太地町立くじらの博物館見学

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 8月6日、学芸員のNさんの案内で、太地町立くじらの博物館を見学しました。
 8月4〜5日に、開催中の「《手が生み出す木彫の世界》 手で見る 小原二三夫 × 目で見る 緕R賀行」展のために清里に行き、その帰り、名古屋を経由して紀伊半島を大きく回るようにして太地に立ち寄りました。連日の猛暑続きで清里もけっこう暑かったですし(朝晩はとても過ごしやすかった)、清里から名古屋に向う途中では高温のためにレールがゆがんで安全点検が行われ、そのために特急列車が2時間以上も遅れ、特急指定券を払い戻してもらうという初めての経験もしました。
 名古屋からは朝8時発のJR紀勢本線特急南紀1号に乗り、12時前に紀伊勝浦駅に到着、そこから各停に乗り換えて3駅で太地へ(駅員に案内を依頼したのですが、太地駅は特急が停まる駅にもかかわらず無人駅で、新宮駅から派遣された職員が対応してくれました)。駅にはすでに学芸員のNさんが車で迎えに来てくれていて、早速博物館へ。博物館では、博物館実習の3人の学生とともに見学しました。
 太地の鯨漁については、ずっと以前に、タイトルは忘れましたが大背美流れ(明治11年末に太地の鯨方が死闘のすえに巨大な背美鯨を仕留めるが、太地の港に戻れずに遭難し100名以上が亡くなるという大惨事)をテーマとした小説を読んだことがあります。また、昨年には太地町立くじらの博物館が12種の鯨類の模型を常設展示し、さらに「さわってまなぶくじらの本」を製作、見えない人たちもふくめだれでも楽しめる博物館を目指していることを知り、なんとかして一度行ってみようと思っていました。
 太地の駅を出ると海の香がします(とは言っても、たぶん暑さのせいなのでしょう、ちょっと腐敗臭の混じったようなにおいです)。海はすぐ近くのようですが、まったく波音はしません。太地の中心部は入り組んだ湾の奥にあって、台風の時でも波はそんなに大きくないそうです(でも津波の時はすごいことになりそう!)。
 くじらの博物館は、多くの来館者でにぎわっていました。地方の博物館でこんなに来館者が多いのはめずらしいと思います(太地町は人口3000人弱、面積5平方キロメートル強の小さな町)。太地は紀伊半島の南、熊野灘にあるだろうことは知ってはいましたが、はっきりした位置は分かりません。地図で位置を確認し、どんな海岸線になっているのか確かめたかったですが、触って分かるような地図はありませんでした。(太地は、本州最南端・北緯33度26分の潮岬の北東約20kmくらいに位置しているようです)。
 早速触れる資料を用意してある部屋に案内されました。3人の博物館実習の学生たちと簡単に自己紹介した後、まず最初に、2種類の鯨の耳骨に触りました。ヒゲクジラ(たぶんイワシクジラ)の耳骨は、10cmくらいの大きなずっしりとしたかたまりのようなもので、片側が大きな卵のような形の耳骨で、中が空洞になっていることが分かります(もう1方の側は頭骨で、この頭骨がくっついているためにずっしりと重くなっているようです)。ハクジラ(ハナゴンドウ)の耳骨は3cm余とずっと小さく、これには頭骨はまったく付いていません(耳骨の大きさがこんなにも違うのは、体長がイワシクジラは10数m、ハナゴンドウは4mくらいと大きく異なっているためでしょう)。
