西堀榮三郎記念探検の殿堂と「触って感じる」コーナー

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 10月18日、東近江市横溝町にある「西堀榮三郎記念探検の殿堂」に行ってきました。同館で12月16日まで開催されている「追求の先に… 美を拓くものたち展Part6」の中に「触って感じる」コーナーがあるということで行ってみました。触って感じるコーナーの展示もよかったですが、それとともに私は西堀榮三郎についての展示にとても興味を持ちました。私が小さいころ、南極探検では西堀榮三郎はヒーローのような感じでしたし、その後もチョモランマなどの登山でも話題になっていました。
 8時過ぎに家を出、阪急総持寺、JR摂津富田、高槻、近江八幡へ、ここから近江鉄道八日市線で八日市へ。近江鉄道に乗るのは初めて、ワンマンカーで、八日市駅まで途中に5つくらい駅はありましたが、すべて駅員のいない駅でした。社内放送では少し東近江市の観光案内のようなのもあり、ちょっと楽しかったです。東近江市は、2005年に八日市市と永源寺町、五個荘町、愛東町、湖東町が、さらに翌年蒲生町、能登川町が合併してできた市。古くから開け、近江商人発祥の地の一つで、近江商人博物館、湖東歴史民俗資料館、世界凧博物館東近江大凧会館、木地師資料館、滋賀県平和祈念館など文化施設も多いようです。八日市駅からは、行きはタクシーを使い10分余、帰りはバスを使って20分くらいでした。回りはのどかな広々とした感じ、すぐ近くに大きな池があり、冬には渡り鳥が多いとか。探検の殿堂に11時前に着き、約2時間スタッフの方に丁寧に案内・解説していただきました。
 まず、西堀榮三郎は京都生まれで京大出身なのに、どうしてこの地に西堀榮三郎記念探検の殿堂なの?という疑問について尋ねてみました。西堀榮三郎は京都生まれですが、実家は祖父の代から近江商人としてちりめんを手広くあつかう商家だったそうです。当時湖東町の町長が西堀榮三郎のパイオニア精神、探検の精神を次代の人たちにぜひ伝えなければと考え、1994年に西堀をはじめ近代の50人の日本人探検家を紹介する施設としてこの探検の殿堂を設けたとのことです(50人の探検家については、西堀榮三郎と探検家たちで紹介されています)。西堀の遺族から東京の自宅にあった暖炉をはじめ家具類や器具類が寄贈され、今年3月にリニューアルして、東京の自宅の居間を「暖炉のある居間」として再現し、そこに寄贈された品々を展示しています。
 居間を入って右側に暖炉がありました。煉瓦を積み上げたようになっていて、一部欠けたりしていました。近くにはランプがあり、それに付属して立っている鉄の棒が直角にくねっ、くねっ、と何度もくねっているのが印象的でした。近くの壁面にはアインシュタインと並んでいる写真があるそうです。1922年、19歳の西堀は旧制第三高等学校生の時、16歳も上の貿易などしていた兄の計らいで、来日していたアインシュタインに3日間通訳として同行し、京都や奈良を案内したことがあり、この写真はその時のものだとのことです。
 居間の中央付近には椅子やテーブルがありました。椅子もテーブルもとてもどっしりしていて、椅子はかなり重かったです。テーブルは幅10cm余の厚い板を何枚も金具でつなげたようになっていましたが、表面にはゆるやかな凹凸がいくつもあり、また所々に傷もありました。これらの傷は最初からわざと付けられていたもので、だれでも使いやすいように使い古したようなテーブルにしたそうです。西堀は、他の人に言葉であれこれ言うよりも、その人が自然にそうやってしまうような環境を整えるほうが良いと言っていたそうです。
