京都近代美術館の「てくてく、くんくん in 岡崎」

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 5月13日、京都国立近代美術館が昨年から始めた「感覚をひらく ワークショップ」の「てくてく、くんくん in 岡崎」に参加しました。主催者から送られてきたこのワークショップの案内文には、「京都国立近代美術館がある岡崎地域は、明治時代、琵琶湖疏水の建設により大きく変貌をとげました。このプログラムでは、そんな岡崎地域の歴史に思いをはせ、耳で、鼻で、手で、「明治」を体感します。」と趣旨が書かれていました。
 その日は朝から雨で、とくに私が参加した午後の部ではしばしば土砂降りといえるくらい降っていて、「てくてく」歩いて触ったり体感することはたいしてできず、「くんくん」匂を嗅ぎ楽しむほうが中心になりました。
 地下鉄東西線の蹴上駅に午後1時半過ぎに到着、集合予定よりかなり早かったのですがすでに10人くらい参加者がおられてびっくり!中には東京方面から来られた方もおられました。
 雨の中南禅寺に向かいます。途中短いトンネルがあって、ちょっと雨宿り?ができてほっとします。ほんとうならば、琵琶湖疏水の水路や隧道などについても説明してもらいたいところですが、とにかく雨に濡れないようにと急いで歩き、10分もかからずに南禅寺の大寧軒に入りました。
 大寧軒は、ふだんは非公開だとのこと、靴を脱いで入るとすぐ絨毯のふわふわした感じ、その後畳の部屋に入りました。その畳の部屋はかなり広い庭に面していて、戸が開けられて外の庭を感じられるようになっています。いくつか石灯籠が見え、ひょうたんのようにうねった形の池、その向こうに石造りの鳥井(「三柱鳥井」と言われるもので、3つの鳥井が正三角形になるような配置で置かれているそうです)が見え、さらにそのずっと奥には高さ2mくらいはありそうな滝があるようです。でも、ざあざあという強い雨の音のために、庭の水音などはほとんど聴き分けることはできません(庭の片側の端のほうには、大きな樹木あるいはなにかの屋根があるのでしょうか、時々水のかたまりが落ちる大きな音がしていました)。
 天気が良ければ、外に出て南禅寺の有名な三門(かの石川五右衛門が、この三門から満開の桜を見て「絶景かな、絶景かな」と言ったという伝えがある)などに触るなど予定していたそうですが、なにしろ雨なので、この部屋でずっと座って、信徒代表の方が語る南禅寺や大寧軒、また琵琶湖疏水などの話を聞き、最後にその方の案内で焼香をして沈香の匂をあじわいました。沈香についてはよくは分かりませんが、熱帯産のジンチョウゲ科の常緑高木で、その樹が長期間埋没している間にできてくる樹脂の塊?から作られるようです。
 南禅寺は、700年以上前に亀山上皇によって設けられた寺で、京都五山の第一位、あるいは五山の上に置かれることもあったという、とても格の高い寺のようです(話の中には、夢窓疎石や以心崇伝なども出てきました)。ただ、応仁の乱ころまでにほとんど焼失してしまい、現在の建物は安土以降のものだとのことです。
 大寧軒のある地にはもともと南禅寺の塔頭大寧院があったそうですが、明治初めの廃仏毀釈により取り上げられ、明治中ごろ?跡地は茶道家元藪内家に払い下げられたそうです。1890年に琵琶湖疏水が通るようになると、この辺には疏水の水を利用して別荘や庭がつくられるようになり、この大寧軒の庭もその中のひとつで、明治末ころに造られたらしいです。そしてようやく2004年に南禅寺が買い取って?、南禅寺の所有になったとのことです。
 琵琶湖疏水は、明治になって都が東京に移って沈滞気味だった京都(人口も1割くらい減ったとか)をなんとか活性化しようと、第3代京都府知事北垣国道(1836〜1916年。在任 1882〜93年)が、1883年に田辺朔郎(1861〜1944年)が工部大学校(現 東京大学工学部)の卒業論文で書いた琵琶湖疏水の設計案を採用して行った一大近代化事業だったとのことです。北垣国道は早速田辺朔郎を京都府に迎え、1885年に着工し、1890年に琵琶湖畔の浜大津から京都の蹴上までの長さ8.7kmの第1疏水、および蹴上から堀川に通じる長さ8.3kmの疏水分線が完成します(その後、長さ8.9kmの鴨川運河が1895年に、第1疏水の北側を並行して走る全水路トンネルの第2疏水が1908年に完成)。琵琶湖疏水の全体について、また蹴上インクラインがなぜ設けられたかなどについてよく分からなかったので、ちょっと調べてみました(水の話-琵琶湖疏水などを参考にしました)。