 鯨の耳骨の特徴として、耳骨が頭骨からは分離していること(ただし、上の例のようにひげ鯨では耳骨の一部が頭骨に囲まれていてしっかり分離しているとは言えない。なお、他の哺乳類では耳骨は頭骨の中にある)、および耳骨の中央付近にS字状突起というちょっと湾曲した板のようなのがあることだそうです(S字状突起には実際に触りました。このS字状突起は鯨の仲間にだけ見られるそうです)。鯨の耳は、表面の穴はふさがっていて、水中を伝わる音を骨電動で聞いているそうです。そして、後でマダライルカの頭骨で確認しましたが、下顎の中がずうっと空洞になっていて、そこには音を通しやすい組織が入っているそうです。
 次に、ザトウクジラの模型に触りました。大きさは30cm弱くらい、実物は15〜18mくらいあるそうですから、70分の1くらいでしょうか。口の回りにぶつぶつした突起がたくさんあります。胸鰭が斜め下後方に長く伸びています。背鰭はとても小さくてちょっとした細長い隆起のような感じです。上顎から胸・お腹にかけての下面に何本も並行に溝のようなのが走っています。これは畝(あるいは鯨ベーコンとも)と呼ばれるもので、この部分をアコーディオンのように広げたり閉じたりすることで口をより大きく開けたり閉じたりできるようです。ザトウクジラはひげ鯨の仲間で、ひげ鯨にはこの畝があるようです。ちなみに座頭鯨という名前は、その形がむかし座頭と呼ばれた盲目の琵琶法師が弾いた琵琶に似ているからだとか。ザトウクジラは、繁殖期には沖縄や小笠原をふくめ亜熱帯海域に、夏の索餌期には南北の極近くの高緯度域まで回遊するそうです。
 カマイルカの模型に触りました。これは5cm強だったでしょうか、とても小さかったです。背鰭がすっと上に立っていますが、その後ろ側が大きく切れ込んでいて、その形や白っぽい色が鎌の刃に似ていることから鎌海豚と言われるそうです。カマイルカをふくめイルカの仲間は歯鯨です。ちなみに背鰭の大きさについてですが、泳ぐ速度がはやいハクジラ類は背鰭が大きく、ゆっくり遊泳するヒゲクジラ類は背鰭は小さいものが多いようです(速く泳ぐ場合は背鰭が大きいほうが安定する)。
 クロミンククジラの1枚のひげ板に触りました。長さ40cmくらいだったでしょうか、細長い三角形の湾曲した薄い板で、先にたくさんひげが付いています。乾燥してちょっと硬そうですが、実際はゼラチン質?でかなり軟かいそうです。次にイワシクジラのひげ板が30枚くらい集まったものにも触りました。実際は数百枚も集まったもので、これはその一部だということです。内側は密集した硬めのモップの毛のような感じ、外側は薄板がずらあっと並んでいる感じで、各板の間にはちょっと隙間があります。このひげ板は上顎にあり、口を大きく開けてオキアミなどの餌の入った海水を飲み込み、餌を密集したひげで濾して残った海水をひげ板の間から出します。
 その後、鯨が餌にしているいろいろな魚などを触りました。いずれもプラスティネーションという方法で作ったもので、実物の魚などの体内の水分を取り除いてプラスチックの樹脂に置換して固めたものだとのこと、本物そっくりの触感でした。長さ4cmくらいのオキアミ(小さなエビのような感じだった)をはじめ、スルメイカ、サバ、サンマ、ホッケ、ニシン、シシャモといったおなじみの魚たちです。サンマをはじめこれらの魚たち、ちょっと痩せて小さめのものが多かったように思います。ヒゲクジラ類はオキアミなど浮遊性の小さな甲殻類を中心に餌にし、ハクジラ類はイカ、サンマ、ニシンなど小型魚を中心に食べているようです。くじらの博物館で飼育している鯨類の中には1日に18kgの餌が必要なものもおり、また一番大きなシロナガスクジラは1日に4トンも食べるそうです。
 
