〈触る〉と〈歩く〉

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*この原稿は、視覚障害者文化を育てる会の機関誌「SHOKU」第2号に掲載予定のものです。

 本題に入る前に、まず〈文化〉について一言述べさせていただきます。
 私はもちろん4しょく会の趣旨には賛成しているのですが、ただその正式名称が「〈視覚障害者文化〉を育てる会」となっていたことにはちょっと違和感を覚えました。趣旨を端的に表現する言葉がなかなか見つからなくて、やむを得ずこういう名前になったのかも知れませんが……。
 文化、とくにその両義的な性格・機能については、すでに創刊号で倉本智明さんが論じられていました。私なりに簡単に言うならば、文化には、一方ではその担い手のアイデンティティや社会的承認をもたらすといったいわばポジティブな面とともに、他方では、差異を際立たせることで、しばしば差別や排除・序列化の方向にも機能するといったネガティブな面もあるわけです。たしかに、見えない人たちの間には点字に代表されるようないわば〈固有文化〉と言いうるようなものはありますが、ただ〈「○○障害者文化」といった形の括り肩にはかなり危険なものを感じてしまいます。
 私は「視覚障害者文化」などとして見えない人たちのやり方・生き方を枠付けるというよりも、見えない人たちの立場から、多数派である見える人たちのやり方・生活の仕方にたいして明確なメッセージを伝えることができればと考えます。それは、一方ではもちろん見えない人たち自身を理解してもらい私たちにとって少しでも生きやすい社会を実現させるためでもありますが、他方では、見える人たち中心の社会、とくに視覚ないし視覚を必要とする技術に極端に依存した現代社会のあり方をえぐり出し、またよりユニバーサルな社会への方向性を指し示すことができればと思うからです。そしてそういう社会は、本来多様な可能性を持っているはずの生物としての人間により見合った社会なのではないでしょうか。
 前置きがだいぶ長くなりました。 私はほとんど視覚経験がありませんので、見えないあるいは見え難い人たちの中でも明かに少数派である視覚経験をほとんどあるいはまったく持たない人たち(いわゆる先天盲)の立場からのメッセージとして、今回は〈触る〉ことと〈歩く〉ことに注目してみたいと思います。(とは言っても、私はもちろん先天盲を代表するような例ではありませんし、おそらく特異なほうだと思いますので、代表性という点については割引いて考えてください。)

●触ること
 幼児は興味のおもむくままに何にでも目を向け、また触ろうとします。大人(特に母親)はそういう触ろうとする行動を「汚い!」とか「危ない!」とか言ってよく止めさせます。やがて子供は目による確認だけで満足し、積極的には触ろうとしなくなります。そして触ることにしばしば躊躇いのような気持ち、時にはタブーにも似た感情を持つようになるようです。
 一方私はといえば、相変わらずある意味で幼児のように触りまくろうとしています。私にとって手は外界を知るための〈目〉なのですから、知りたいという好奇心をすこしでも満たすために、なんとかして触ろうとするわけです。この場合、触ることは不十分ながらも見ることの代替をしていると言えます。できるだけ自由に触ることのできる環境、そしてそれを容認し時には援助してくれる周りの人たちの〈心〉を、私は強く望んでいます。
 しかしもしこれだけのことなら、触ることは見えない人たちだけの特殊な問題になりかねません。でも、けっしてそうではありません。
 まず第1に、見ただけでは分からない、触ってはじめて分かる性質があります。手触り感、温度や湿り気、重さや安定感、また物の内側や裏側など、見ただけでは分かりにくい細部も、触ってよく分かることがあります。さらに、触れること、互いに触れ合うことから得られる心地良さ、心の安らぎといった面もあります。
 第2に、いろいろな手作業・日常動作を考えてみればお分かりのように、視覚と触覚、目と手は、協応・協力して働いています。最近は手をあまり使わず、ほとんど目だけでできる作業も増えてきましたが、本来は目と手の使い方は互いに補い合うような形で発達して来たのではないでしょうか。見ただけである程度は手触りを予想できるようになりますし、また逆に、触っただけでも手頃な大きさの物ならその形を十分把握できます。以前は、高齢になってかなり目が見えなくなっても、器用に縫い物や編み物をしていたおばあさんたちがよくいましたし、また今でも触診は簡便な診察法としてとても有効です。
 触ること、触って知り感じるということは、見える・見えないといった違いを超えて、生物としての人間にとって大切なのです。

