人権について

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 今年10月は、日本で障害者関係の国際会議が相次いで開かれました。まず札幌で、障害者インターナショナル(DPI)世界会議、次に大阪で、アジア太平洋障害者の10年最終年記念フォーラム、そして大津で、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)主催の最終年ハイレベル政府間会合と、指導的な立場にある方々はほんとうに大忙しだったと思います。私はいずれにも参加していないので詳しいことは何も分からないのですが、これらの会議を通じて基本的なテーマとなったものは、障害者の各種の権利をどのようにして擁護するか、そして広い意味で人権を守り、差別を無くすにはどういう対策を取らねばならないか、といったことだったと思います。
 もちろん人権に関わる問題はなにも障害者だけの問題ではありません。国民一人一人の実際の生活の場における問題であり、そういう日常における人権の尊重・配慮が、自ずと障害者の実生活にもプラスに作用するのだと思います。
 直接障害者の問題に関わることではないのですが、最近人権に関連して思うことがありますので、書いてみます。

 10月28日、フランスの農民運動家ジョゼ・ボベさんを迎えて、エルシアターで開催された大阪集会に参加しました。ボベさんは、日本のマスコミでも3年ほど前、南フランスに進出しようとしたマクドナルドの店を解体したことで有名になりました。
 ボベさんについて、パンフレットから引用します。
 「フランス農民連盟代表のジョゼ・ボベさんがアタックジャパンの招聘で来日することになりました。ジョゼ・ボベさんは1999年に建設中のマクドナルドの店を「解体」したことで、新自由主義的グローバリゼーションに反対する運動の象徴的存在となりました。ボベさんは遺伝子組み換え作物に対する反対や、反WTOのデモなどで常に行動の先頭に立ち、今年3月にはイスラエル軍によるラマラ侵攻に際して、パレスチナ自治政府の防衛のために駆けつけました。」
 会場は、釜ヶ崎で仕事を求めて闘争している人たち、労働組合の人たち、農民の代表、その他一般の人たちでいっぱいでした。
 ボベさんについては上のパンフレットに書いてあったことくらいしか知りませんでした。にもかかわらず、ちょっと場違いとも言えるこのような所に私が行ってみようと思ったのは、種やそれに合った肥料を世界的な企業が独占して、それに依存せざるを得なくなりつつある農業の状況、またボベさんのような活動の仕方にも興味があったからです。
 ボベさんのお話しを聞いて、私なりにだいぶ納得できるようになりました。(ボベさんたちの活動についてはすでに数冊翻訳がでているようですが、私はまだ読んでいません。また、私は今インターネットに接続できない状態になっているので、ネット上の情報もまったく参照できないでこの文章を書いています。誤解や間違いもあると思います。)
 まず、ボベさんは確かに農民ですが、その活動は多岐にわたっています。1970年代の軍用地拡大から農地を守る運動にはじまり、兵役拒否、農民連盟結成、ムルロア環礁での核実験反対行動、極秘裏に行われている遺伝子組換作物の実験農場を見つけてはそれを刈り取ってしまう行動、反WTO活動等々です。一見その活動の一貫性のようなものを疑いたくもなりそうですが、しかしボベさんの話からは十分その基本にある考えを私なりに知ることができました。
 各個人・家族の生活は、けっして多国籍企業の利益のためにあるのではない、それは各地域に根ざした食と農を基本とする独特なものであり、そういう安全で安定した生活は平和や人権とも不可分である、といったことだと思います。「一つの大農場よりも数個の小農家のほうが良い」とか「考えや運動はグローバルに、生活はローカルに」といった言葉も印象に残っています。
 ボベさんの話の中で私がとくに同感できたのは、どうして直接行動に訴えるのかという会場からの質問にたいして、「合法性は不平等をもたらす、また基本的人権を犯すことがある」というようなことを言っていたことです。これは、少数者や弱者と言われる人たちにはかなり本当だと思います。
 ボベさんは例として、ある金持ちが持っている家や農場がまったく使われていなくて空き家となり荒地となっているような場合、住む家もなく食べ物もない人が、その家を占拠しその荒地で食料を作るのは、当然ではないかと言っていました。もちろんこの場合、金持ちの所有権は法的には犯されていることになりますが、別にだからと言って生き死ににかかわるような実際的な害はなにも受けていません。一方、勝手に家を占拠し耕作した人は、こうして取りあえず生きて行けるわけです。(近代的な国民教育を受けた多くの人は、このようなことはなかなか受け入れがたいかも知れません)
 障害者もふくめ、これまで少数民族、力の弱い人たちは、法律によっていろいろな権利を奪われ、住む場所や仕事を制限されてきました。法律に従っている限り、まともに生きて行けないことがよくあり、生きるためによく法律を犯していたわけです。現在の日本でも、いわゆるホームレスになってしまった人たちや不法入国扱いされている人たちは法に従ってはなかなか生きて行けないと思います。
 そうは言っても、私はボベさんのようなラディカルな直接行動的な運動には参加できません。私なりに、力の弱い人たち、一般の人たちから見向きもされない人たちのために何ができるのか考えるしかありません。とても難しいです。もちろん、普通の意味での多数決を基本とする民主主義では、正義も人権も達成されません。