 くじらの博物館の見学の前に、私はNさんにできれば鯨にも触ってみたいとお願いしておきました。午後1時15分からイルカショーがあり、そのイルカショーの後には実際にイルカに触れてみる体験もしているということで、そのイルカショーもみました。ショーは専用の塩水のプールで行われ、親子連れなど観客はかなり多かったです。水をはじくような音、ジャンプして着水する時の大きな撥ねるような音、いろいろな鳴き声?、それに回りの歓声などでかなりリアルに雰囲気が伝わってきます(情景も一緒の学生やNさんに解説してもらって、少しは想像できました)。プールにはカマイルカとバンドウイルカがいたようですが、実際に活躍していたのはカマイルカ、動きが敏捷で忠実に指示に従っているようです。
 とくに興味をひいたのは、イルカが出すいろいろな鳴き声?です。カタカタという連続した高速のクリック音(私は最初この音は子どもたちのおもちゃの出す音なのかと思ったほどです)、クィークィーという赤ちゃんのような鳴き声、ブワーという噴き出しているような音などです。これらの音は、頭の上にある鼻の空気の通り道から空気を出す時に出る音で、頭蓋やメロンと言われる脂肪層で大きくされ調整されているようです(イルカの喉には声帯はない)。そして、カタカタの高速のクリック音(たぶん1秒間に10回以上は鳴っている)は、その反響音をで物を探すなどのエコロケーション(echolocation)に使い、またクィークィーという音は、仲間に呼びかけコミュニケーションしているとか(これらの音には超音波も多く混じっているでしょう)。今まで話には聞いたことはありましたが、こうして実際にイルカの出す音を聞いてみるとすごいなあと実感しました。(エコロケーションは、歯鯨類に限られ、ひげ鯨類では見られないようです。ザトウクジラが出している音は、求愛のための音で、雄のザトウクジラしか出していないということです。)
 イルカショーの終わった後には、イルカとのふれあい体験。たくさんの子どもたちが並んでいて、私は最後にさせてもらいました。プールサイドにカマイルカが上がって来ていて、強い陽射しの下にいます。そっと体の側面に触れてみました。水で湿ってはいますがつるつるしてちょっと弾力のある感じ、鱗のようなのはまったくありません。指をそっと動かして背鰭のほうまで触ると、確かに後ろの縁は鎌とも言えなくもありません。体は全体に太いような感じで、径は30〜40cmくらいあるのでしょうか、頭部や尾のほうは触ってはいませんが、ずんぐりした体形を思い浮かべました。なにしろイルカは長い間陽射しの下にいるので、早く開放してあげなくてはと思い、触るのはそこそこで切り上げました。
 
 再び1階の触る資料の置いてある部屋に戻って、まずマッコウクジラの歯に触りました。マッコウクジラでは歯は下顎だけに20対くらいあるそうです。長さ18cmくらいで、先は円錐形で少し曲がっています。歯として表面に出ているのは先の3〜4cmほどで、その下は顎の中にあります。バンドウイルカの歯にも触りました。長さ4cm弱で円錐形、先の1cm強が表面に出ています(表面に出ている部分はほかよりつるつるしている)。鯨の歯は、どれもほぼ同じ形で、生え変わることもないそうです。また、歯は噛み砕くためではなく、餌を捕まえるためのものだとのことです。
 次にマダライルカの頭蓋骨に触りました。長さ40cmくらい、後ろのほうが太くなって径10cmほど。口が長く前に伸びていて、上下の顎には先が少しとがった小さな歯がずらあっと並んでいます。200本くらいあるとか。頭蓋骨のずっと後ろのほうに鼻の孔(噴気孔)が1つあります(ただし中で2つに別かれているそうです。噴気孔は歯鯨は1個、ひげ鯨は2個)。もともと鯨の鼻は前のほうにありましたが、水面上で呼吸するために次第に頭頂部に移ってきたとか。そして歯鯨では、触ってはよくは分かりませんでしたが、そのために頭骨が左右非対称になっているとか(ひげ鯨の場合は左右対称)。また、マダライルカの長い下顎の後ろのほうは内側が半分以上開いていて空洞になっており、そこには音を通しやすい組織が入っているそうです。
 
