プラド美術館展

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 兵庫県立美術館で開催中の「プラド美術館展」を、9月1日に30分ほど、9月16日には数人で1時間ほど、学芸員のHさんの案内で見学させてもらいました。ベラスケスをはじめ、これまで私にとってはほとんどなじみのなかった16、17世紀の多くの絵が展示されているということで、行ってみました。絵は全部で70点近くあったでしょうか、その中で10数点について説明してもらいました。言葉による説明だけで、例えば立体コピー図などなにも触っての手がかりがない状態での見学でしたので、どうしてもはっきりしたイメージは持ちにくいのですが、絵の内容、さらには時代背景などもふくめて、なかなか面白かったです。
 今回の主役はベラスケスだということですが、出展されているのは7点だけ。これについては、ベラスケスが生涯で描いたのは120点くらいで少なく(宮廷画家としてばかりでなく、フェリペ4世の信頼があつく、宮廷役人として多くの仕事をして忙しかったようです)、その中でプラド美術館が所蔵しているのは50点ほど、その中から1度に7点も貸し出すのは初めてのことだとか。なお、プラド美術館は、1819年に設けられた王立の美術館(現在は国立)で、スペイン王家が収集した1万数千点の作品を所蔵、スペインの作品ばかりでなく、スペイン王家の支配下にあったフランドルや南イタリア地方の作品も多数所蔵しているのが特徴。今回の展覧会でも、ティツィアーノやルーベンス、ブリューゲルなどの作品もありました。
以下に、私の記憶に残っていることを中心に書いてみます。記述に当たっては、プラド美術館 ベラスケスと絵画の栄光など、多くを参考にしました。
 
第1章 芸術
●ディエゴ・ベラスケス「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」(1635年ころ)
 会場に入ってすぐ出会ったのが、この縦1m余のやや縦長の作品。黒い立派な服を着た男が、右手に箆を持ち、左手で粘土(水粘土のようなもの)の像を支え、鑑賞者の側に視線を向けているようです。製作途中で、頭部だけの粘土像が線描で粗く描かれているようです。長い顔や髭などの様子から、この像はフェリペ4世だとか。この像を作っているのは、セビリア(スペイン南西部、アンダルシア地方の古都)で活躍していた彫刻家モンタニェース(1568〜1649年)。宮廷画家が制作中の彫刻家の肖像を描いているわけで、彫刻家も画家と同じく立派な芸術家なんだということを表わしているのかも知れません(当時は画家や彫刻家の地位は低かった)。モンタニェースはベラスケスよりも30歳くらい年長で、ベラスケスの師であるフランシス・パチェーコとも親交があったとかで、ベラスケスはたぶん彼に尊敬の念を持っていたのでしょう。ちなみに、この粘土像は、ブロンズによるフェリペ4世騎馬像を制作する際の参考にされて、そのブロンズ像が実際にマドリードの広場に堂々と立っているそうです。
 [ベラスケス(Velazquez, Diego):1599〜1660年。17世紀スペイン絵画の巨匠。セビリアに生まれ、11歳頃に当地の有力な画家フランシスコ・パチェーコに弟子入り。6年後に独立して職業画家になる。1623年、2度目のマドリード訪問で、同郷の宰相オリバレス伯公爵の助力もあって、フェリペ4世(在位1621〜65)の肖像を描いて気に入られ、首席宮廷画家に登庸され、また王の強い信頼を得て、宮廷役人としても重用される(当時職人のようにみなされていた画家の地位を高めたと言える)。28年にはルーベンスと出会い、強い影響を受ける。マネはベラスケスを「画家の中の画家」と呼んだ。]
 