京都のすぐ近くには大水源の琵琶湖がありますが、その間には山があって琵琶湖からは直接川は流れてきておらず、また市内を流れる鴨川は水量があまり多くなくて、渇水期にはしばしば水不足で苦労していたようです。琵琶湖から直接水を引き、飲料水や灌漑だけでなく、工業用水や水車を回して機械を動かすために、さらには滋賀と京都間の舟による輸送も行うなど、京都の一大近代化事業として琵琶湖疏水は計画されました。水力発電は当初の計画にはありませんでしたが、田辺朔郎らがアメリカに行って水利用について調べて、水車動力よりも水力発電のほうがずっと良いということで、急遽水力発電所を蹴上に設けることになり、1891年に営業用の水力発電所としては日本初の蹴上発電所が完成します。この電力は蹴上インクラインの動力となり、また市内の時計工場や紡績工場などの動力源として供給されます。さらに、1895年には日本初の電車である京都電気鉄道伏見線(後に買収されて京都市電となる)の動力にもなります。
 琵琶湖の湖面の標高は84mほどで、京都市内とは50m前後の標高差があります。浜大津の取水口と蹴上の間には山があり、少しは迂回するにしてもどうしても山にいくつかトンネルを掘り貫かなければなりません(一番長い第1トンネルは2436m、その他のトンネルも合わせると計4km弱で、第1疏水の半分近くはトンネル)。しかも取水口と蹴上の間の高低差は4mくらいで、それに合わせていくつものトンネルを彫るのですから、詳しい地形測量と厳密な設計図が必要だったはずです。また、蹴上まで引かれてきた水の先も問題です。蹴上と市内の鴨川とは40mくらいの落差があり、そのまま水路を作ったのでは激流になってしまってとても舟運はできません。それで考えられたのがインクライン(傾斜鉄道。ケーブルカーと同じ原理で、舟を載せた台車にロープを付け、ロープがつながった巻上機を回転させることで台車を昇降させる)で、蹴上舟溜から南禅寺舟溜まで、全長600m弱、高低差36m、勾配15分の1のインクラインが敷設されました。これらの工事を日本人だけの手で行ったということですから、当時の日本の技術水準にも感心します。
 私たちは、雨の中、南禅寺から岡崎の近代美術館まで歩きましたが、南禅寺を出てすぐ水路閣が見えました。この水路閣は、蹴上から伸びる疏水文線の水道橋で、長さ100m弱、幅4m、高さ9mの、煉瓦と花崗岩で造られたアーチ型の橋脚は、周囲の景観ともマッチして、なかなか見栄えがするようです。歩きながらそこここで川の流れの音がしますが、それは疏水の音だとのこと、降り続いている雨のせいもあるのでしょう、かなりの急流になっていて、一部は濁流にも見えるとか。また、近代美術館近くの橋の上からは線路のようなのが見えるということで、これはたぶん蹴上のインクラインの跡なのでしょう。私が体感できてよかったと思ったのは、南禅寺を出て間もなく、道のすぐ横に流れていた小さな滝?のようなのを杖で確認できたことです。幅30cmほどの岩の間を水が流れ落ちていて、その両側の岩は全面コケに覆われているようで、岩の表面はちょっとふわふわしたような、つるうっとしたような感じでした。
 
 岡崎の京都近代美術館に到着すると、早速匂い香作りの体験プログラムです。創業300年という香老舗 松栄堂のスタッフの方が担当、とても洗練されたプログラムでした。
 グループに別れ、各グループには、匂い香の原料となる7種類の錠剤そっくりの形(直径2cm、厚さ5mmほどの円盤状)のものがずらっと並んだ大きな平たいケースのようなのが用意されています。各参加者は、それぞれの香のにおいを味わいながら、自分の好みに合わせて、7種の錠剤を15個選びます。私はあまり強い匂は好きではないので、ラベンダーを中心に、ラベンダー 7粒、桂皮 2粒、カッ香 2粒、丁子 1粒、竜脳 1粒、それに匂いB(和の香り) 2粒を選びました(その他に匂いAがありました。匂いAとBは、調整用にいくつかの香を調合したもののようです)。