 これで触る資料の部屋での見学を終え、昨年ニュースにもなっていた1階の常設展示にある、12種の鯨の模型たちです。模型の大きさは実物の30分の1だとのこと、それぞれ体全体の模型と骨格だけの模型があって、そのセットが1種ずつ回転台の上に乗っていて、それを回しながら両方を触り比べられるようになっています。
 最初に触ったのがセミクジラ(ひげ鯨類)。長さ60cm近くもある大きなものです。触って目立つのが、口の回りなどにあるざらざらした盛り上がり。全体に体が太い感じで、とくに口が上にせりあがるような感じになっていて頭部が大きく、鼻の孔は2個あります。背鰭はなく、ひげ鯨にあるはずの畝もないようです(たぶん口そのものがとても大きいのでとくに畝は必要ないかも)。反対側にある骨格模型を触ってみると、肋骨や脊椎が目立ちます。肋骨は20本近く、脊椎は尾のほうの小さなものもふくめて50〜60個くらいはあったでしょうか。胸骨は宙に浮いた状態ですが、実際は軟骨で肋骨とつながっているそうです。前肢の骨に相当するのは胸鰭の骨になっていますが、後肢に当たるものはすぐには見当たりません。ただし、腰の下あたりにごく小さな横長の骨が離れた状態であって、これが後肢の痕跡だとか。
 模型の中ではセミクジラが一番大きくて、その他に、コククジラ、ホッキョククジラ、シャチ、イチョウハクジラ、コビレゴンドウ、オキゴンドウ、ハナゴンドウ、バンドウイルカ、マダライルカ、スジイルカ、カマイルカです。小さなものが多く、また最後のほうの7種はこの博物館で実際に飼育しているもののようです。これらの骨格模型にも、後肢のなごりという小さな骨が宙に浮いていました。(これらの模型について、音声による解説はあるとのことですが、点字による解説はなく、ちょっと残念でした。)
 
 その後、2階に行って、鯨の実物標本を中心に触りました。まず触ったのが、クロミンククジラの実物大の頭蓋骨の模型。長さは2m以上はあり、上のほうは高くて私は届きませんでした。下顎はつるうっとしていてなにもありません。上顎は私の背の高さくらいで、ちょうど屋根を思わせるように、一番高い中央から両側に斜め下に向って30〜40cmくらいのひげ板がずらあっと数百枚並んでいます。内側は毛の絨毯のような感じ、外側は蛇腹のような感じです。触ってすごい!と思いました。
 次に、ミンククジラの子どもの頭蓋骨。1m強はあったでしょうか。一番後ろの頸椎へ連なる所は穴になっていて、その斜め下前に耳骨(握り拳よりちょっと小いくらい)があります。そして、耳骨のやや下後方に、20cm弱の横長の扁平でブーメランのようにちょっと湾曲した骨がありました。これは舌骨だとのこと、この骨の両側には別の長さ10cm余の骨が斜外上方に向って連なっていて頭蓋と結ばれています(全体としては台形の形)。この舌骨は、鯨類や偶蹄類で食べ物を強く吸い込む力を出しているそうです。その他、オキゴンドウの頭蓋骨にも触りました。歯が20本くらいあったように思います。
 次は、5千万年前くらいに生息していたというパキケタスの骨格の復元模型。長い尾までふくめると、1.5?mくらいはあり、骨格標本でこれだけ大きいのですから、実物はかなり大きな、ちょっと怖そうな動物だったように思ってしまいます。鯨類の祖先首都考えられているそうですが、しっかりした長い脚が4本あります。指は、後ろ足は4本、前足は5本でした。また、ずらっと並んだ歯に触ってみましたが、前のほうの歯は丸っぽく、後ろのほうでは3角っぽくなっていました(鯨類ではすべての歯がほぼ同じ形)。全体の形はちょっと犬っぽいなあと思いました。この展示では、陸上をしっかり歩いているような姿で復元されていますが、最近リニューアルされた名古屋港水族館の展示では水底を歩く姿で復元しているそうです。パキケタスの化石は、パキスタン北部からインド西部にかけて発見されているとのことです。当時その辺には浅海のテテチス海が広がっていて、パキケタスはいわば水陸両用で生活していたのでしょう。