 居間の左側には戸棚があり、そこにいろいろな物が展示されていました。まず触ったのが何台ものカメラ。私はよくは分かりませんが、レンズがいくつもあり高級そうな感じでした。かなり古い型と思われるタイプライター(私が1970年ころ使っていた英文タイプとは違って、キーは3段の配列で、縦に円筒のようなのがあった)、8×9個の数字キーが並んだ計算機?のようなものもありました。触れませんでしたが、真空管、品質管理に関する品、統計の実験器具のようなもの(色付きの多数の豆と多数の穴の開いた板があるようだ)、原子炉の模型のような物(段ボールのようなので作ってあるらしい)もあるということです。
 西堀榮三郎(1903〜1989年)について私は、登山家と第一次南極観測隊の越冬隊長、京大教授くらいしか知りませんでしたが、その経歴は多彩です。以下、年譜をたどりながら、一部説明を付け加えてみます。
1914年(11歳)、京都南座で白瀬中尉の南極報告を聞き感動
1918年、今西錦司らとともに山登りの会を結成
1927年、京大・東大合同スキー合宿で「雪山讃歌」を作詞(メロディは「いとしのクレメンタイン」)
1928年、京都帝国大学理学部無機化学科卒、同理学部講師
1936年、理学部助教授になるも大学を飛び出し東京電機(現東芝)に入社
1939年、アメリカへ留学。アメリカの南極探検者を訪ね歩き資料収集
1944年、真空管「ソラ」を開発(未熟練の人でも大量生産できるように詳細な製造マニュアルを作る)
1950年、日本科学技術連盟が招いたデミング博士の助手として各地の工場指導 (デミング: Deming, William Edwards 1900〜1993年。アメリカの数理統計学者。ワイオミング大学(1921)およびコロラド大学(1924)を卒業後、エール大学大学院に進学、1928年数理物理学で学位取得。その後いくつかの大学で数理物理学を講じたあと 1927年からは農務省、商務省、大統領府予算局などに勤務。 1947年、連合国総司令部の要請で統計使節団の一員として訪日し国勢調査を指導。その後も再三にわたり訪日し、産業界の品質管理手法や効率的経営の手法について指導・助言を行った。)
1952年、単身ネパールに入国しマナスル登山の許可を得る
1954年、品質管理普及の功績によりデミング賞本賞受賞 (デミング賞:デミングが日本産業の品質管理向上に残した功績を記念して、1951年に日本科学技術連盟が制定した賞。品質管理の研究および普及に顕著な功績のあった個人に与えられる本賞と,品質管理の応用によって業績を向上させることに成功した企業に与えられる実施賞とがある。)
1956年、南極観測隊副隊長に任命。京都大学理学部教授
1957-1958年、第一次南極地域観測隊 越冬隊長
1958年、日本原子力研究所(原研)理事 (当時すでに原研は実用的動力炉としてイギリスから「コールダーホール改良型原子炉」(黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉で、燃料は天然ウラン)を導入することを決めていた。西堀はこれをさらに発展させて独自の半均質炉(詳しいことは分からないが、冷却材として、融点125℃で水や空気に触れても激しく反応しない鉛ビスマスを使った増殖炉らしい)を提案、プロジェクトができて予算もついて研究が進められるが、1963年独自開発は中止となる)
1965年、日本原子力船開発事業団理事 (原子力船「むつ」の開発は、予算が少なく引き受ける会社がなくて難航するが、船体と原子炉を別々の会社が受け持つことになり、また受け入れる母港についても西堀は何度も地元に足を運んで説得。船体は1968年に起工、69年進水、定係港(母港)の青森県むつ市大湊港に回航、そこで原子炉関連施設を搭載して72年に完成。西堀は69年1月に理事を退任)
1973年、ヤルン・カン遠征隊長として初登頂。勲三等旭日中綬章叙勲
1980年、チョモランマ登頂に成功(総隊長として指揮)
