉質のスポーツマンを思わせるTシャツを着た黒人、見る者に「なに、これ?」というような違和感を強くあたえるようです。ふだんは心に潜んでいる思い込みや既成観念といったものを表に出し気付かせるというのが、現代アートの1つの特徴なのかもしれません。このパートには、村上隆の大作「If the Double Helix Wakes Up」(2002年)もあって説明してもらいましたが、私には残念ながらなんだかよくは分かりませんでした。
 
 今回は、立体コピー図に描かれた絵を鑑賞するだけでなく、展覧会場で展覧会全体をおおまかですが学芸員の案内で回ることができ、この展覧会の良さ・素晴しさを少し体感できてよかったです。
 
(2018年3月19日)