 復元模型では確認できませんでしたが、パキケタスには、他の鯨類と同様、耳骨にS字状突起があるそうです。いっぽう、牛など偶蹄類と同様に、後肢の足首の距骨には二重滑車構造(後肢の足首の動きを前後方向だけにしている)が見られるそうです。つまり、現在の鯨類と偶蹄類の特徴をともに持ち合わせているということです。そのようなこともあってでしょう(もちろん最近の遺伝子レベルの研究の成果も踏まえて)、最近は鯨偶蹄目という分類が提案され、両方の祖先として現在のカバに似た動物が考えられているようです。
 
 その後、3階に行って、古式捕鯨の展示を見学しました。鯨の骨は縄文時代などの遺跡からも見つかっていて、鯨肉は古くから食べられていたようです。沿岸に近付いてゆっくり泳ぎ、また死後も海上に浮かんでいるような鯨(セミクジラなど)は捕えやすかったようです(11世紀からバスク人がビスケー湾でセミクジラを中心に海岸捕鯨をしていたそうです)。太地では1675年に和田頼治(よりはる)が網取式捕鯨法という組織的な漁法を考案し、それが間もなく西日本各地に広がりました。
網取式捕鯨法では、海岸の丘の上に山見と呼ばれる見張りが置かれていて、望遠鏡などで鯨を発見すると、その種類や方向を旗やのろしで知らせて、多数のいろいろな役割の船が出港します。親船の指示のもと、まず双海(そうかい)船と呼ばれる網船が鯨の行く手に切れやすい藁縄でつないだ網を何重にも仕掛けます。そして何隻もの勢子(せこ)船が鯨を網に追い立てます。網は切れやすくなっているので、鯨の頭や胸鰭など各部に絡み付き動きが鈍くなります。それから、勢子船から銛を何本も投げて鯨を弱らせ、羽指(はざし。羽刺とも)と呼ばれる男が刺さった銛や網を手がかりに鯨によじ登って、両の鼻の穴の間を手形庖丁で切って穴を開け、綱を通します。その綱を、2隻の持双船(もっそうぶね。持左右船とも)という引船の間に渡した松材の太い棒につなぎ、鯨の両側の持双船とともに勢子船も加わって岸まで引っ張って行きます。そして浜で解体が行われます。この一連の作業は、数百人の人々の分担作業です。
 まず最初に触ったのが、大きな手投げの銛。長さ3mくらいはあったでしょうか、直径3cm余の堅い木の棒の先に、1m弱ほどの鉄製の銛が付いています。先はとがり、その両側はV字型の15cmくらいのカエシになっています(カエシは、いったん刺さった銛が抜けないようにするためのもの。銛先の全体の形は鏃の形に似ている)。この手投げ銛を実際に持ち上げてみましたが、10数kgはあるのでしょう、とても重くて、これを揺れる船上から鯨めがけて投げるのですから、その体力と技術はすごいと思いました。この銛には長いロープが付いていて、銛が鯨に刺さると鯨はロープで船につながれた状態になります。なお、鯨を網に追い込んで間もなくは、早銛と言って、もっと細くて軽い銛を遠くから投げて鯨に少しずつダメージを与え、鯨が弱りまた鯨に船がより近付いてから、このような大きな銛を使ったそうです。
 次は、アメリカ式の捕鯨銃のようなもの。上向きに展示されていて先までは届きませんでしたが、2m以上はあります。手投げ銛と捕鯨銃が一緒になったようなもので、銛が鯨の体に当たると、連動して引き金のような棒が動いて火薬入りの銛が発射され、鯨の体の中で火薬が爆発して致命傷を与えるということです。
