愛知川最新研究と地形模型たち

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 3月9日、東近江市にある西堀榮三郎記念探検の殿堂で開催中の「愛知川最新研究をさわってみよう!」を見学しました。探検の殿堂には、昨年の10月(西堀榮三郎記念探検の殿堂と「触って感じる」コーナー)に次いで2階目。今回も八日市駅からタクシーを利用しようと思っていましたが、なんと40分近くも待ってようやく乗車(観光タクシーの予約が多くてうまく配車できなかったらしい)、昼前になんとか到着、スタッフの方にはとても歓迎してもらいました。
 前回は触っていないかもということで、まず「雪よ岩よ われ等が宿り」で始まるあの有名な『雪山賛歌」の歌詞に触りました。壁面に、1字1字が大きいものだと6cm四方くらいでくっきりと浮き出していて、とても触って分かりやすかったです。(『雪山賛歌』は、アメリカ民謡の「いとしのクレメンタイン」に西堀榮三郎と京都大学学士山岳会が歌詞を付けたもの。)次に、前回私がとても気に入っていた南極の大きな蜂の巣岩に触り、さらにもう1つ小さ目の蜂の巣岩があるということで、それにも触りました。20×30cmくらいと小さ目ですが、こちらのほうが風による浸食がさらに進んでいて、穴は細く深い溝のようになっている所が多く、隣り合う溝の間の壁も5mmにも満たない所もあります。こちらのほうが蜂の巣岩としてはすごい!という感じでした。
 
 「愛知川最新研究をさわってみよう!」は2階の資料展示コーナーに展示されていて、最初は探検の殿堂のスタッフの方に、途中からは3月9日と10日のギャラリートークのために案内人として来られていた、淺野悟史(琵琶湖環境科学研究センター)さんと小倉拓郎(東京大学大学院新領域創成科学研究科・地形鮮明化プロジェクト)さんに説明してもらいました。この展示は、愛知川でのアユなど魚貝類の生息環境を改善して地域の人たちにも楽しんでもらえるようにしようというプロジェクトの一つで、高頻度・高精細地形情報を用いた河床における地形変化解析方法および地域住民への空間情報発信方法についての研究 の研究成果および関連の成果物を展示したもののようです。
 最初に触ったのは、「アユが好む石・苦手な石」。大きなボウルが2つあって、一方には数mmから1cmくらいの砂利や粗粒の砂が、他方のボウルには数cmのごろごろした石が、それぞれ山盛りに入っています。砂利の入ったほうは、手で押して動かすとジャリジャリ音がします。触り比べるべくもなく、違いは歴然としています。こんなごろごろした石だけではアユはうまく生活できそうにありません。予想通り、アユが好むのは砂利のほう。アユは産卵する時、流れがあまり速くない浅い瀬になっている河床にゆるく積もったきれいな砂利をかきわけるようにして、砂利の中に卵を産み付けるそうです。ところが、今は河床から砂利がなくなってごろごろした石ばかりになり、しかもしばしばそれらの石が互いにくっついて河床が硬くなっていて(これをアーマーコート(armor coat)化と言っていました)、アユが卵を産めない状態になっているそうです。愛知川も上流にダム(永源寺ダム。1972年に完成)ができ、それまでとは流れの様子が変わり、またたぶん河岸の護岸工事なども影響してこのようなことになったのでしょう。その対策として、固まっている河床を重機で細かく砕いて人工的に砂利のようにしたりもするそうですが、どうなのでしょうか?
 次に、アユを釣る「シャクリ釣り」の疑似体験。透明のガラス?ケースが川に見立てられているようで、中には、底に砂利、その上にごろごろした石があります。アユ(シリコンゴムかなにかで作ったぐにゃっとしたような魚の形をしていた)は2匹いて、1匹は上部に吊り下げられ、もう1匹はごろっとした石の下の砂利の所に隠れるようにしています(こんな場で産卵するのかもしれません)。このガラスケースに1.5mくらいある釣竿を入れて模擬のアユを釣ってみようとするものです。釣竿先端から中央部くらいまで中が空洞になっていて、その中を釣糸が通っています。釣糸の先端には鍵型のとても鋭利な針が4個くらい付き(指でそっと触ったくらいでも刺さるそうな感じ)、他端は釣竿の手前から50cmくらいの所で固定されています。釣竿を動かして先の針になんとかアユをひっかけてちょっと引っ張ると、固定されていた釣糸の端がはずれて釣竿に沿って糸が滑って行って糸が伸び、竿をしゃくるように、うまく動かしてアユを釣るというもののようです(私はなんとかアユを引っ掛けられても竿の動かし方がよく分からずうまく釣れませんでした)。なお、「シャクリ釣り」という名は、釣竿をうまくしゃくりながら釣ることからだそうです。
 