 私が暖炉のある居間の中の展示でもっとも興味を持ったのは、南極の蜂の巣岩です。50×30cmくらいもあって、「南極の石」と聞いた時に私は一瞬隕石なの?と思いました。でもよく触ってみると、あちこちにぼこぼこした大きな窪み(大きいのは幅が7、8cm、深さ5cm弱くらいもあった)があり、窪みの辺はぼそぼそしたような手触り。蜂の巣岩は以前にも聞いたことはありましたが、実際にここで触れられるとはびっくりでした。日本の南極観測の拠点は昭和基地。位置は、南緯69度0分、東経39度35分で、南極大陸から西に約5kmの東オングル島にあります。いつも北東の卓越風が吹いているそうです(ブリザードの時も北東風のようだ)。蜂の巣岩の穴は、岩の表面に風化によって強度の違いが生じると、まず強い風で脆い部分にわずかにへこみができ、さらにそのへこみが強風で飛んできた砂流によって削られ、だんだん穴が深くなっていったものだろうということです。昭和基地では、いつも吹いている北東風がこの蜂の巣岩の原因になっているのでしょう。(この蜂の巣岩は、西堀さんが持ち帰ったものではなく、国立極地研究所から提供されたもので、平成5年に越冬隊員として南極地域観測隊に参加された佐藤夏雄さんが、展示用として日本に持ち帰ってきたものだということです。)
 南極越冬の際の日記をまとめたものもありました。A4サイズほどの大きさで、厚さは5cmくらいもある分厚いものです。これをまとめたものが『南極越冬記』(岩波新書、1958年)だそうです。これはぜひ読んでみようと思っています。また、西堀榮三郎の頭部の木彫もあり、触ってみました。顔にだいぶ皺があり、目の上が飛び出、顎は小さかったです。かなり高齢の時の顔のようです。
 
 その後、2階に行って、「追求の先に… 美を拓くものたち展Part6」の「触って感じる」コーナーを見学しました。この「美を拓くものたち展」は今年で6回目で、毎年東近江を中心に絵画・写真・彫刻・陶など、数十人の作家の作品が展示されているそうです。そして今年は、初めて触ることのできるコーナーも設けたとのこと、作品のタイトルおよび一部作品の解説も点字でも表記されていました。
 最初に触ったのは、北村隆行さんの彫刻(木彫)です。「スニーカー」は、私の履いている靴とほとんど同じ大きさ(長さ25cm、幅10cm、高さ15cm弱)で、紐の結び方などとてもリアルでした。ちょうど靴を脱ごうとしている時のように、足の上面に当たる縦長の布?の部分が上に立っていました。
 「放課後」は、作品解説には「クラブでの鞄と帽子の一場面」とあります。長さ50cm、幅20cm、高さ25cmくらいの、上が大きく開いた鞄の上に、径が30cmほどの帽子が投げ込んであります。帽子は、上の部分が少し窪み、ちょっとしわしわになっている感じ。鞄は持ち手が両外側に倒れ、四つ角の周辺などくたっとくたびれたような感じになっています。大急ぎでクラブ活動に行ったのでしょうか。
 「行楽」は、解説文には「子どもと遊びに行った時の一場面。シーソーに、リュックサック、グローブ、バット」とあります。中央にこちらから向こうに向って径が20cmくらいの台が置かれていて、その上に台とは垂直に、長さ120cm、幅30cmくらいのシーソーの板がやや斜めに乗っています。シーソーの向って左側に大きなグローブがあり、その中には直径7cmくらいの野球の玉が入っています。グローブの右には長さ70cmくらいのバットがあり、さらにその右に高さ40cmくらいのリュックサックが置かれています。上は紐で閉まるようなタイプで、幅の広い背負い紐が前に垂れ、背中側にはファスナーで開け閉めする物入れのようなのもあります。北村さんの作品は、日常の何気ない情景を切り取った感じで、とてもいいですね。