●ジュゼッペ・デ・リベーラ「触覚」(1632年)
 1m以上あるやや縦長の作品。年老いて盲目と思われるちょっとみすぼらしそうな人が、頭だけの彫像(石膏像?)を手でなでている。この人についてはトスカーナ地方ガンバッシに生まれ、28歳で視覚を失いながら、彫刻家として大成したジョヴァンニ・ゴメッリがモデルになっているとも言われるが、定かではないとのこと。額や手の甲のしわや髪などよく描かれていて、どこか哲学者風にも見えるとか。彼の額と指先にスポットライトが当たっていて、指先でとらえられた触覚印象と頭の中のイメージとが結び付けられているのかもと思ったり。リベーラには五感を寓意的に表現した連作があり、これは触覚の寓意の作品だとのこと。また、画面左にはテーブルがあって、その上には盲目の彫刻家が触っている像と同じ絵が置かれている。触覚と視覚の関係が暗示され、さらに触覚による彫刻と視覚による絵画が比べられているのかも知れない。なかなか面白い作品だと思いました。
 [リベーラ(Ribera, Jusepe de):1591〜1652年。バレンシア地方に生まれる。若くしてイタリアに渡り、カラバッジョ等の作品に学ぶ。1616年以後スペインの副王領ナポリ(ナポリは16世紀初めから18世紀初めまでスペインのハプスブルク家の領地)に定住、副王の宮廷画家として活躍、作品はスペインに送られた。]
 
●フランシスコ・デ・スルバラン「磔刑のキリストと画家」 1650年ころ
 縦130cmほどの、やや縦長の絵。暗がりの中、画面左に十字架にかけられたキリスト(奥にはゴルゴダの丘が見える)、右に年取った男の画家(パレットを持っている)がキリストを見上げるようにして祈っている。画家については、聖マリアを描いたりして画家と考えられている聖ルカだとする解釈もあるが、画家・スルバラン自身だとも考えられているとのこと。いずれにしても、十字架上のキリストを画家が描いているというのは、なかなか面白いテーマだと思いました。キリストの身体は、彫刻的に生々しく描かれているそうです。
 [スルバラン(Zurbaran, Francisco de):1598〜1664年。16歳でセビリアに出て絵を学び、1629年にセビリア市の画家に任命された。1638年フェリペ4世の宮廷画家となったが、生涯の大部分をセビリアで過ごした。聖職者の生活などを描いた宗教画が多いようだ。その作風から「スペインのカラバッジオ」とも呼ばれた。代表作『祈る修道士』,『トマス・アクィナスの栄光』 (31,セビリア美術館) ,『聖ボナベントゥラの遺体安置』 (1629,ルーブル美術館) など。
 
●ホセ・ガルシア・イダルゴ(Garcia Hidalgo, Jose)「無原罪の聖母を描く父なる神」 1690年ころ
 縦2mほどある大きな作品。パレットを左手に持った画家(父なる神)が聖母マリアを描いているそうです(こういう発想はすごい!)。キャンバス上に聖母マリアが描かれています。マリアは青い服を着て、12の星に囲まれて三日月に乗って降りてきているところのようです。このキャンバスを天使たちが持ち、画面右下には槍を持つ天使ミカエル?、左側には百合の花を持つ天使ガブリエル?が描かれているようです。その他にもサインや文字が見えているようです。神に画家を重ね合わせるとは、画家の地位を上げたい、画家にはそれだけの力があるのだという気持ちは分かりますが、かなり挑戦的と言るように思います。
 
●エル・グレコ「聖顔」 1580年ころ
 この作品の英語の題名は「The Veil of Saint Veronica」で、「聖ヴェロニカのベール」。ヴェロニカは1世紀の伝説上の聖女で、十字架を背負ってゴルゴタの丘へと登るイエスの顔に流れる血と汗をヴェロニカが自分のヴェールで拭ったところ、その布にイエスの顔が転写されて現れたという伝承があり、中世以降この奇蹟をテーマにした絵がしばしば描かれているようです。この絵でも、なにか模様のある布の上に、かなりはっきりとキリストの顔が映っているとのこと。当時は、画家の権威を高めようとしばしば自画像が描かれたそうですが、このイエスの聖顔布も、イエスの自画像というとらえ方で絵画として描かれたのでは、ということでした。
 [エル・グレコ(El Greco): 1541〜1614年。本名はドメニコス・テオトコプーロス(Domenikos Theotokopoulos)。クレタ島のカンディアに生まれたので、エル・グレコ(ギリシア人の意)と通称されている。クレタ島は当時ベネチア共和国の支配下で、20代でベネチアに渡り、その後ローマに行き、ティツィアーノをはじめイタリアの多くのアーティストの影響を受けたようだ。1577年ころからスペインのトレドに定住、対抗宗教改革期の代表的な宗教画家となった。]
 
