8月2日午前、青森からの帰りに、それぞれわずかの時間でしたが、清澄庭園と深川江戸資料館を訪れました。
清澄庭園は、清澄白河駅を降りてすぐ近く。9時半ころ着いて入園しましたが、すでに気温は30度を越え陽射しも強く、30分弱でざっと一周しただけで退散しました。それでもとても印象に残った庭園です。
清澄庭園は享保年間(1716〜1736年)ころの下総国関宿の藩主・久世大和守の下屋敷にさかのぼるらしいですが、明治になって岩崎弥太郎(1834〜1885年)がこの地を買い取って庭園として造成、その後も、隅田川の水を引いて大泉水を造り、周囲に全国から取り寄せた名石を配して、回遊式林泉庭園として完成したものだそうです。私は、全国の名石が集められているということで今回行ってみました。
池の回りの道に沿って歩きながら、まず触ったのが伊豆式根島石。一部しか触っていないので全体の大きさはよく分かりませんが(たぶん数メートルはある?)、ざらざらした手触りの1〜2cmくらいの小さな石がつながってくっついているような感じ、たぶん礫岩のようなものでしょう。
次に触ったのが紀州青石。高さ2〜3mくらいあるでしょうか、5mmから1cmくらいの幅の線が上から下に縦ないしやや斜めに連なっています。表面はかなりつるつるしていて、この連なった縦線は触ってここちよいです。紀州青石は、調べてみると緑泥片岩だとのこと。緑泥片岩は緑泥石を主とする結晶片岩です。緑泥石も触っても層状になっていることが分かりますが、それが広域変成作用を受けて層理面に沿ってさらに片理が発達してこのようなきれいな筋状になっていると思われます。ふつう緑泥石の層はだいたい水平になっていますが、清澄庭園では緑泥片岩を縦にして、縦線の連なりを水が流れ落ちる様子(滝?)に見立てて使っているのでしょう(この紀州青石を広く触った感じは、太い木の幹の縦に筋のある皮のようにも感じた)。
次は、なにか大きな動物のような形の立体です。手触りは、硬くて、かなり規則的にざらざらした感じ。前のほうは高さ1m余で、頭のようにちょっと斜め上に突き出し、そこから長い胴体のようにほぼ水平に3mくらい細長く続いています。これは相州真鶴石だとのこと。真鶴は、神奈川県の南西端、相模湾に突き出した小さな半島で、箱根火山が噴出した安山岩質の溶岩流によって形成されているそうです。触ってざらざらしていたのは、安山岩の大きな斑晶だったのでしょう。湯河原からこの辺りにかけて産する安山岩質の石材は小松石として知られているようです。
他にも、伊豆磯石、伊予青石、生駒石、佐渡赤玉石、京都保津川石、根府川石などあるようですが、今回は触ってはいません。(これらの大きな石は、岩崎家が自社の汽船で全国から集めたものだそうです。)また、庭園の道には敷石や飛び石のようにたくさん石が使われ、なかには石が積み重なってがたがたしていて、歩きにくい所もありました。
さらに、庭園の奥のほうに行くと、なんと石仏?が数点あってびっくり。庚申塔が2点、法印慶光供養塔(阿弥陀仏)、馬頭観音供養塔です。私が触ったのは阿弥陀仏だけでした(馬頭観音も触ろうとしましたが、蜂がずうっと観音像の回りにいて結局触るのをあきらめました)。阿弥陀仏は高さ50cm余くらいで、ざらざらした手触りですが、全体にとてもきれいな形。石仏と言えば、かなり風化して形をなんとか留めるくらいのものもありますが、この阿弥陀仏は、頭のぶつぶつや長く垂れた耳など細部までしっかり刻されていました解説を見てもらうと、安山岩で17世紀末くらいのものらしいです。安山岩は、御影石などと比べてだいぶ風化に強いのだと思います。
石ばかり書いていますが、もちろんふつうの回遊式庭園と同じく、池があり島があり築山があり橋などもありました。またかなり太い樹もあって、そこはちょっと日陰になってよかったです。
暑さのため清澄庭園は早々に切り上げ、10分近く歩いて深川江戸資料館へ。資料館に入るとすぐ、なつかしの横綱大鵬の取り組みの放送が聞こえてきます。
展示場に入ると、地下から吹き抜けになっていて高い空間が広がり、そこに江戸ももう終わり近く、天保年間頃の深川佐賀町の町並みの様子が実物大で復元されており、その中を自由に歩いていろいろ触れることもできます。触って楽しむのにはとても良い所のようです。
まず最初に入ったのは八百屋。そこにはいろいろな実物と同じ大きさ・質感の野菜が並んでいて面白かったです。小松菜(青菜としてはこれがいちばん多かったらしい)、太くて長い真っ直ぐの瓜、ころっとした茄子、太くて長い山芋、長さ1m以上もあるかと思うウド、直径7〜8cmほどの蒟蒻玉など。瓜や茄子など、これはむかしの種類なのだなと思いました。その他、長屋や井戸などがあり、米屋、肥料屋?、船宿などがあり、時々聞こえてくる猫の鳴き声や、突然の夕立のような雨音と雷鳴にびっくりしたり、なかなか生活感も感じました。中央の広くなった場所付近には、水の流れがあり、また火の見櫓が上に高く伸びていました。
ビデオを選んで聴ける場所もあって、私たちは「深川の力持ち」「木場の角乗(かくのり)」「江戸切り子」「よみがえる深川」を聴きました(いずれも5分から10分)。「深川の力持ち」は、仰向けになって、お腹の上に米俵を何個も積み重ね、さらにその上に臼を置き、その臼の上で餅つきをするとか、信じられないほどの腹筋がいる芸にびっくりです。「木場の角乗」は、水面に角材を浮かべて(角材は水面に平らではなく、角を結んだ対角線が上下方向になるように浮かぶそうです)を足で自由に操って乗り、さらにその上で相乗りとか駒下駄乗りとか梯子乗りとか軽業のようなことをする芸だそうです。「江戸切り子」のビデオでは作業工程が紹介されていましたが、一番最初の、基本となる線や位置をマークする「割り出し」という工程が、全体の出来上がりの7割から8割を決めることになるという職人さん?の言葉が印象的でした(私のしている木彫と同じです)。
深川江戸資料館も、今回は1時間弱の見学でした。またぜひゆっくり時間をかけて回りたいものです。
(2019年8月9日)