 最後はノルウェー製の捕鯨砲。これを触った時、これって本当に銛なの?と思いました。先はとがっていなくて、直径9cmの円い面で、それを上面とする1mくらいの円筒形の回りに数個カエシの役割をする細い棒のようなのが付いています(円筒の中には火薬が入っている)。実はこの銛、平頭銛と言って、平田森三(1906〜1966年)という日本の実験物理学者が発明したそうです。先のとがった銛を遠くから高速で浅い角度で打つと、海面や鯨の体に当たった時に摩擦が少ないために滑るようにして跳ね上がることがしばしばあるようです(ちょうど、川に向って小石を投げて遊ぶ水切りと同じなのかも)。そこで、銛の先を平面にして実験すると、摩擦が大きくなって、跳ね上がることなくしっかり刺さるようになったそうです。このどでかい平頭銛が鯨に食い込むと、火薬が爆発して円筒の回りの何本もの細い棒がぎゅっと開き、上手い砲手はほぼ1発で目当ての鯨を仕留めたそうです。(火薬が爆発すると鯨の肉が大きく損傷されるため、1発で仕留める砲手が重用され、太地の人たちも名砲手として南氷洋などでも活躍したそうです。)
 
 その後、倉庫?のような所に入り込んで、水押(みよし)という、勢子船の船首部分の部材に触りました。長さ2m以上(端のほうはぼろぼろになって欠けている)、幅30cm以上ある大きな板です。表面には絵が描かれていて、その一部は触って少し分かりました!手前には太地鯨組の紋章(井菱に似たような形)、奥には竹と筍の模様が描かれています。漆を厚く塗りその上にしっかり描いているようで、竹の葉や筍は触って少し分かりました。裏面にも何かはよく分かりませんが、模様が描かれていました。また別の板には、檜扇が描かれているそうです。鯨漁には、10隻以上の勢子船をはじめ20隻前後の船が加わっているので、海上で互いに見分けるために1隻ごとに異なった絵柄が描かれたようです。また、その絵柄には、海上での安全や大漁、さらに自分たちの職業にたいする誇りのようなものも反映していたのかもしれません。
 太地の人たちの鯨漁にたいする矜持を思わせるものに、名字があります。一般庶民に名字が許されたのは明治になってからですが、太地の人たちには、鯨漁に関連した名前が多いということです。太地で多いのは漁野(りょうの)さんや海野(かいの)さんで、この人たちは勢子船など船を漕ぐ役だとか。また脊古(せこ)・背古(せこ)さんは勢子船の乗組員とくに羽刺の役、網野(あみの)さんは網船あるいは網をあつかっていた人、遠見(とおみ)さんは望遠鏡などで鯨の見張りをしていた人、汐見(しおみ)さんは漁場の潮を見る人、筋師(すじし)さんは鯨の筋を加工して弓の弦などにした人、由谷(ゆたに。油谷とも)さんは鯨の皮脂から鯨油を採った人、梶(かじ。鍛冶とも)さんは銛などをつくる鍛冶職人、割木(わりき)さんは木で船をつくる人などです。19世紀後半には、遠洋でのアメリカ船などによる捕鯨で沿岸までやってくる鯨が減ったことや1878年の大背美流れなどで太地の古式捕鯨は廃れますが、20世紀に入ると捕鯨の技術に長けていた太地の人たちは近代捕鯨でも活躍するようになります。
 
 今回の見学では、鯨の生態から捕鯨の方法や歴史まで、資料に触りながら広く知ることができました。とくに、あの大きな平頭銛や、勢子船の船首に描かれていた絵に触れられたことには感動しました。また、若い博物館実習の学生3人も一緒に過ごせたのもよかったです。駅までの送迎もふくめ半日も対応していただいたNさん、本当にありがとうございました。
 
(2018年8月17日)