●アロンソ・カーノ「聖ベルナルドゥスと聖母」(1657〜60年)
 幅が3m近くもある、やや横長の大きな作品。幼子イエスを抱いた聖母マリアの彫刻(木彫?)の胸元から、母乳がピューと飛び出して、跪いて祈っている修道士(聖ヴェルナルドゥス)の口に注がれているという、私にはちょっとショッキングな画。聖母マリアが胸をはだけ乳を出しているとは、なんとも慈悲深いとは言え、びっくり。これは、12世紀にフランスで起こった奇蹟を題材にしたもの。ヴェルナルドゥス(1091〜1153年)は、シトー会の修道院長になった神学者で、愛と謙遜を通じて神との一致を説く神秘主義の立場を取ったらしい。ヴェルナルドゥスがある日、聖堂で聖母マリアの彫像を前に「あなたの母たることをお示しください」と祈っていると、彫像が動いて乳を聖人の唇に滴らせたという言い伝えがあり、この神秘の授乳の場面は、17世紀の対抗宗教改革期のスペインで復活し、しばしば作品に取り入れられたらしい。
 [カーノ(Cano, Alonso):1601〜1667年。スペインの画家・彫刻家・建築家。絵をベラスケスとともにF.パチェコに、彫刻をJ.モンタニェス(Juan Martinez Montanez: 1568‐1649)に、建築を父ミゲルに学ぶ。]
 
第2章 知識
●ヤン・ブリューゲル(父)「視覚と嗅覚」(1620年ころ)
 横幅3m近くある大作。宮殿の豪華な室内なのでしょうか、多くの花々や画中画が描かれているようです。望遠鏡や地球儀なども見えているとか。その中で、座って鏡を覗き込んでいる赤い服を着た女性が視覚を、立って花を持ち匂いを嗅いでいる青い?服を着た女性が嗅覚を表しているそうです。そしてこの作品は、女性の五感を表した対作の1枚だということです(もう1枚は、「聴覚、触覚と味覚」)。なお、この絵は、ヤン・ブリューゲルが監督をして、工房の職人(画家)たちと一緒に描いたもので、このような合作は当時はふつうに行われていた。
 [ヤン・ブリューゲル(Jan Bruegel d. Ae.): 1568〜1625年。ペーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel d. Al.: 1528ころ〜1569年(大ブリューゲルと呼ばれる)の次男。ブリュッセルに生まれ、早くに父を失い、青年期にイタリアに旅し、1597年にはアントウェルペン(アントワープ)の画家組合に登録され、1602年には組合長になった。その後ルーベンスと親交を結び、協力して合作も描いている。とくに花の描写にすぐれ、「花のブリューゲル」と呼ばれる。なお、子供のヤン2世(1601〜78年)も画家。]
 
●ディエゴ・ベラスケス「メニッポス」 1638年ころ
  髭を生やした老人がみすぼらしい外套?を羽織って、こちらに背を向けて立って今にも立ち去ろうかというようにこちらを振り返っている。老人の足元には本や壺が置かれている。この男は、古代ギリシアのキュニコス派(犬儒学派)の哲学者メニッポス。キュニコス派の人たちは、社会の通念にとらわれず、衣1枚と杖1本で犬のように町をさまよい歩いていたとか。メニッポスは、シリアのガダラ出身の奴隷で、その後金貸しとして財をなすものの、それを失い、自ら命を絶ったと伝えられる。ベラスケスは古代の哲学者を理想化せず、当時のスペインの市井の貧しい1老人のように描いている。
 