 この研究で活躍しているのが、ドローン。愛知川などの地形の変化をドローンで空撮し、その高精度のデータを3Dプリンタで印刷して、見ても触っても分かりやすい地形模型をたくさん作っているようです。今回の展示では、その一部が展示されています。私は今回初めてドローンに触りました。実際に撮影に使っているもので、50cm四方ほどの十字型で、4本の腕のそれぞれの先に長さ30cmくらいのプロペラが付いています(この4枚のプロペラを調整して自由自在に飛べるのでしょう)。中央部には大きなバッテリーが入り、その下に、小さなカメラ(レンズは直径1cmくらいだった)がぶら下がっています。バッテリー無しの状態でそっと持ち上げてみましたが、2〜300gくらいでしょうか、とても軽いです(このドローンの場合、1個のバッテリーでの飛行時間は25分で、調査ではバッテリーをたくさん持って行っているそうです)。
 3Dプリンタで印刷された地形模型で最初に触ったのは、富士山。2種類あって、ともに大きさは20cm四方弱ほどで、全体のゆるやかな形や、山頂からいくつも下に伸びる谷のようなもの、訪英火口と思われる窪みなど触ってよく分かりますが、表面の手触りがちょっと違います。一方は、細かい等高線のような水平の線が連なっているのが触って分かるのにたいし、他方はそれがあまり目立たず表面が少し滑らかな感じがします。一方は、液状の樹脂を水平に積み上げるようにしてできたもの、他方は、富士山の模型を立てた状態で細長い断面を縦に積み重ねていって作ったものだそうです。(私の好みは、等高線らしきものが少し分かる、水平方向に積み上げるほうです)。
 次に、愛知川周辺の地形模型に触りました。これは、ドローンで撮影したものではなく、国土地理院の(衛星画像)データを使って作ったものだそうです。横15cm、縦7cmほどの大きさで、右側(東)に三重県との県境に南北に走る鈴鹿山脈があり、愛知川の源流は鈴鹿山脈の北部にあります。そこから斜め下(北西)に流れ下り、山麓の永源寺ダム(手前の中央よりやや右、深く窪んでいるので触って分かる)辺で南西に方向を変えて近江盆地をずうっと流れて左上で琵琶湖に流れています(永源寺ダムから琵琶湖までの流路は触ってほとんど分からなかった。探検の殿堂は、永源寺ダムから南西に向っている愛知川の右側、鈴鹿山脈麓に近い所にあった)。鈴鹿山脈から永源寺ダムまでは急な勾配で、それ以降はとてもゆるやかな傾斜になっていることが分かります。ただ、近江盆地や琵琶湖は平坦で、触ってはほとんど特徴をつかむことはできませんでした。
 以下、愛知川とは直接関係ありませんが、とても興味ある地形模型を数点触りました。
 まず触ったのが、有名な華厳の滝。(と言っても、私はどんな形なのかまったく知りませんでした。)幅20cm弱、高さ10数cmの中央部が幅10cmくらい縦に大きく窪んでいて、ほぼ垂直の壁になっています。上のほうはぼこぼこして、木もたくさんあるようです(ドローンのデータだと、木でも家でも何でも地上に見えているものはそのまま形になっている)。木なのか土砂なのかよく分かりませんが、今にも落ちそうになっているものもありました。水は上からだけでなく、滝壁の途中にいくつも穴があってそこからも流れ落ちているようです(触ってはなかなか分かりにくかった)。そして、滝の底はただ窪んでいるだけでなく、後ろのほうに深くえぐられたように広くなっています。たぶんそのうち、その上の部分が崩れて滝壁が後ろに後退していくかもしれません。華厳の滝は、中禅寺湖が溶岩で堰き止められてできたものだということですので、できればその様子が分かるようなもっと広域の地形も知りたいものです。
 次に、愛媛県西条市の棚田。触った時の第1印象は、何本も並ぶ曲線がとてもきれいで、もしかして扇状地?なのと思ったり。横幅18cm、奥行11cm、左奥の高さが3.5cmくらい、手前の高さが1cm弱で、奥から手前にゆるく傾斜し、そこに高さ1、2mmくらい(実際の高さは1.5m前後だそうです)、幅5mmから1cm弱くらいの、とてもくっきりした段段が湾曲しながら並んでいます。棚田ってこんなにもきれいなものなのかと実感しました。ざっと数えて40段近くあるように思いました。上のほうは段段が乱れていてところどころぼこぼこした感じになっていて、ぽこっととがった木や四角っぽい家も触って少し分かります。上のほうは今は棚田として使われていないらしいです。西条市は、南は石鎚山に連なり、北は瀬戸内海に面していて、その間の斜面にこのような棚田がつくられているようです。戦国時代に、土佐から山を越えて伊予に攻め込んだ武士の一部が土着してつくったものらしいです。