 また、各香の原料の実物も触り匂を味わうことができてよかったです。桂皮はシナモンの匂で、クスノキ科のニッケイの樹皮を乾燥させたものです。カッ香は、つい「臭い」と言ってしまったほど嫌な匂いでした。カッ香はシソ科の多年生草本の葉を乾燥させたもので、嗅いでみるとまったく嫌な匂ではありません。パチュリーとも呼ばれ香料の成分として使われているとか。実はこのカッ香には甘松が入っていて、その甘松はまさに鼻をそむけたくなるほど臭かったです。甘松は、スイカズラ科草本の根・茎だそうです。丁子は、フトモモ科のチョウジのつぼみを乾燥させたもので、クローブとしてよく使われているようです。竜脳は、フタバガキ科の常緑高木のリュウノウジュの心材の空隙に結晶として析出したもので、ちょっとショウノウのような匂がして、私の好みでした。
 最後に、自分の選んだ15個の錠剤を袋に入れて、指で軽く押して割りつぶすようにして、調合します。これを別の袋に入れて、口をかるく結び、匂い袋の完成です。
 
 プログラム終了後、京都近美の点字版と拡大文字版の案内冊子、および「さわるコレクション」という触図録を頂いて帰りました。以下、それらについての感想です。
 美術館の点字版の案内冊子といえば、しばしばふつうの案内冊子から抜粋して点字版用に編集されていますが、この冊子は、美術館の中だけでなく岡崎周辺もふくめて、なんとか触れるところ、体感できそうな所を探してつくろうとしていることがよく伝わってきて、とてもこのましく感じました。今はほとんど準備はできていないけれども、とにかく岡崎周辺に、そしてできれば美術館にも来てくれないかなあという熱意が伝わってきます。表紙には美術館の正面の図が印刷され、美術館の1階と3階の案内図、および美術館周辺の案内図も載っています。
 「さわるコレクション」は、1万点を越えるという所蔵作品の中からわずか3点ですが、浅井忠の油彩画「編みもの」、福田平八郎の日本画「竹」、河井寛次郎の陶芸作品「打薬扁壺(うちぐすりへんこ)」について、作品解説と触図があります。また、触図の手法がそれぞれ異なっていて、「編みもの」はバーコ印刷、「竹」は型押し技法、立体の「打薬扁壺」は正面・上・下・横の4方向から見た点図です。どんな触図がよいのか、あるいは作品の種類によってどんな触図法が適しているのか知りたいという実験的な意味合いがあるのかもしれません。
 「編みもの」は、椅子に座ってうつむき加減で編み物をしている女性が描かれ、背後にレースのカーテンがあります(このレースのカーテン、やや斜めの幾本物筋状の点線のような手触りで、解説文を読まずに触図だけを触った時、私は雨が降っているのかなと思ってしまいました)。全体に印刷が薄いようで、細かい所まで表現されてはいるようですが、触ってくっきりと分かるという感じではありません。でもよく触ってみると、ぐるぐると巻いた毛糸玉、そこから伸びる数本の毛糸、胸の辺にある細かい編み地の模様、頭の上に大きく髪を束ねてくくっているような感じなどが分かります。
 型押し技法の「竹」は、竹とたけのこが、面的にくっきりと浮き出していて、触ってとても分かりやすかったです。解説文をまったく読まずに触っても、「これが竹だ」とすぐ分かりました。節がいくつか重なり、画面上端を越えてずっと上まで伸びているだろうことが想像できます。たけのこも、触って実物のたけのこを想像できました。またこれは、かなり硬い厚紙に浮き出しで印刷されているので、ある程度力を入れて触ってもだいじょうぶそうで、とても安心して触れます。
 4方向からの点図で示された「打薬扁壺」は、時間をかけて、少し解説文も参考にしながら、立体全体の形をほぼ想像することができました。ちょっと変った形ですが、胴が太く、ずっしりと落ち着いた力強さのようなのを感じました(私は女性の大きなお腹、もしかすると胎児をやどしているかもしれない女性を想像したりしました)。ただ、この4方向からの点図で立体全体を想像するのはかなり難しいことのように思います。できれば、こういう点図とともに形を模した簡単なレプリカのようなのがあったほうが鑑賞にはよいように思います。
 この3点の触図の試み、評価はいろいろあると思いますが、とにかく意欲的な試みです。ぜひ今後このさわるコレクションを増していって、実際の鑑賞プログラムでも活用してほしいです。
今回の「てくてく、くんくん in 岡崎」、雨に降られてたいへんでしたが、帰りには「さわるコレクション」を頂いて少しですが所蔵作品にふれることができて、美術館とちょっと親しくなったような気がします。

(2018年5月30日)