 この章には、その他に、ルーベンスの「泣く哲学者ヘラクレイトス」、リベーラの「ヘラクレイトス」、アントニオ・デ・ペレーダの「聖ヒエロニムス」、スルバランのヘラクレス、作者はよく覚えていませんが、アルキメデスやデモクリトスなど古代の有名な人物像がかなりあるようです。
 リベーラの「ヘラクレイトス」では、身形のいい初老の男性が両目から涙を流している?(ヘラクレイトスは泣く哲学者と呼ばれる)そうです。右手に羽ペンのようなのを持ち、左手にはインクが付いているようです。両手ともとてもきれいで、貴族出身だったことを思わせます(ヘラクレイトスは、全6世紀後半から5世紀初めの人で、イオニア地方のエフェソスの王家の生まれ)。
 ペレーダ(Antonio de Pereda: 1608ころ〜78年)の「聖ヒエロニムス」(1643年)では、最後の審判のラッパの音を聴く老人(聖ヒエロニムス)が描かれており、また、最後の審判の絵が描かれた本が開かれ、さらに、墨壺、骸骨や木の十字架まで描かれているそうです。
 
第3章 神話
●ティツィアーノ「音楽にくつろぐヴィーナス」 1550年ころ
 幅2メートル半くらいはある横長の大きな作品。英語の標題は「Venus and organist and little dog」。中央に、実物大に近い大きさで裸婦(ヴィーナス)が横たわっています。ふっくらした感じの白い肌で、大きな真珠を着け、ベッドの布やサテン?のようなカーテンなども細かく色彩ゆたかに描かれているようです。向って左には、小さなパイプオルガン(装飾も施されている)のオルガニストがエロチックな視線を裸婦(の下腹部?)に向けています。裸婦は手で犬を触りじゃれているようです。さらにこの部屋の大きな窓の向こうには庭園?が広がっていて、道や花々、歩いている男女、犬、孔雀?なども見えているようです。
 [ティツィアーノ(Tiziano Vecellio): 1488ころ〜1576年。イタリア盛期ルネサンスのベネチア派の巨匠。色彩の魔術師と言われ、宗教画ばかりでなく肖像画にもすぐれ、イタリアだけでなく、スペイン王カルロス1世とフェリペ2世の親子をはじめヨーロッパ各地の王侯貴族から多くの注文を受け、庇護された。]
 
 この時代、スペインは宗教改革にたいして国教であるカトリックを守るために異端者を探し出して弾圧し、一方ではカトリックの信仰心を掻き立てるような絵も好まれ集められます。そんななか、もちろん裸婦像は教会から強く禁止されていますが、王侯貴族の中には、裸婦像を秘蔵し、特別の部屋でごく少数の人たちで見ていたようです。どこでも人間は変わりませんね。裸婦像はもう2、3点あり、次のルーベンスの作品も裸婦像です。
●ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤーコプ・ヨルダーンス 「アンドロメダを救うペルセウス」 1639〜41年ころ
 これも、幅2メートル半もある大きな絵。アンドロメダは、星座にもなっているギリシア神話の女性。岩に鎖で括りつけられた裸体のアンドロメダと、その鎖を解いている黒い甲冑に赤いマントを着けたペルセウスが描かれています。アンドロメダは(鎖に繋がれているのに)肉感的で血色もよく、健康そうに見えるようです。ペルセウスの奥には、ペルセウスが乗るペガサスも描かれています。左下には、見る者を石に変えるというメドゥーサが描かれています。
 [ルーベンス(Rubens, Peter Paul): 1577〜1640年。フランドルの画家で、17世紀バロック絵画の代表者。1598年アントウェルペンの画家組合員、1600年から8年間イタリアに留学、ベネチア・ローマに滞在し、ティントレット、レオナルド・ダ・ビンチ、M.カラバッジオなどの作品を研究。1609年ブリュッセルのアルベルト大公とイサベラ大公妃の宮廷画家となる。1622〜25年、リュクサンブール宮の大広間に21面の大壁画の連作『マリー・ド・メディシスの生涯』を制作。歴史画・宗教画・風景画などあらゆるジャンルの絵を描き、作品は2千点をこえるという。]
 [アンドロメダ:エチオピアの王ケフェウスとカッシオペイアの娘。母カッシオペイアがアンドロメダをネレイスたちよりも美しいと自慢したため、ネレイスらの父ポセイドンは怒って怪物をエチオピアに送った。困惑したケフェウスがアンモンの神託に問うと、アンドロメダを海神に捧げれば国は助かると告げられた。彼女が海辺の岩に鎖で縛り付けられたとき、英雄ペルセウスが上陸して怪物を殺し、アンドロメダを救って彼女を妻とした。しかし、かねてより彼女と婚約していた彼女の叔父フィネウスはこれを大いに怒り、2人を襲ったが、ペルセウスはメドゥサの首を見せて彼を石に変えた。そののちアンドロメダはペルセウスとともにギリシアで暮らし、死後はペルセウス、ケフェウス、カッシオペイアとともに星座となった。]
 