●歩くこと
 周知のように、二足歩行は人間の基本的な特徴の一つです。見えなくなるとその歩行が不自由になりますが、それはけっして機能的に歩けないからなのではなく、歩くのに必要な情報が十分に得られず、またしばしば死にもつながりかねないような危険が多いからです。
 今日、いろいろな設備や点字・音声の表示が整えられ、またとくに周りの人たちの理解も進んで、一般的には以前よりも安全に気軽に歩けるようになった、と言っていいでしょう。しかし、私のごく個人的な体験から言えば、かならずしもそうとばかりは言えない面もあるように思います。
 私は幼いころ、それはもう40数年前の田舎での話になりますが、杖も持たず近所をかなり自由に歩き回り、またしばしば子供たちといっしょに走り回っていました。そんなことができたのは、ごく狭い範囲で、身体が地面の様子や位置や距離関係などを覚え込んでしまっていたからだとも言えるでしょう。また地面がまったく補装されていなかったため、足裏から得られる情報がとても豊富で、道の端の草の生え具合、傾斜の急な変化や土の軟らかさの変化などを頼りに、溝などもうまく避けつつそれなりに安全に動けていたようです。
 このような事情はとくに私に限ったことではなかったようです。以前の見えない人たちの記録を読んでみると、門付けのぼさまとか流しの按摩とか、生きていくためにやむを得ずなのかも知れませんが、ひとりで(あるいはグループで)かなり広い範囲を歩き回っていたようで、厳しい状況の中でのその活動力には感心するばかりです。それが、戦後しばらくすると、いつの間にか見えない人が独りではなかなか街に出にくくなってしまいました。
 こういったことにはやはり、道の性格の変化、歩くための道から、車の走行に便利な道への変化が大きく関係しているように思います。車社会の到来とともに、道はしばしば歩行者にとってとても危険な場所になってしまいました。コンクリートなどによる舗装も、普通は歩行者にとっても快適なように思われますが、見えない人の場合は転んだり溝に落ちたりした時などかえって怪我をしやすくなりました。
 さらに、見える人たちは自分で車を運転したり自転車に乗ったりしてこの便利な道を利用しているわけですが、私にはそういったことはできません。少し遠くに出かけようと思うと、電車やバスを乗り継ぎ、最後は歩いて目的地に行きます。最近はたしかに市街地の中心部など車を閉め出して歩行者を優先した気軽に歩ける地区も増えてきましたが、しかし他方、図書館などの公共施設や大型の店舗などの中には車で行くのに便利な郊外に移転するものも多く、歩いて行こうとする者にはとても不便になりました。幹線道路沿いの歩道は未整備な所が多くとても歩き難かったり危険だったりしますし、また道を尋ねようとしても通りがかりの人がほとんどいなくて、しばしば立ち往生してしまいます。
 最近はようやく、環境問題、さらには日常茶飯とも言える交通事故問題などとの関わりで車社会のありようが問われたり、また健康などとの関連で歩くことの大切さにも注意が向けられるようになりました。
 もちろん車は便利です。一部の障害者にとってはなくてはならない物です。そうであればこそなおさら、人間に与えられた素晴しい機能である〈歩く〉ことと車による移動とが、少くとも対等に、安全に、高率よく共存できるような方向を探らなければなりません。近頃私はいろいろな感覚が鈍ってきたようで以前ほどスムーズにひとり歩きできなくなりましたが、それでも脚の動くかぎりとにかく歩き続けるつもりです。

 (2002年7月25日)