 続いて、2011年9月の台風による紀伊半島大水害で大きな山崩れのあった奈良県川上村の地形。どきっとするような地形でした。横幅10cm余、奥行18cmくらい、手前に深い谷が横に走っていて、その向こうが斜面になっているのですが、その斜面の中央部に、幅5cm、奥行10cm、深さ1cmくらいの大きな山崩れの跡があります。斜面の上のほうは急ですが、その下はそんなに急でもないのに、こんなにも大きくがばっと崩落するとは、凄いの一語です。山崩れした跡の大きな窪みには、復旧のためなのでしょう道も少し触って分かります。できれば、山崩れ前の地形もあれば、比較できてよかったと思います。実際すでに、ドローンによるデータを経時的に比較することで、災害復旧や対策などに役立っているそうです。
 次も災害関連で、沖縄県下地島にある「帯岩」。(下地島は、宮古島の西10km足らず、伊良部島に隣接する、全体が低平な隆起珊瑚礁の小さな島。)幅10cm余、奥行15cm余で、手前の5cmほどはわずかに傾斜した平たい面(砂浜だそうです)になっていて、その奥に高さ1cmくらいの湾曲した崖があり、その崖の先はまた平たい面になっています。そして、その高くなった平たい面の崖縁から3〜4cmくらい入った所に、厚さ1cm余、長径が2cmほどのごろっとした石が乗っかっています。この石は、実際には高さ10m余、周囲60m以上ある巨岩だとのこと(高さ10m、縦横15m、比重2として重さを計算すると、4500トンにもなる)。この巨岩は、1771年に起こったマグニチュード8前後の八重山地震による津波(明和の大津波)で運ばれたものらしいとのこと。こんな巨岩が高さ10mもの崖の上にまで持ち上げられて運ばれるのですから、津波の威力のすさまじさを感じます。そして、この地形模型をよく観察すると、帯岩の形と崖縁の輪郭を比べることで、崖縁のどの辺の岩が津波で運ばれたかが分かるとのこと、私もやってみましたが、なんとなくこの辺かなということが分かるくらいでした。
  *明和の大津波での最大波高は30メートル以上(下地島では10m余?)で、当時の石垣島の人口約17000人の半数もの人が津波の犠牲になったそうです。八重山諸島や宮古諸島では、明和の大津波のほかにも何度も津波が起きており、各島には津波によって打ち上げられた大きな石(津波石)がたくさんあり、この下地島の巨岩が実際にどの津波で運ばれたかははっきりしていないようです。なお、以前は下地島にも多くの津波石があったそうですが、大部分が下地島空港建設の際に利用されて、今はこの帯岩だけが残っているとのことです。
 次は、波による浸食の大きさが分かるもので、千葉県南東部のいすみ市(波の荒い房総半島に面している)の岬町にある雀島。全体の大まかな形は、直径10cmほど、高さ15cm余の、円柱の上面が半球状になった形ですが、側面が2箇所(正面と左奥)垂直に上から下までがばっと削り取られています。雀島は海岸のすぐ近くにある小さな岩山(上には木もかなり生えていた)のようなもので、以前は海岸と繋がっていた陸繋島でしたが、波による浸食で陸と繋がっているトンボロ部分が消失して島になり、さらに浸食が進んでいる状態です。そしてこの島が2年後どれほど波によって浸食されたかを示す模型もあります。左奥の大きな窪みは、上から下まで2、3mmほどの厚さでまるで湾曲した広いパイ生地のように削り取られ(上には木もくっついていた)、正面の大きな窪みは下面が5、6mmの厚さで削り取られていました。近いうちに、この岩の島は波の浸食のために亡くなってしまうでしょう。このような地形模型を触ると、教科書で出てくる「陸繋島」とか「トンボロ」などの用語の意味を実感でき、また写真を見ることのできない私などにとっては、波の浸食の様子を実感できます。
 最後に、自然ではなく人の力によってできた地形に触りました。神奈川県横浜し田谷町にある真言宗大覚寺派田谷山定泉寺境内にある瑜伽洞(ゆがどう)という洞窟で、田谷の洞窟と通称されているもの。この地形は地中の中なので、ドローンによる空撮ではなく、レーザー測量のデータで作っているとのこと。直径10cm余の半球状のものが平らな面を上にして置いてあり、その上に半球の直径と同じ直径で厚さ1.5cmくらいの円盤が置かれています。円盤の裏側と半球の上面には、細い溝が何本も走り、溝の途中に溝幅よりも少し径の大きな円い窪みがいくつかあります。溝は洞窟の通路で、円い所は広くなった空間で仏像なども置いてあるとか。この洞窟は、鎌倉時代に真言密教の修行場(瑜伽堂の瑜伽は yoga のこと)として開鑿されたものだとのこと、多くの溝などが同じ平面上に水平に彫られていることに感心しました。現在田谷の洞窟は見学できるようになっていて、洞窟内の広い空間や通路の壁面や天井には仏像が彫られたり仏教関係の多くの画が彫られているとのこと、ぜひ行ってみたくなります。
 
 今回は、なによりもバラエティに富んだ地形模型に触れてよかったです。そして、地形模型でただ形が分かるだけでなくて、その地形の出来方や変化の様子、また人の生活とのかかわりまで実際に触りながら考え知ることができて、とてもよかったです。このような地形模型で考え、ときには愛知川など実際に現地を歩いてみることができれば、なおさらいいですね。今回の展示・研究は、多分野の研究者の協力で進められており、これからの研究成果にもまた触れてみたいです。
 
(2019年3月17日)