●ディエゴ・ベラスケス 「マルス」 1638年ころ
 マルスは、ローマの軍神。ですが、描かれているのは、頭に兜は被っているものの足元に武具を脱ぎ捨て疲れたような感じの半裸の男の人です。兜から軍神を想像できなくもないですが、戦争に敗れて帰ってきたふつうの、頬杖をついて口髭をはやした疲れ切った戦士を描いているようです。当時スペインは軍事的に弱体化し疲弊していて、画家のベラスケスもフェリペ4世も戦争に飽き平和を求めていたのかもしれません。
 
●「巨大な男性頭部」
 この作品の作家はビセンテ・カルドゥーチョに帰属となっていて、実際にだれが描いたのかは分かっていないとのこと。2メートル四方以上もある大きなキャンバスいっぱいに、巨大な男の頭だけが描かれていて、圧倒されるようです。こんなに大きい頭部の絵ですが、だれをモデルにしたのかも分かっていないそうです(一緒に見学していた人の中には、チェッ・ゲバラを連想するという人もいました)。この絵は、王妃の寝室の近くに置かれていて、そのことから王妃を守るという意味合いがあったのかもしれないとのことです。
 
第4章 宮廷
●ディエゴ・ベラスケス 「狩猟服姿のフェリペ 4世」 1632〜1634年
 縦2m近くある縦長の絵。右手に長い銃を持ち、横に猟犬を従えて、戸外で立っているフェリペ4世が描かれています。でも、王と言っても、着ている服は質素で、鍵裂きの跡のようなのも見えるとか。当時スペインは財政難で、王家と言えども質素倹約がもとめられていて、ベラスケスはフェリペ4世の現実の姿をできるだけリアルに描きつつ王としての威厳をももたせようと苦労したようです。ハプスブルク家に特徴的な長くてしゃくれた顎もはっきり見て取れるようです。数箇所に肉眼でもはっきりと描き直した跡が見えるようです(例えば銃は初めはもっと長く、また脚はもっと曲げて描かれていたようだ)。なお、ハプスブルク家では狩猟は平和の時代にあって疑似的な戦いととらえられ、狩猟の腕前は軍事的資質、ひいては政治的手腕をも表していると考えられていたとか。
 [フェリペ4世: 1605〜1665年、在位 1621〜65年。政治のことは宰相オリバレスにまかせ、王自身は乗馬、狩猟を楽しみ、美術や文学を保護し、膨大な美術コレクションを残した。政治面では、国内ではポルトガルの独立とカタルーニャの反乱、対外的にはヨーロッパでの主導的な地位は失ったが、芸術・文化面では、前代からの黄金時代を保つことができたと言える。]
 
●アントニオ・デ・ペレーダ「ジェノヴァ救援」 1634〜35年
 横幅4m近く、縦3m近くある大きな絵です。とにかくすごい!という印象のようです。この絵は、ブエン・レティーロ離宮の「諸王国の間」のために描かれた12点からなるスペイン軍の戦勝画の1点で、1625年にサンタ・クルス侯爵率いるスペイン軍が同盟国ジェノヴァをフランス・サヴォイ連合軍から解放した場面だそうです。港には大きな軍船が見え、堂々と威厳のあるサンタ・クルス侯爵の一行をジェノヴァの総督が城門で迎え、また歓迎する?無数とも言える人々が細かく描かれているようです。当時すでに国力の衰えてきたスペインの栄光を思い出させるような作品のようです。
 