 「ミミズク」は、高さ60cmくらい、折れた木の枝にミミズクがとまっているような作品です。木とミミズクの境目が触ってあまりよく分からなかったのですが、木の折れた所はぎざぎざになっていて、一瞬ミミズクの羽なの?と思いました。くるっと大きな丸い目、三角にとがった大きな耳が印象に残っています。
 
 次は陶の作品で、小嶋亮子さんの「みぃちゃん」。長さ20cmくらいの、猫のかわいい寝姿です。表面の手触りもつるつるしていて、猫のつるうっとした毛並みを思わせます。前足の上に顔を乗せ、長い尾をくるうと曲げて先が顔の近くまできています。
 次も陶の作品で、小嶋一浩さんの「とんでいるふくろう」。長さ50cmくらい、厚さ1cmくらいの平たい作品で、飛んでいる鳥を斜めから見たような姿で、絵を触っているような感じがしました。片方の羽が大きく広がっています。その他、羽の下のほうに、尾羽、脚、顔と大きな目があります。手触りはさらさらした感じで、上の陶の作品とは異なっていました。この作品の隣りには、ふくろうの特徴について点字が浮き出しで書かれている陶板がありました。厚さ5mm、20cm四方ほどの正方形の板の上に、しっかり点字が浮き出していてちゃんと読めました(堅い感じがして長く読むのには疲れそうですが)。ふくろうの耳は敏感で、ねずみの足音や木の葉に隠れた虫の動きまで分かるとか、ふくろうは、日本では幸運を呼ぶ鳥であり、ヨーロッパでは森の守り神であり、学問と芸術の神の遣いであるなど書いてありました。同作家の作品がもう1点、「ふくろう」がありました。20cmくらいの木の枠の上に高さ20cm余のふくろうが、前脚の2本に別れた指でとまっています。尾羽は木の枠の後ろに5cmくらい垂れていました。
 ちょっと変っているなあと思ったのは、北川美千代さんの籐の作品「抱擁」。籐と言えば、籐椅子や籐籠を連想しますが、ぜんぜん違いました。籐はヤシ科のつる性植物で、北川さんはインドネシアやマレーシアの籐を原地の人たちが繊維にしたものを使っているとか。長さ70cmくらいあったでしょうか、ちょっと細長くうねうねとした曲面で、外側と内側の二重の曲面が、長いうねえっとカーブした1本の木の棒?(籐の茎かも)でつながっているようです。内側の曲面が女性で、それを外側から覆うようにしている曲面が男性を表していて、男の人が女の人を抱き上げる様子のようです。
 
 福山智子さんの木彫が3点ありました。いい香りがするなあと思ったら、クスノキを使っているそうです。どの作品も、ノミ痕がとてもいい感じでした。
 「Guardian」は、高さ130cmくらい、木の上に白いふくろうがとまっています。これは、福山さんがアメリカのミシガン州?でドライブしていた時に見た、森の木の上にとまっている白いふくろうで、まるで森に入ることを許してくれる森の番人のようだったそうです。
 「犬ヲヲン」は、胴長の犬のようです。「ヲヲン」は、なにかちょっと大きい動物を表す造語だとのこと、面白いですね。長さ1m以上ある胴に、頭部4本の足、尾が、それぞれボルトで胴にしっかり固定されています。椅子代りに座っても良いということだったので、胴の部分にちょっと腰かけてみました。
 「アルパカヲヲン」は、触った時になんだかよく分かりませんでした。高さ150cmくらいはあり、首がとても長くて、キリンかな?と思いつつも、なんだか違うみたい。原木に3つのこぶがあり、それを利用しているとのこと。胴はラクダで背に2つのこぶがあり、顔は兎で鼻がこぶになっており、目を大きく見開いていました。アルパカがどんな動物なのか実際の姿は知りませんでしたが、首がかなり長いようです。十数個もの椎骨の突起の列がゆるやかにカーブして並んでいました。胴部の下には足が4本ボルトでしっかり取り付けられていて、小さな子どもなら上までよじ登って行ってもだいじょうぶだそうです。遊び心がありますね。
 
 この「美を拓くものたち展」は来年も開催されるようですので、次の触る企画も楽しみにしています。
 
(2018年10月22日)