触覚の記憶

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 11月17日の日曜日は、今年の秋にしては本当にめずらしくとても良い日和でした。こういうのを小春日和と言うのでしょうか。
 昼になって、家内とどこか出かけようかということになり、高槻市にある埴輪工場公園に行ってきました。散歩がてらということで、どんな所かよく分からずに行ったのですが、思いのほか楽しめました。
 紅葉(と言っても、紅ばかりでなく、言葉では説明できないくらい実際の色は変化に富んでいるようです)が陽に映えてとても綺麗なようでした。その美しさを観賞できないのは、やはり残念に思いました。
 埴輪工場公園の「工場」とはいったいどういうことなのか腑に落ちないまま行ったのですが、説明文によると、この地区には5、6世紀ころ近くの(淀川水系の)いろいろな古墳のために多くの埴輪を供給する一大施設があったようです。茨木し、高槻市にはあちこちに古墳があります。(私の家から20分余歩いた所には、継体天皇陵があります。)今でも発掘が続けられていて、時々和題にもなります。
 公園には、発掘されたいろいろな種類の埴輪が置かれていて、私も犬や猪や狩人の埴輪、また大きな円筒形の埴輪を触りました。さらに、埴輪を造るための作業場や窯も復元されていました。
 その作業場は、たぶんかなり大きな竪穴式住居に似ていると思うのですが、地上1メートルくらいの高さに屋根があり、また地面のほうは60、70cmくらい掘り下げられていて、中では十分立って歩くことができました。広さも、幅4メートル近く、長さ10メートル近くもあって、中を1人で歩き回り、何本もある大きな太い柱や屋根を支えている斜めの丸木などを触りました。
 その屋根の部分は途中から2重になっていて、全体を覆っている下のほうの部分は木の皮を重ねて作られ、また途中からある上の部分は藁か葦のような物で作られていたようです。木の皮で作られた下の部分はすぐ触ることができるのですが、それを触った瞬間、私は小さいころ住んでいた家の木の皮(たぶん杉の皮)で葺いた屋根、当時でもすでに50、60年は経っていたあの古い家の屋根を思い出しました。実際には、この作業場の屋根と小さいころ住んでいた家の屋根とはだいぶ違う所もある(作業場のほうは、屋根は裏側もふくめ木の皮だけで、それもかなり細い皮をたぶん数十層も重ねた感じでしたが、私の家の場合は、屋根の裏は板張りでその上に幅広の杉の皮が5、6層重なっていたように思います)のですが、ふだんはほとんど考えもしなかったようなことが、この作業場の屋根を触った瞬間にありありと思い出されたのです。
 それも特に触感だけが強く思い出されたようです。あの古い家の屋根の上で杉の皮を触っている感じや、屋根の端の所で杉の皮が重なっている様子などはよく思い出すのですが、ではいったいどうやってその屋根に上ったのだろうと考えてみてもよく思い出せません。(たぶんやはり梯子を使って上ったのでしょうか)40数年前のことが、とくに触感だけが突出して思い出されました。
 視覚についても時々「まざまざと思い出した」という表現を聞きますが、それと同じようなものでしょうか。現に体験している感覚から、ふだんはほとんど意識することのないような過去の感覚の記憶が一気によみがえったという感じでした。ふだんはどうしても思い出せないような事でも、なにか適当な刺激があれば、急に思い出せるような場合もあるのかもしれません。
 窯跡の復元のほうはちょっと外形を触れたくらいです。それでも、斜面を利用して10メートル近くもあるトンネル状の窯が造られていたようで、斜面の下のほうにある焚き口と上のほうにある煙出しのような穴を触ることができました。現在の登り窯に近いものなのでしょうか。確かに「工場」という表現もあながち的外れとも言えないくらい大がかりな埴輪製造が行われていただろうことは、十分納得できました。


(2002年11月26日)

〈補足〉
 この原稿を書いた直後から、今城塚古墳での発掘が全国ニュースになっています。ご存知の方も多いと思いますが、本文との関連で少し補足します。
 まず、本文でふれた、私の家のすぐ近くの継体天皇陵(太田茶臼山古墳)ですが、これは宮内庁指定によるもので、私も単純にそう思っていました。しかし、宮内庁が行った発掘ならびにその出土品の公開によって、この古墳は継体天皇(当時は大王)の没年(530年ころ)より50年ほど前の5世紀後半のものであることが分かりました。現在継体天皇陵として有力視されているのは、高槻市にある今城塚古墳です。もしこれが正しいとすれば、天皇陵の本格的な発掘としてはこれが最初になるのだそうです。(110以上の形象埴輪が整然と配置されており、大王の葬送祭祀の実態などを知ることができるとのことです。)
 私たちが行った「埴輪工場」の供給先の一つが、そこから1.5kmほどの距離にあるこの今城塚古墳でした。そして、私が埴輪工場公園で触った動物や人や円筒埴輪も、今城塚古墳から出土した物を復元したものだったのです。

(2002年12月2日)