●ディエゴ・ベラスケス「バリェーカスの少年」 1635〜45年ころ
 これは、スペインで「えなーの」と呼ばれる矮人(低身長の人)の肖像画だそうです。このベラスケスの作品とともに、エナーノを描いたアロソン・サンチェス・コエーリョ「王女イザベル・クララ・エウヘニアとマグダレーナ・ルイス」とファン・パン・デル・アメン「矮人の肖像」の2点が並んで展示されています。この2点では見てすぐ低身長で頭が大きいことが分かりますが、ベラスケスの絵では一見したところ少年をごく自然に描いていて、あまりエナーノの特徴は目立たないようです。少年は、高い岩?の上に座り(画面奥には山岳が見えているようだ)、こちらから見上げる感じになっているそうです。少年には上から太陽の光が当たり、濃い緑のマント?(この色は当時宮廷で使えていた道化やエナーノが着ていた服の色)を着け、手にはカードか本のようなのを持っています。頭は少し大きいようですが、顔は自然に活き活きと描かれているようです。この少年は、この後に出てくる王太子バルタサール・カルロスに仕えていたフランシスコ・レスカーノという人だとのこと。
 ここで、中野 京子『怖い絵 2』(朝日出版社 2008年)より、エナーノに関する部分を紹介します。フェリペ4世が戴冠したころ宮廷には数百人の奴隷がおり、その中には重労働を担う一般の奴隷の他に、「慰み者」と呼ばれる人たちがいました。慰み者は、矮人、超肥満体、巨人、異形の者、阿呆、おどけ、黒人、混血児などで、その数はベラスケスが宮廷にいた40年間の間だけでも50人を超えたということです。慰み者は、王侯貴族の「装飾」ないしは「ステイタス・シンボル」、「富の誇示」として「飼われて」おり、現代人にとってのペットの珍種のようなものだったのでしょう。ベラスケスの絵には慰み者がしばしば登場していて、彼の代表作「ラス・メニーナス」(1656年。フェリペ4世の宮廷おけるベラスケスのアトリエを描いた絵で、マリガリータ王女を中心に、画家本人を含む9人の人物と、鏡に写った国王夫妻が描かれている)には2人の慰み者が描かれています。また、「道化師セバスティアン・デ・モーラ」(1646年)について中野さんは、「こぶしを握りしめ、短い足を人形のようにポンと投げ出して座るこの慰み者は、明らかに「何者か」であって、道化という言葉から連想するユーモラスなところは微塵もない。彼は、自分が他の人々に優越感を与えるために飼われていることを知っており、知的な眼に抑制した怒りのエネルギーをたたえ、あたかも目に見えない何かに挑むかのように、真っ直ぐこちらを睨みつけてくる。と解説しています(上の「バリェーカスの少年」とはだいぶ違いますね)。ベラスケスはエナーノの特殊な境遇に共感して描いているのかもしれません。
 