 もうひとつ、最近私が人権に関連して腹を立てているのは、日本政府の拉致問題にたいする方針です。大きな人権無視だと思います。
 初めの北朝鮮との合意(1、2週間でいったん北朝鮮に帰ってもらい、その後を考える)を一方的に破棄したのは、相手が犯罪的な国だとはいえ、戦争ではなく交渉なのですから、ルール違反と言わざるをえません。相手が約束を破るかも知れないからといって、こちらから一方的に約束を破ったのでは交渉になりません。交渉のやり方として、北朝鮮ばかりでなく、他の多くの国からも日本は少なからず不信をかうのではないでしょうか。
 さらに私がもっとも呆れたのは、親が拉致された自分たちの子供を手元に置いておきたいというのは、気持としては十分理解できるとして、それを政府が、本人たちの意志よりも優先させる形で、国の方針としてしまったことです。さらに今は、北朝鮮に残っている拉致被害者たちの家族を全員(アメリカ人もふくめ)日本に取り戻し、さらに地元で定住できるよう教育や仕事のことまで対策を考えると言っています。
 拉致された人やその家族は、日本の親、ましてや政府の言いなりになっていいような子供ではけっしてありません。その人たちの意志はいったいどうなるのでしょうか。本来その人たちがどこに住み(日本であろうと北朝鮮であろうと、あるいはもしかするともっと自由に生きられるかも知れない第三国であろうと)、またどんな仕事をして生きようと、それは当人たちがそれぞれに考え決めることであって、周りの人たち、また政府は、その人たちの意志がうまく実現できるよう援助できるだけです。今の政府のやり方は、当然の国際的ルールとなりつつある人権の考えからは程遠いと言わざるをえません。
 さらに、私が気になったのは、本来親と子の間の家族的な気持の問題が、急に日本全体に拡大しているように思われることです。拉致問題が国レベルの問題になったのは遅過ぎるほどで当然ですが、いわば日本全体が擬似家族になり、気持の上では拉致被害者はその日本家族全体の子供ででもあるかのように扱われていることです。
 このような雰囲気には、これまで障害者が置かれてきた状況をなにか思い出させるものがあります。家族からもまた社会からも一人前の人間として扱われず、家族の所有物として時にはとても温かく、また時には社会の片隅に隔離されてまったく省みられなかった歴史のようなものを考えてしまいました。世の中は表面的にはどんどん障害者にとっても良い方向に変っていますが、深層の気持のレベルではあまり変っていないようにも思います。


(2002年11月6日)