第5章 風景
●ディエゴ・ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」 1635年ころ
 縦2mはある絵で、金色の額に入っているとのこと。バルタサール・カルロスは、1629年、フェリペ4世と王妃イサベル・デ・ボルボン(フランス王アンリ4世の王女。1644年に亡くなる)との間に生まれます(2人の間には子供が8人も生まれましたが、育ったのはこのバルタサール・カルロスと、後にルイ14世の妃となったマリア・テレサのみ)。彼は、王位後継者として、国中の期待と未来を背負って育てられたとのこと、この絵からはそのような期待と未来がうかがえるようです。後脚で立ち前脚を高く上げて飛び上がらんとする馬上に、指揮棒を掲げ、胸当て?を着け、緋色の帯をなびかせている凛々しい姿で描かれているそうです。また、背景には緑の丘陵のような風景(マドリード郊外のグアダラマ山脈)が描かれているとのこと(緑にはラピスが使われている)。この絵は、前述の「諸王国の間」で国王と王妃の両騎馬像の間の扉の上方に飾られていて、馬のお腹が丸く大きく描かれているのは、鑑賞者が低い所から見上げることを考慮したためらしいとのこと。このように未来を託されていたバルタサール・カルロスですが、1646年、16歳で急死してしまいます。なお、1661年、2番目の妃マリアナ(フェリペ4世の妹の子供)との間にカルロス2世が生まれますが、心身に異常があったようで、結婚はしますが子供はできず、1700年にスペイン・ハプスブルク家は断絶します。
 この章には、クロード・ロラン「聖セラピアの埋葬のある風景」(古代のいろいろな遺跡が散りばめられた理想郷のような風景の中に、小さく埋葬される人物が描かれている。ローマのコロッセオ、ピラミッドなどが見える)などもありました。
 
第6章 静物
●ヤン・ブリューゲル(父)「花卉」
 この作品の英名は「Vase of Flowers」、こちらのほうが意味が分かりやすいですね。暗い背景に、花瓶にあふれんばかりの花々が明るく見えています。白・赤・ピンク・黄・青?など、色とりどりの花が、やわらかく質感たっぷりに表現されていて、まるで花の香りがにおい立っているように感じるとか。さすが「花のブリューゲル」ですね。でもよくみると、萎れた花や花瓶の外に散り落ちている花もあるし、花の中には小さいトンボのようなのやテントウムシ?のようなものも見えるとか。細部にわたってよく観察し精細に描いているようです。
 この章には、パウル・デ・フォス「犬と肉の寓話」(肉をくわえて橋を渡っていた犬が、水面に映った自分の姿を別の犬が肉をくわえていると思って、その肉まで欲張って取ろうとして口を開けたら肉が川に落ちてしまったというイソップの寓話をテーマにしたもの。犬のアッ!というような表情がなんとも面白いようです)などがありました。
 
第7章 宗教
●ファン・バウティスタ・マイーノ「精霊降臨」 1615〜20年
 縦3m以上あるやや縦長の大きな作品。全体にとてもきれいな絵のようです。イエスの復活から50日め(ペンテコステ)に起こったとされる精霊降臨を表した絵。画面上には羽を広げた白い鳩(精霊を表わしている)が見えます。画面下には使徒等多くの人がいて、空から赤い炎のようなのがいくつにも分かれて降ってきます。この炎のような舌?が下にいる各人の口の中に入って、彼らは様々な言葉を語ることができるようになり、世界各地に布教に出る、ということになります。
 
●バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」 1650年ころ
 幅2m近くある横長の絵。つつましく、あたたかな家族の雰囲気がよく伝わってくるようです。幼子イエスが小鳥(ひわ?)を右手で捕まえ、子犬(チワワ?)とじゃれています。後ろには壮年の父聖ヨセフが幼子を腕の中に抱くようにし、左には糸を紡いでいる聖母マリアがやさしく見守っています。ヨセフの大工道具箱やマリアの手編みのかごのようなのも見えています。ふつう聖家族の絵では幼子と聖母マリアが中心になっていますが、この絵では父ヨセフを中心に質素な生活を感じさせるほほえましい家族として描かれていいるようです。
 この章には、ルーベンスの「聖アンナのいる聖家族」やベラスケスの「東方三博士の礼拝」などもありました。
 
 最後のほうは時間もなくて詳しく解説を聴くことはできませんでしたが、とにかくまとめてみました。今回は、触って手がかりになるようなものはまったくなく言葉だけの説明でしたので、記憶とメモ、また一緒に行った人たちの反応も一部参考にしながら、不確かなところをネットで調べたり確認しながらのちょっとたいへんな作業でした。それでも、多くは私がこれまでほとんど知らなかった画家と作品でしたし、またスペインのハプスブルク家についてもいろいろ知ることができて、面白かったです。2度にわたって解説してくださったHさん、ありがとうございました。
 
(2018年10月11日)